第15話 レアさんからのお願い
鳥の囀りが聞こえなくなっていた。
潮の香りもわらかなくなっていた。
小鳥は枝に止まっているのに。
穏やかな風が吹いているのに。
そのどちらも感じることはなかった。
俺の視線も神経もすべてレアさんにと集中していた。
元の世界に戻る方法を教える。
レアさんが言った内容は、俺がなによりも知りたいものだった。
希望に「絶対に帰ってくる」って約束した手前、是が非でも戻る方法を求めないといけない。
たとえ、その方法がどんなに難しくても、諦めることはできなかった。
だからこそ、五感の情報が一時的に遮断され、そのすべてをレアさんへと注いでいた。
一挙手一投足さえ見逃さないとばかりに、レアさんをじっと見詰めていく。
視界の端でカルディアがなにかしらの動きを見せているのはわかったけれど、カルディアを意識を向けている余裕はなかった。
そのときは、一刻、いや、一秒でも早く、希望の元に帰りたかった。
たとえ、希望自身は俺をただの幼なじみとしか思っていなかったとしても。
それでも、約束を守りたかった。
「絶対に帰る」という約束を守りたかった。
その方法がどんなものであっても、わずかな手がかりでもいいから、レアさんが教えてくれる内容を知りたかった。
……でも、レアさんが教えてくれた内容は、事前の言葉通りに、あまりにも法外で、そしてあまりにも困難なものだった。
「この世界からほかの世界に向かえる方法。カレンちゃんからしてみれば、元の世界に戻る方法はひとつだけ。それは「天の階」を使うことだけ」
「「天の階」ですか?」
「うん。その名の通り、天高くそびえる階段なんだけど、その階段を上りながら行きたい世界のことを強く願うと、登りきった先にはその世界へと通じる門が生じるらしいよ」
「らしい?」
ひとつだけということなのに、やけに抽象的な言葉だった。
なぜ断定するようなことを言わないのかがわからなかった。
少しでも情報は欲しい。
でも、どうせなら確定的というか、確信のある情報が欲しかった。
そんな想いが視線に乗っていたのか。レアさんは困ったように笑いながら続けた。抽象的に言った意味を教えてくれた。
「私自身使ったことがないからね。「階」はひとりにつき一度しか使えないの」
「一度だけ」
「そう。一生に一度しか使えないものなんだよ」
一度しか使えないもの。
それはたしかに抽象的にしか言うしかなかった。
何度も使えるものであれば、「らしい」なんて言うはずもない。
レアさんが抽象的な言い方をしたのは、確信して言えることではないから。一生に一度しか使えないものに、確定的なことなんて言えるわけがなかった。
「だから、一度使った人がいても、その人から事情を話して貰うことはできないんだ。……建前上は」
「建前上ということは、知る方法があるってことですか?」
建前上ということは、特殊な方法であれば使用者の話を聞くことができるってことだろうと当時の俺は思っていた。
だけど、それは全く別の意味だった。
「ううん、そうじゃない。建前上といったのは、そういうシステムになっているという話だからだよ」
「そういう話と言いますと?」
「私自身長く生きているんだけど、いままで誰かが「天の階」を使ったという話なんて一度も聞いたことがないんだよね」
「え? どういうことですか? だって」
一度も使われていない。
それでは、他の世界に渡ることができるということが、真実なのかわからないはず。
俺の疑問にレアさんはもっともと言わんばかりに頷くと、事の理由を教えてくれた。
「あくまでもその話は「天の階」が設置されている国が公表している内容でしかないの。実際に「天の階」が使われたことは、神代から数えても一度もなかったはずだし」
「それってどれくらい前からなんですか?」
「ん~、千年くらい前かなぁ?」
「千年前」
あまりにも途方もない時間に呆気に取られてしまった俺だったが、続く言葉はそれ以上の途方もないものだった。
「まぁ、そもそもの話、星金貨千枚なんてそう簡単に稼げるわけがないし」
「……星金貨?」
「うん。この世界での一番高額な硬貨だね」
「……世界で一番」
「うん」
世界で一番高額な硬貨。その単語に俺は言葉を失った。
元の世界であれば、一番高額な硬貨と言っても国によって様々だった。
日本で言えば五百円硬貨が一番高額ではあるけれど、決して世界で一番とは言えない。
対してレアさんの言う「星金貨」とやらは、この世界で最も価値のある硬貨。
当然、五百円硬貨を始めたとした各国で最も価値のある硬貨とは比べようもないはず。
そもそも「金貨」と称されるのだから、当然金で鋳造された硬貨であることは間違いない。
いや、もしかしたら金どころか、白金、つまりはプラチナ製の硬貨であるかもしれない。
プラチナ製の硬貨なんて、地球では聞いたこともない。
聞いたことはないが、プラチナが金よりも高価であることは変わりない。
仮に金貨が十万円前後だとすれば、星金貨は最低でも百万くらいだろうか。
もちろん、この世界のプラチナの希少性も関わってくるだろうけれど、仮に一枚百万であれば、それが一千枚であれば、十億ということになる。生涯賃金をはるかに超えた大金だった。
でも、億単位なら宝くじの特賞を当てれば稼ぐこともできなくはない。
それと同じくらいの価値のあるものを手に入れられれば、あるいは、とそう当時の俺は思っていた。
だけど、そんな俺の考えをあっさりとレアさんは覆してくれた。
「ちなみにだけど、星金貨と金貨一万枚は同価値なんだ」
「……はい?」
言われた意味がすぐには理解できなかった。
金貨のざっと十倍くらいの価値と考えていたのが、まさかのその千倍だった。
仮に金貨を十万円相当としたら、その一万倍となると、一枚十億円となる。で、それを千枚と換算したら、総額一兆円だった。
十億だけでも途方もなかった。だが、億単位であれば、よほどの幸運があれば稼ぐことも可能かもしれなかった。
しかし、一兆円となると運だけではどうしようもない。
というか、兆規模はもはや個人ではなく、会社どころか国家規模の単位だった。
そんな金を稼げ。
無理ゲーどころの話じゃなかった。完全に不可能だった。
誰がどう考えても個人では無理だ。
でも、レアさんたちの話を、資金援助という言葉を踏まえたら、俺がひとり頑張って稼ぐというわけではないというのはわかっていた。
いや、頑張ることは頑張るけれど、その頑張る方向性がどのようなものなのかがよくわからなかった。
そんな俺の疑問をわかっているのか、わかっていないのか。
レアさんはニコニコと笑いながら、その意味を教えてくれたんだ。
「実はね、カレンちゃんにしてもらいたい仕事があるんだ」
「仕事、ですか?」
「うん。私が個人的にかわいがっている子がいるんだけど、その子はとある組織の支部長なんだ。支部長としてこの国に詰めているんだ」
「はぁ」
「その子がね、最近困ったことに巻きこまれているんだよ」
「困ったことというと?」
「なんでも、総本部の上の人から、別の支部を新しく設立してほしいって頼まれているんだよね」
「新しい支部、ですか」
「うん。それも建物の選定から職員の選定ないし、その教育やら、その他諸々をその子に放り投げた形でね」
「……なんですか、それ」
「うん、誰が聞いてもそう思うよねぇ」
レアさんは苦笑いされながらコーヒーを啜られた。
具体的にどんな組織なのかはわからないけれど、話を聞く限りはろくな組織だとは思えない。
新しい支部を設立するのはいい。
だが、その新しい支部を別の支部の支部長さんに丸投げした形で新しく設立しろなんて、ブラックにもほどがある。
いや、ブラックどころか、無責任すぎる内容だった。
そんな無責任、いや、もはやまともな支部を作るつもりもなさそうな案件を押しつけられた支部長さんに同情を禁じ得なかった。
俺の反応を見て、カルディアは「あー、最近忙しそうだったのって、そういうことだったんだ」となにやら納得していた。
その反応からしてカルディアと支部長さんは知り合いのようだというのはわかった。
どんな組織の支部長さんなのかはわからないが、支部の長である人と元貴族のカルディアが知り合いというのはおかしなことではない。
が、お茶菓子を三回も平らげたカルディアを見て、お貴族様だと思える人は早々いない。
だから、支部長さんとカルディアが知り合いであるという言葉がどうにも違和感があるように思えてしまった。
「む。なんだかカレンから不躾な視線を感じる」
カルディアは俺の思考を読んだのか、それとも俺自身が表情に出していたのかはわからないけれど、むぅと唸りながら、不満げに俺を睨んできた。
俺ができたのは顔を逸らして苦笑いする程度。でも、その程度でカルディアが納得してくれるわけもなかった。
「オシオキだよ」
そう言って、再び俺の頬を抓るカルディア。
再びの痛みに喘ぐ俺。
痛みに喘ぐ俺を見て、コアルスさんもレアさんも揃って笑っていた。
笑いながらも、レアさんはコーヒーを啜られると──。
「そこで、カレンちゃんにお願いがあるんだよ」
「お願いっていうと、その支部長さんのお手伝いをしてほしいってことですか?」
いままでの話の流れを踏まえれば、そういう結論に至るのは当然だった。
カルディアからの報復をどうにか搔い潜って、レアさんに尋ねると、レアさんは静かに首を振られたんだ。
「ううん。カレンちゃんにはその新しい支部の支部長さんになってほしいんだよね」
「……は?」
レアさんが口にしたのは、想像を絶するとんでもない一言だった。
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ようやくここまで来ました←汗
次回はとある支部長さんが登場です
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