第8話 出会い

 この世界に来て最初に会った人が、カルディアだった。


 母さんのおかげで、異世界に転移された先で出会ったカルディア。


 そんな彼女といまのような関係になるなんて、当時は考えてもいなかった。


 考えることもできないほどに、彼女との出会いは、あまりにもとんでもないものだった。


 というのも俺はこの世界に来てすぐ頭から濡れてしまったからだ。


 正確にはお湯の中に頭から飛び込んでいった。


 ドボンという沈む音とともに、水中へと叩き込まれた。


 いや、みずから水中に飛び込んだと言う方が正しいのかな?


 気付いたときには、水の中にいた。


 揺れる水面とその先にある穏やかな光。そして歪んだ人の姿。


 それらを見て、自分が水中にいるのだということに気付けた。


 それも普通の水中ではなく、温かい水、いや、ぬるま湯の中にだ。


 飛び込んだ勢いは、お湯の中に入ったことでほとんど相殺された。


 だが、相殺しきることができなかったからか、床のようなものに顔をぶつけてしまった。


 わずかに涙目になりつつも、お湯の中で体の向きを変えて見えたのが、水面と灯り、そして歪んだ人の姿だった。


 どう好意的に捉えても、誰かが入浴しようというところに移動させられたというのは明らかだった。


 見ず知らずの他人が入浴する直前で乱入とか、どう考えても褒められたものじゃない。


 下手したら通報されるレベルだ。


 幸いと言っていいのかはわからないけれど、お湯越しに見える人の姿は、明らかに男性ではなく女性のものだった。


 これが異性であれば、よりまずかったかもしれないが、同性であればワンチャン許して貰えるかもしれない。


 ほぼありえないことではあるけれど、その時点の俺は本当に焦っていた。


 なにせ、気付いたらお湯の中に飛び込み、状況を掴めないまま、痴漢騒ぎに巻きこまれそうになっていたんだ。


 そりゃ焦るさ。


 しかも頭をぶつけた影響で口や鼻に勢いよく入り込んでいくお湯によって、一気に酸素を奪われてもいた。


 通常時であれば、「そんな都合いいことあるわけねえだろう」と思うことでも、そのときばかりは「都合のいいこと」が起こることを願ってしまった。


 その間も、酸素を奪われた影響で、視界がチカチカと点滅していた。


 このままお湯の中に居続けることができないのはわかっていたけれど、いざお湯の中から浮上することも躊躇われた。


 躊躇われたけれど、お湯の中にいられる時間は、息が続く制限時間は決まっていて、そのときの俺はもういくばくかの余裕もなかった。


 酸素を求めて俺はお湯の中から浮上していた。


 飲み込んだお湯を吐き出しながら、灰の中いっぱいに酸素を取り込む。


 ぜーぜーと荒い呼吸を繰り返しているうちに、点滅していた視界は元に戻り、立ちこめる湯気に塗れていると、視線を向けられていることに気づいたんだ。


 そこで改めて自分がどこかの浴室にいることがわかった。


 浴室は異様なほどに広かった。


 天井も壁も背伸びや両腕を思いっきり広げたところで、まるで届かないほどに広かった。


 それこそ曲芸のように肩の上に別の人を乗せたとしても、天井には届きそうにはない。


 数人と手を繋いだとしても、やはり左右の壁に届きそうにもない。


 その天井と壁は、大理石かなにかだろうか、美しい白亜の天井であり壁だった。


 そもそも、俺が飛び込んだ浴槽、いや、浴槽というには巨大すぎるそこは、浴槽というよりかは小さなプールほどはあった。


 そんな浴室に飛び込んだことを確認し、若干、血の気が引く音が聞こえた。


 どう考えても、俺が飛びこんだ浴室は、一般庶民の自宅にあるものじゃない。


 上流階級の邸宅にあるレベルのものだ。


 それこそ王侯貴族の城館にあってしかるべきもの。


 自分で自分の顔が青くなっているんだろうなぁと自覚しながらも、恐る恐ると視線の感じた方へと振り向き、俺は息を呑んだんだ。


 そこには、バスタオルらしきもので体の前面を隠していた銀髪の女性がいた。


 女性は唖然とした顔で、何度も瞬きをしていた。


 その瞬きに合わせるように、女性の背後から銀色のふかふかとしたものが上下していた。


(……あれ、尻尾だよな?)


 真っ先に思ったのは、どうして浴室にとか、目の前にいるのは誰なんだとかではなく、女性の背中に見えた銀色の尻尾のようなものの正体についてだった。


 自分でも順番がおかしいと思ったけれど、気になったのだから仕方がないといまでは思う。


 その尻尾らしきものに目が行くと、次第に女性の全体像が視界に入っていった。


 さすがにタマちゃんの尻尾のように自律行動はしていなかった。


 だが、上下に揺れるふさふさの銀色のそれは誰がどう見ても尻尾だった。


 次に見えたのは、女性の頭上にある尻尾と同色の立ち耳。


 立ち耳は諸般の事情で見慣れているけれど、彼女のものは、俺が見慣れていた立ち耳、狐耳とは違い、毛量も多く、ピンとしていた。


 狐耳というよりかは、犬系、それも狼の耳のようだった。


 尻尾のようなものが見えている時点で、普通の人間じゃないなぁと思っていた。


 そこに頭の上にある立ち耳を目にして、やはり普通の人間ではないというのを突き付けられた。


(……これが本物の獣人さんか)


 立ち耳と尻尾があるってだけならば、コスプレをしたレイヤーさんの可能性はある。


 可能性はあるが、そのときの俺は目の前にいる女性がコスプレイヤーさんではないことを確信していた。


 創作物のキャラクターのコスプレというものは、それも獣人系のキャラのコスプレはどうあっても、作り物感が否めないものだ。


 どれほど手の込んだ衣裳を用意したとしても。


 どれほどキャラクターのスタイルに近付くべく努力を費やしたとしても。


 決定的な部分に、どうして作り物感が生じてしまう。


 その決定的な部分こそが、獣人系のキャラで言えば、耳や尻尾などの生物的な部分だ。


 そこに関してだけはどう頑張っても作り物感は否めない。


 他の部分に関してであれば、限りなく近づけることはできる。


 でも、尻尾や耳と言った特徴的な部分に関しては、早々に限界が生じる。


 でも、彼女の耳や尻尾はその限界をやすやすと凌駕していた。


 それこそ、本物の犬耳と尻尾のようだった。


 こればかりはどれほど技術が発展しようとも、埋めることのできないもの。現実と創作物における超えられない壁だった。


 その壁を彼女はあっさりと乗り越えていた。


 本来人体にはない立ち耳と尻尾が、彼女の意思にそって動いていた。


 さすがに自律的な行動ではない。耳と尻尾が自身の意識を持っているようには見えない。


 けれど、彼女の意識に則って耳も尻尾も動いているように俺には見えてしまった。


 だからこそ、思ったんだ。 


 目の前のいる女性は、コスプレイヤーではなく、正真正銘の獣人だと。


 それもとびっきりの美人さんでかつ、とんでもなくスタイルのいい獣人の女性だった。


 脚はしなやかで細長いが、とても力強く見えた。


 腰はとても細く引き締まっていた。それこそ本当に内臓が入っているのかと思えるほどの美しいくびれを描いていた。


 その腰の上の胸元には、希望と同等レベルのふくよかで大きなふたつの塊があった。その塊はお湯に濡れて瑞々しく見えた。


 立ち耳や尻尾と同じきれいな銀髪と整った顔立ち、ルビーのような紅い瞳は、世界中を探せば似たような人は見つかるかもしれない。


 でも、見つかるのはそれぞれ単独の要素だけだ。すべての要素を併せもつ人なんていない。


 そのいない人が目の前にいた。


 陳腐な言い方をすれば、まさに奇跡を体現したような。そう、その美しさはまさに奇跡。天上の美を体現したようにさえ感じられた。


「……」


 目の前にいる美人さんの全身を眺めているうちに、俺は言葉を失っていた。


 いままで出会ったことがないほどに美しい人。

 

 そんな人が同じ地球上にいるとは思えなかった。


 それこそ別の星か、もしくは別世界の存在のように感じられるほどに。


 だからこそ、俺は自分がいる場所が地球ではないというのを、別の世界に来ているということをはっきりと自覚したんだ。


 ……コスプレにしては、イベントとかで獣人の姿を模す人はいるけれど、ここまでリアルな尻尾と立ち耳になることはできない。


 そんなおバカな理由で異世界に来たんだという自覚を産んだというのは、我ながらおかしいとはいまなら思うけれどね。


 それでも、たしかに俺はそのとき、自分が移籍界に来たことを、異世界転移したのだという自覚を持ったんだ。


 そうして転移した場所が、どこかの邸宅ないし城館の浴室だという頭を抱えたくなる状況だった。


 そんなある意味惨すぎる現実から逃避したくなりつつも、勇気をふりしぼって目の前でフリーズしている美人さんに声を掛けることにしたんだ。


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お風呂で出会うというラッキースケベな出会いとなりました。……まさかそれだけで一話を消費するとは←汗

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