第7話 あの日・後編
苔むした墓石の掃除を一通り終えた俺と希望は、空廻寺の寺務所前の一角で休憩をしていた。
蒸し暑い日だったせいで、俺も希望も着ていたつなぎの上着部分を下ろし、中のインナーを、汗だくになったインナーを露わにさせていた。
「あー、疲れた」
「本当にねぇ。いち兄ってば、依頼だからって、大変な仕事を振るんだから」
「そう言うなって。一心さんだって悪気があったわけじゃないんだし」
「それでも! 大変だったんだから、文句のひとつやふたつは言って当然でしょう」
「まぁまぁ」
無事に仕事を終えたとはいえ、あまりの肉体労働に希望は癇癪を起こしていた。
気持ちはわかるけれど、これもまた仕事であることを遠回しにつたえながら希望を宥めていると、「いやぁ、悪かったねぇ」という一心さんの声が聞こえてきた。
「ちょっとふたりに頼りすぎてしまったよ。ごめんごめん」
お茶を乗せたお盆を手にした一心さんが寺務所から出てきた。
一心さんはばつが悪そうに苦笑いをしていた。寺務所の中から希望の声が聞こえていたんだろう。それくらい希望の声は大きかったら、当然っちゃ当然だった。
「悪かったじゃないよ、いち兄。多すぎだよ」
「いやぁ、悪い悪い。僕自身あそこまで多いとは思っていなかったんだよ。せいぜい二、三時間くらいかなぁと思っていたのだけど、まさか朝早くから昼過ぎまで掛かるなんて想定しなかったよ」
「いち兄は想定が甘いって、お父さんがいつも言っていたじゃん」
「あははは、反論できないなぁ。まぁ、今回は依頼料を上乗せさせて貰うから、それで勘弁してくれないかい?」
「むぅ~」
「頼むよ、希望。香恋ちゃんもそれでいいかい?」
「俺としては問題ないですよ。希望もいつまでもむくれていないでさ」
「……わかった。でも、上乗せはできるだけ多めにね」
「はいはい、わかっている、わかっている」
むくれながらもちゃっかりとしたことを言う希望に、一心さんは苦笑いしていた。
一心さん自身が言い出したことでもあるから、一心さんとしても否定できなくなってしまったのが原因だった。
とはいえ、一心さんのことだから言わずとも上乗せをしてくれただろうけれど、それが確定させられてしまったのだから、苦笑いするのも無理もなかった。
「まぁ、報酬の具体的な話は久美ちゃんとしておくよ」
よっこいしょと言いながら、一心さんも寺務所前の休憩スペースに腰掛けた。
よく見れば、お盆には一心さんの分のお茶があったので、一心さんも俺たちと一緒に最初から休むつもりのようだった。
「いち兄、仕事は?」
「僕も休憩さ。二人よりも先に掃除していたから疲れちゃってねぇ」
そう言って自身のお茶を啜る一心さん。「あー、美味しいねぇ」としみじみと呟く姿を見ていると、まだ二十代後半とは思えなかった。
「そうだ。香恋ちゃん。いまのうち、暁子さんに顔を見せてきたら? ついでに希望も行って来なよ。希望もあの人には懐いていただろう?」
お茶を啜る一心さんに言われて、仕事する前までは考えていたことを思い出した。
正直、言われるまでは忘れていた。忘れるくらいに大変な仕事だったということでもあるんだけど。
「そう、ですね。ついでになっちゃうけれど」
「私もしておこうかな。暁子おばあちゃんにはお世話になったし。……もう大部分忘れちゃっているけど」
「無理もないよ。なにせ暁子さんが亡くなったのは、ふたりが五歳くらいの頃だったし。僕にとっては、まだそこまで昔ってほどではないけれど、ふたりにしてみればもう記憶もない頃の話だろうからね」
ずずっと音を立ててお茶を啜る一心さん。高校生だった一心さんとまだ小学校にも通っていなかった頃の俺と希望では、同じ十年でも時間の流れは異なる。
一心さんの言う通り、おばあちゃんのことをほとんど覚えていないのも無理もない。
時の流れの残酷さをしみじみと感じた。
「……しんみりさせちゃったね。そんなつもりはなかったんだけど。どうにも言葉ってのは難しいなぁ」
申し訳なさそうに一心さんは呟いていた。
俺も希望もなんて答えていいのかわからなかった。
一心はお茶を再び啜られると、「それでどうする?」と尋ねてきた。
かなり無理のある話題転換ではあるけれど、そときは一心さんの言葉に乗るしかなかった。
「……もともとそうしようかなぁと思っていたんで」
「そうだね。お花とか用意していないけど」
「あぁ、それならお詫び代わりに僕が用意するよ。ちょっと待っていてね」
そう言って、一心さんは寺務所に戻ると、それほどしないうちに花とお線香を手に戻ってきた。
花はともかくお線香であれば、一応持っていたのだけど、一心さんの持ってきたそれは俺が持ってきたお線香よりも明らかにいいものだった。
「はい、これ。花は檀家さんに貰ったもので、お供え用とは言い辛いけれど、お線香はうちの寺でも使うものだから」
お線香を希望に、花を俺にとそれぞれに渡してくれる一心さん。
なにからなにまで申し訳ないと思うが、ちゃんとした準備をしていなかったのと、せっかく準備をしてくれたので断ることはできなかった。
「ありがとうございます、一心さん」
「ありがとう、いち兄」
「いえいえ、気になさらずに。さて、僕はもう少しここでゆっくりとしているからね」
よっこいっしょともう一度寺務所前の休憩スペースに腰を下ろす一心さん。
俺たちと一緒にお墓参りすつもりはないようだ。
一心さんはその気になれば、いつでもうちのおばあちゃんのお墓参りはできる。
わざわざ俺たちと一緒にお墓参りしなくてもいいからこそ、俺たちと一緒にお墓参りはしないつもりだったんだと思う。
無理を言えば付き合ってくれたかもしれないけれど、そのときの俺は、希望とふたりでおばあちゃんのお墓へと向かうことにした。
大変な仕事ではあったけれど、その分色をつけてもらったうえに、花とお線香まで用意してもらったのに、それ以上の無理は言えなかった。
俺も希望も「じゃあ、また後で」と言い残して、一心さんと別れたんだ。
そうして向かったおばあちゃんの墓は空廻寺の墓地の中でも、それなりにいい場所にあった。
これと言って遮蔽物もないため、日当たりはかなりいい。
たまたま空いていたというにはやや無理があり、どう考えてもなにかしらの忖度があったというのは明かだった。
とはいえ、その忖度がどういうものなのかは知らないし、興味もない。
あるとすれば、大好きだった空を亡くなった後でも思う存分に眺められることに「よかったね」とおばあちゃんに言えるということくらいか。
その日もおばあちゃんの好きな澄み切った青空が広がっていた。
その青空の下で、俺と希望は一心さんに用意して貰ったお線香とお供え用に貰った花を供えると、静かに合掌した。
おばあちゃんへの思い出はもうほとんどない。
母親がいない俺の母親代わりをしてくれていたこと。
そのこともあり、優しくもあったけれど、相応に厳しかったこと。
そんなおばあちゃんが大好きだったということ。
それくらいしか俺はおばあちゃんのことを覚えていない。
それでも、定期的にお墓参りに来るくらいには、おばあちゃんをいまでも大切に想っている。
そんなおばあちゃんのお墓参りを、片思いの相手である希望とする。
だからなにかあるわけでもないけれど、なんとも言えない充実感を抱きながら俺は無心におばあちゃんの冥福を祈っていた、そんなときだ。それが起こったのは。
「……え?」
それは希望の言葉が切っ掛けで気づくことができた。
俺よりも早めにお祈りを終えていたのか、希望が驚いたような声を上げたんだ。
なんだろうとまぶたを開くと、そこには希望が驚くのもわかる光景が、円形に広がる青白い光が目に入ったんだ。
「……なに、これ?」
思いもしなかった光景に、唖然としていると、いち早く状況に気づいていた希望は俺よりも早く行動に出た。
「香恋! 離れよう!」
「そ、そうだな」
よくわからない状況ではあったものの、このままではなにかよくないことに巻き込まれかねなかった。
だから希望の言う通り、さっさと円形部分から離れた方がいいって思ったんだ。
希望はすでに動き出していたので、俺もその後を追う形で円形から脱しようとしたときだった。
「……大きくなったね、香恋」
懐かしい声が耳朶を打った。
足が止まり、振り返るとそこには写真の中でしか知らない人が立っていた。
「……え?」
そこにいたのは髪も肌も真っ白な人。でもよく知っている人。
鈴木空美という名前の女性が立っていた。
俺の実の母親が、俺が産まれて間もない頃に蒸発し、写真の中でしか知らない母親が立っていたんだ。
「かあ、さん?」
思いもしなかった人物が出てきて、俺はなにも言えなくなってしまった。
立ち去ろうとした光の中でつい立ち止まってしまうほどに、その出会いは衝撃的なものだった。
でも、それはいま思えば、悪手だった。
そうして立ち止まってしまっているうちに、魔法陣は完成してしまったのだから。
「香恋!?」
希望の声で慌てて魔法陣から出ようとしたものの、希望と違って俺は膜のような壁によって弾き返されてしまった。
完成した魔法陣から抜け出すことはできないと暗に言われているような状況に追い込まれてしまっていたんだ。
「……ごめんね。でも、こうしないといけないの」
母さんが伏し目がちに謝っていた。
謝るくらいならとは思った。
それ以上にいままでどこにいたんだよと言いたかった。
母さんに言いたいことは山ほどあった。
どうしていなくなったんだと。
どうしていままで連絡もしてくれなかったんだと。
どうして。
どうして産まれたばかりの俺を見捨てたんだって。
そう言ってやりたかった。
それこそ胸ぐらを掴みながら、叫んでやりたかった。
だけど、それらの言葉は不思議と口から出ることはなかった。
俺が口にしたのは、それらとはまったく別物の言葉だった。
「……久しぶり、でいいのかな?」
「……和やかな挨拶ね」
俺が口にしたのは、母さんが驚くほどに和やかな挨拶だった。
その挨拶に母さんはひどく驚いていた。
呆然という言葉がこれ以上とないほどに似合うほどに、その顔は驚愕に彩られていた。
宝石のような紅い瞳は大きく見開かれ、口元を両手で覆いながら、信じられないものを見るような目を向けてくるほど。
……一応俺はあなたの娘なんですけどと言いたくなってしまうほどに、母さんは驚いていた。
驚いている母さんに苦笑いしながら、俺は続けた。
「恨み言でもぶつければよかった?」
「……そうなるだろうなとは思っていたよ。普通に考えたら、十五年もあなたを放っていたんだし。当然、恨み言をぶつけられると思っていた。それこそ「あんたなんか母親じゃない」って言われると思っていたよ」
「そう言って欲しかったの?」
「……言われても無理もないでしょう。それだけのことをしていたのだからね」
母さんは困ったように笑っていた。笑うというよりかは、笑顔を張り付けているという方が正しいのかもしれない。
それでも、その笑顔は写真の中でしか知らない母さんのものだった。
「じゃあ、言わない。別に母さんのことを許したという言うつもりはないよ。いまだって下手したら希望を巻き込んでいたのかもしれないんだし。だから俺からあなたを許すつもりはない」
「そうね。そう言われても当然ね」
「だから恨み言なんて言ってやんない。恨み言を言われれば、少しでも俺の気が晴れたと思われたくないから。だから恨み言は言わない。ありのままの俺であなたと接するよ」
そう言ってまた笑いかけると、母さんはやっぱり笑っていた。
今度は張り付けたようなものじゃなくて、本当に笑っている。
笑顔は笑顔でも、苦笑の色が強いものではあったけれど、それでもその笑顔は実に母さんらしい笑顔だった。
「いい性格しているね、香恋は」
「これはこれはご丁寧に。なにせ十五年も娘をほったらかしにする母親の娘ですもの」
「……もう、生意気ね」
「どういたしまして、お母様」
「なぁに、それ? いきなりお母様なんて言われたらくすぐったいだけなんだけど?」
「そうなるようにあえて言いましたから。……少しくらいは意趣返ししてもいいでしょう? だって、母さん、俺をなにかに巻き込むつもりなんだからさ」
「……そう、ね。それくらいの意趣返しは当然かしら、ね。希望ちゃんと離ればなれにさせてしまうし」
「……それってどのくらいのレベル? 違う国? それとも違う世界って意味?」
「後者、だね。残念なことだけど」
「やっぱりそっち、かぁ」
魔法陣らしきものが出てきたときから、おそらくはそうじゃないかなと思っていたけど、異世界に転移させられてしまうのは確定となった。
その転移から逃れる術はないのもまた。
「不思議がらないのね?」
「だって、お約束みたいなものじゃん。でも、そのお約束に俺が巻き込まれるとは思っていなかったけど」
「……そのわりにはずいぶんとあっさりしているのね? この世界にそこまで思い入れはないの?」
「あるよ。希望が一番だけど、希望以外にも思い入れはある。やっていたゲームのこととかさ。クランメンバーのタマちゃんって子がいるんだけど、たぶんもう会えないから、それはそれで悪いなぁと思っている」
そう、ネットゲームで知り合い、同じクランを組んでいる相手がいる。
そのクランには希望もいて、今後はもう会えないのかと思うと申し訳がなく思う。
なんだかんだでいろいろと大変な目に遭わされてきたゲーム──「エターナルカイザーオンライン」ではあるけれど、それでも知り合った友人や知人にもう会うことはないと思うと、なんとも言えない気分にさせられてしまう。
せっかく、タマちゃんと希望と協力して、上り詰めたデータがあるのだけど、その努力もすべてパーだと思うと、もの悲しくなってしまう。
「……そう。でも、そのうち会えるんじゃないかしらね?」
「どうだろうね」
未来はわからない。
だが、わからない未来であっても、タマちゃんたちにはもう会えないことは確実だった。
くだらないと言われれば否定はできない。
でも、くだらないと言われても、俺にとっては大切なことであるのはたしかだった。
「さて、そろそろ時間かしら。お別れの挨拶ができるけれど、どうする?」
母さんがじっと俺を見つめている。いや、正確には俺ではなく、俺の背後で光の膜をどうにかしようと何度も何度も拳を叩きつけている希望だった。
「香恋を、香恋を返して!」
希望は泣いていた。
泣きながらその手を血に染めている。
俺なんかのために、ろくでもない感情を希望に向けている俺なんかのために、希望自身が傷ついていた。
申し訳なくはあるけれど、それと同じくらいに嬉しさもあった。
身勝手な想いに自己嫌悪しながらも、俺は母さんに言われた通りのお別れをすることにした。
「……希望。いままでいろいろとありがとう」
「なにを、なにを言っているの!? なんで諦めたようなことを言うの!?」
「どうしようもないからってわかるからだよ。だから、もう」
「ふざけんな! いつもこっちが「諦めれば」って言ったら「諦めることを諦めているから」とかわけわかんないことを言うくせに、こんなときばっかり諦めないでよ! もっとあがいてよ!」
希望の言葉に、なんて返せばいいのかわからなかった。
たしかに希望の言った内容は、俺自身がよく言うことだった。
その俺がこんなときに「諦めてしまう」というのは、なんともらしくないことだった。
それでも現実を踏まえると、どうしようもなかった。
だけど、それを言ったところで、希望は納得してくれないだろう。
「……じゃあ、約束するってのはどうだ?」
「約束って」
息を切らしながら希望が言う。その手はとても痛々しい。
なにもしてあげられないことに、胸を痛ませながら俺はあえて約束を口にした。
「絶対にまた会えるって約束する。だから、いまは納得して欲しい。納得して離れて欲しい」
これだけじゃダメだとわかっていた。
それでも、いまはそう言うしかなかった。
でないと、希望まで巻きこんでしまうから。
俺は希望を巻きこみたくない。
希望には平和な世界で生きていて欲しい。
本心からの想いを込めて、守る気もない約束を口にしたんだ。
希望は唇を一度真一文字に結ぶと、小指を突き出してきた。
「……絶対だから。破ったら承知しないからね!?」
「あぁ、約束する」
「破ったら彼氏作ってやるんだから!」
「それは嫌だなぁ。うん、わかった。絶対守るよ」
守れもしない約束だった。
それでも俺はたしかに約束を交わすために、希望の小指にと自分の小指を向けた。
薄い膜越しだったから、ちゃんと小指を絡めることはできなかった。
それでも、たしかにそのとき俺は希望と約束を交わしたんだ。
一方的に破ることが決定していた、無責任だけど、たしかな約束を。
そうして約束を交わしてすぐ魔法陣の光はいままでになく強まった。
希望の姿さえも見えないほどに。
でも、すぐそばに希望がいることはわかった。彼女はそういう人だから。
だから俺は──。
「……行ってくるよ、希望。また会おうな」
それだけを口にして、希望と別れた。
「ごめんね、香恋。大変な役目になるけれど、あなたならできるとお母さんは信じている。だからくじけないでね」
若干不穏さを感じさせる言葉に、これから大変な目に遭うんだなぁと思うと、なんともやるせない気持ちになったが、もういまさらだってそのときは思っていた。
「気にしないでいいよ。覚悟はできた」
「そう。じゃあ、行きましょうか。遠い彼の地へと」
彼の地。そのときにはそれがどこなのかはわからなかったし、想像もつかなかった。
それでも、そのときの俺は「あぁ」と頷いた。
その頷きに母さんもまた頷きで返すと、魔法陣の光はより強まっていき、視界が白く染まった。
その際に母さんは「頑張ってね」とだけ言っていた。
その言葉に俺は「あぁ」と頷いたんだ。
そのやり取りの後、一瞬の浮遊感の後、俺は──。
「──えっと? どなた?」
──いまいる世界へと、異世界「スカイスト」へとたどり着いていた。
そうして辿り着いた異世界で初めて会ったのが、俺を旦那様と呼ぶカルディアだったんだ。
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やはり長いですね。
過去編はもうしばらく続きます
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