学校生活

第49話新婚さん

「おはようございますガンジュ君! さぁ今日も張り切って、学校頑張りましょう!!」




 朝、Tシャツにジャージの半ズボンという寝間着姿で来客応対すると、聖鳳学園の制服に着替え、既に隙なく「女子高生」をやっている藤堂アイリが立っていた。


 まだ朝飯どころか歯も磨いていない俺は、若干口臭を気にしながら「おっ、おう……」とよくわからない返事をした。




「ごめん、時に藤堂。朝イチで、まず聞きたいことがある」

「はい! なんでしょう!」

「今、何時だ?」

「朝の六時半です!」

「学校には何時まで行けばいい?」

「八時五十分まで、と校則にはありますね!」

「学校の最寄りの駅に着く電車の時間は?」

「電車での通学時間は約四十分間なので八時頃までに駅に着けば安全かと!」

「んん、よくわかってるじゃねぇか。その上で更に質問だ」

「はい!」

「……なんでもう来たの?」




 俺が質問すると、藤堂アイリの整った小顔が満面の笑みを浮かべた。




「だって、なんだか落ち着いていられないんですもん! 早くガンジュ君と一緒に学校行きたいですから!」




 んむぅ、と俺は顎に手を置き、唸り声を上げてしまった。


 やっぱり、この人の放つキラキラとしたオーラ、たまに苦手である。




 徳丹城ダンジョンの事件から、既に二週間が経過していた。


 あの後病院に担ぎ込まれ、三日ほど退屈な入院生活を送った後の俺たちを待っていたのは、再び永遠に続くのではないかと思わせる事情聴取とお説教の時間だった。


 公安警察と迷宮統括省の役人にはこっぴどく叱られたが、藤堂アイリを助けた俺の功績、そして伝説の【潜入者ダイバー】であり、公安・統括省どちらにも顔が利く汀理事長の執り成しもあり、幸いなことに俺は叱られただけで諸々の罪には問われず済んだ。


 俺の大活躍はその後、連日連夜のニュースで騒がれはしたものの、それからすぐに政府の大規模な汚職疑惑が持ち上がり、マスコミの目はそっちに向いたきりで、今のところ俺の日常は恙なく平和だった。やはりダンジョンのことなど、世間一般の人にとっては遠い世界の話でしかないようだ。




 だが――ひとつ、決定的に変化したことがある。


 それは、俺と藤堂アイリとの距離感である。




 あの事件以降すぐ、藤堂アイリはチャンネル登録者数300万人を越える超大人気インフルエンサーであるにも関わらず、お抱え運転手の送迎を断り、俺と一緒に電車通学をすると言い出したのだ。


 俺と藤堂の家は反対方向だから、藤堂アイリはつまり、高級車で俺が住まいを為すアパートまで一度送ってもらい、俺と合流してから反対方向の駅を目指すという二度手間をこれから毎日するのだ、と言い出したことになる。


 俺は一回だけやんわり止めのだが、藤堂アイリはすっかりそうすると決めていたようで、例のキラキラ光る瞳とともに「駄目ですか?」と小首をかしげて訊ねて来られれば、俺に拒否権などあるはずはなかった。




 けれど――この時間に突撃されるのは、もう正直、若干勘弁してほしい。


 この人は確実にナメているのだ。俺の夜ふかし癖の凄まじさを。そして俺の低血圧の苦しみを。


 俺は大きくため息を吐いた。




「ごめん藤堂、俺、もうちょっと準備に時間かかる予定なんだ。悪いけど車の中で待っててもらっていいか? 願わくば一時間程度」

「車はもう帰しちゃいました! ということで、お邪魔でないならばここで待たせてもらおうかなと!」

「お邪魔だ、すっごくお邪魔だよ悪いけど。玄関で立ちんぼする大人気インフルエンサーに監視されながら飯とか普通食いたくねぇだろ? な? だからちょっとコンビニとか公園とかで待っててくれよ。準備出来たら連絡するから、な?」

「えぇ……それは正直嫌ですぅ……」




 藤堂アイリは基本的に裏表も何もないいい子で、「外で待ってなちゃい!!」と叱ればシュンと項垂れ、抵抗することなく従う子のはず……なのであるが。


 その時の藤堂アイリは滅多になく俺の言いつけに反抗する構えを見せたので俺は驚いた。


 それだけではない。更に、藤堂アイリはもじもじと玄関で身をくねらせ、ボソボソとこんな事を言った。




「その……どうしても、ここでガンジュ君を待ってたらダメ、ですかね?」




 今までの俺なら、ダメだ、と冷たく一言言い放ってこの人を回れ右させて背中を押し、ドアの外に追い出した後扉を締めて鍵をかけ、ドアチェーンを施し、新聞受けをガムテープで塞ぎ、それからアパートの室内全ての窓の鍵をチェックするぐらいのことは平然としただろう。


 だが、その時の俺は、もじもじとする藤堂アイリを一目見て、俺は己の中の全ての反論が虚しく霧散するのを感じた。




 ああ、ダメだ。


 この人にこんな表情でこんな風にお願いされたら、とても断れない――。




 俺は今まで自分のことを手負いの野良犬のような人間だと思っていたが、それは全くの間違いだった。


 俺は――俺という男は、一度優しくされると心から飼い主を慕ってしまうビーグル犬であったようだ。


 思わず、俺は口に手の甲を押し当てて横を向いた。




「ぐふっ……」

「えっ?」

「いや……なんでもない、なんでもない。わかったわかった、そんな目で見るな。……なら、狭くて汚くて散らかってるけど、上がってくか?」

「はい! 狭くて汚くて散らかってても全然上がっていきますッ!!」

「少しは忖度しろ、忖度。確かに狭くて汚くて散らかってるけどよ。今布団片付けるから……」

「ふわぁ……ガンちゃんおはよ……。……ん? アイリちゃん、もう来たのね、おはよ」




 なんとなく気が抜けるようなタイミングで、頭をもちゃくちゃにした冬子さんが起きてきた。


 藤堂アイリは実にいい子という感じで冬子さんに頭を下げた。




「ガンジュ君のお姉さん、おはようございます! あ、もしかしてこれから朝ご飯ですか?」

「え? うん。でも今日は寝坊しちゃったからお味噌汁はインスタントかなぁ……」

「なら私が作りますよ! お姉さんは二度寝してていいですよ! 冷蔵庫覗かせていただきますね!」




 えっ、と俺が驚く間にも、藤堂アイリはローファーを脱ぎ捨てて部屋に上がり、壁にかかっていたハンガーに自分のブレザーをかけると、腕まくりして手際よく準備を始めた。


 このお嬢様、料理なんて出来るのか……驚いたけれど、手早くエプロンを身に着けて冷蔵庫の中身を確認し、チャキチャキと菜箸や鍋を用意していく様は、明らかに普段から料理をやり慣れているものの手つきである。




「ふえぇ……アイリちゃんって料理も出来るんだ。なんか凄いね、ガンちゃん」



 

 冬子さんはまだ寝起きで目をショボショボさせながら、驚いたように藤堂アイリを見つめた。


 いや――料理が出来る、というよりは、多分この人は何でもできるのだろう。一度か二度、経験すれば、その圧倒的なセンスと才覚で何でもやりこなせてしまうタイプの人間はいる。この人もその手の人間なのだ。


 相変わらず凄いなぁ、この人は……と俺が頭を掻くと、ススス、と隣に冬子さんが寄ってきて、俺に小声で訊ねてきた。




「それで……ガンちゃん、アイリちゃんとはどこまで進んだの?」

「へっ?」

「告白はしたん? もう手ぐらいは握った?」

「え、えぇ……!?」

「え、何その反応? ……アッ! ま、まさか、もう男と女としてはやることはやってしまっていたり……!? がっ、ガンちゃんったらフケツ――!!」

「ちょ、冬子さん! 声が大きいですッ!」

「ん? なにか言いました?」




 藤堂アイリが不思議そうに振り返ったので、冬子さんの口を掌で押さえたまま俺は首を振った。


 藤堂アイリが再び調理作業に戻ったところで、俺は小声で言い聞かせた。




「あの、冬子さん、あのですね。冬子さんもあの時の配信は見てたと思いますけど、その、俺と藤堂は単なるコラボ相手であって、特にあの、あれはそういうことでは……!」

「絶対ウソ」




 そこで冬子さんは、俺の鼻頭をデコピンで弾いた。


 この人には珍しいぐらい洗練された挙動に、俺は驚いて鼻を押さえた。




「何年ガンちゃんと一緒にいると思ってんの。ガンちゃん、アイリちゃんのこと好きでしょ? 見てりゃわかるよ」

「だっ、だから特にそういう感情は俺には――!」

「はいはい、ガンちゃんは相変わらずひねくれてるなぁ。基本的に誰にでも仏頂面のガンちゃんなのに、アイリちゃんと会話してると物凄くドギマギしてるもん。それぐらい私じゃなくてもわかるっての」

「う――!」

「大体、好きでもない人をガンちゃんがあんなふうに抱き締めるわけがない。ましてやその人のために泣くなんて絶対ない。義理の姉である私でさえやってもらったことないのにさ」




 むぅ、と冬子さんが妙なところでスネてしまった。


 あたふたと更に焦った俺に、ハァ、と冬子さんはため息を吐いた。




「なんで認めないの。むっちゃいい子じゃんアイリちゃんって。しかも鬼のように可愛いしスタイルもいい。私だって男の子だったらきっと好きになってるよ。アイリちゃんだってガンちゃんのこと絶対好きだよ? 安心して思い伝えなさいよ」

「そ、そんなこと、なんで冬子さんに……!」

「わかるわ。これでも二十四年も女やってんだよ? 第一、女の子が好きでもない男の家に上がり込んで味噌汁なんか作るわけないじゃん」




 それは――ちょっとそうかな、と、流石の俺でも思う。


 冬子さんは表情を厳しくさせて俺に命じた。




「いい? アイリちゃんはよっぽどガンちゃんに褒めてもらいたがってるんだよ。まだその度胸がないなら、せめていっぱいお味噌汁を褒めてあげて。それは出来るよね?」

「はい……」

「それと、最後の言葉はアイリちゃんの方から言わせたらダメだよ? そこは男の子しなきゃ。思いを伝えるのは絶対にガンちゃんから、わかった?」

「だっ、だから俺は……!」

「ハァ、もういいよ。ちくしょう、そっからかよ。思いを伝えるどころか、それを自覚する勇気もないなんて……ガンちゃんは相変わらず人間力ないなぁ」




 呆れたというよりは落胆した声で、冬子さんはすごすごと布団に戻り、驚くほどスムーズに二度寝を始めた。


 俺は――というと、結局何をしていればいいかわからず、布団を押入れに片付けた後は結局テレビをつけて座り、特に興味もないプロ野球の前日の試合結果を見た。


 途中、ちら、とキッチンのほうを見ると、藤堂アイリは本当に楽しそうに料理をし、菜箸をカチカチと鳴らしながら鍋を見つめていた。




 なんだか新婚さんみたいだなぁ……と思ってしまった俺は、直後にぶんぶんと首を振ってその妄想を振り払い、半ば意地の一言でテレビ画面を凝視し続けた。


 わかめと豆腐の味噌汁、そしていつの間に作ったのか、おかずとしてハムエッグとサラダという料理が食卓が並ぶまで、三十分とかからなかった。


 ちなみに、藤堂アイリの作ってくれた味噌汁はとても美味しかったし、当然のことながら、いつも冬子さんが作ってくれる味噌汁とは違う味がした。







「面白い」

「続きが気になる」

「もっとイチャイチャせぇよオイ」


そう思っていただけましたなら


「( ゚∀゚)o彡°」


そのようにコメント、もしくは★で評価願います。

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