第12話くだらない世界

 明くる日。


 俺は数日ぶりに登校――しかも、午前八時四十分頃、規則通りに登校した。




 一応、早朝からの登校は俺の中では革命的な出来事だったのだけれど――俺のことなどハナから意識していないクラスメイトの連中は、俺のささやかな快挙を俺ごと完全に無視した。


 俺は俺の席に着席し、机に頬杖をついて、始業までの時間を潰すことにした。




 と、そのとき。ピロリン、という音が聞こえて、俺はスマホを取り出した。


 冬子さんからか? なにか忘れものでもしたっけ?


 スマホをポケットから取り出すと、藤堂アイリからのメッセージだった。




『寝坊してませんよね? 学校ガンバってください!』




 ――なんだか昨日から、やけに馴れ馴れしくメッセージを送ってくるなぁ。


 俺の中ではまだ藤堂アイリは「知り合い」に昇格したばかりだが、あっちにとって俺はとっくに「友達」に昇格しているらしい。


 それが有り難いことのようにも、気恥ずかしいことのようにも思えて、俺は「おう」とだけ返信した。




「昨日のアレ見た!? ヤバいよね!」

「ヤバかったヤバかった! マジ腹筋割れるかと思うぐらい笑った!」

「アレはダメだわ、反則だわ」

「マジウケた。もう一回見たいわ、アレ」




 ――ご存知のことと思うが、頭の軽い連中には、主語が欠けていても会話を継続できるという妙な特技がある。


 アレってなんだよ? そうツッコんだだけで「サゲる奴」という理不尽な認定を喰らって爪弾きだ。




「つーかマジで五限が体育とかありえなくね? ダルすぎっしょ」

「その後しかも数学。田原の授業だぜ? 拷問だっつーの」

「俺完全に寝るわ。昨日夜ふかししたし」

「また夜中までソシャゲかよ」

「まだソシャゲしてねぇよ、リセマラしてたんだよ」




 俺は昨日、10億円という金額を聞いて卒倒しそうになった冬子さんを介護しながら、ベッドの上で夜中まで10億円の使い道を話し合った。


 一軒家を買おう、車を買おう、不動産を買おう、世界一周旅行しよう、いいや宇宙旅行で行先は火星だ……。


 そんな夢ある話をしている俺と同時刻、アイツは必死になってソシャゲをリセットしたりインストールしたりしていたんだな。




「すげー」

「やべー」

「マジで?」

「ウザっ」

「キモーイ」

「ひでー」

「ありえねー」




 ――おかしい。


 頬杖をつきながら、俺は己の中で黒々とした何かがとぐろを巻き始めるのを感じた。




 俺が今までいた世界って、ここまでくだらなかったか?



 

 名前も顔も覚えていないクラスメイトたちの会話を聞きながら、俺は今更ながらの疑問が頭をもたげてくるのを感じていた。


 


 曲りなりにも俺が命をかけてダンジョンで僅かな銭を稼いでいるというのに、コイツらはそんなこと全くしていない。


 ましてやダンジョンのことなど、なにひとつ話題にしない。


 日々ダンジョンから取れる資源を使って今も生きているというのに、コイツらはきっとダンジョンになど一歩も足を踏み入れないまま生きて死ぬのだろう。


 彼らと俺では、そもそも住む世界が最初から異なっているのだ。




 いや――それだけではない。


 なんというか、コイツらからは、普段ダンジョンに満ち満ちている「競争」のニオイが全くしないのだ。




 ダンジョンはそれ自体が巨大な生存競争の場であり、弱いやつは死に、強いやつだけが生き残る。


 ならばそこに潜る【潜入者ダイバー】もそれ相応に強くないとならない。


 だから他の【潜入者ダイバー】と切磋琢磨し、少しでも強くなろうとする。


 俺だって、今もこうして生きて【配達者デリバラー】が出来ているのは、それなりに努力も苦労も積み重ねたからなのだ。




 けれど――コイツらからはそんな切磋琢磨のニオイは毛ほども感じない。


 そもそもここは、生きるために「競争」が必要である場であるとは――俺には到底思えないのだ。


 それどころか、逆にコイツらは、俺を「人間のクズ」だという。


 コイツら非覚醒者にとっては、ダンジョン内で命を張ってバイトすることよりも、毎日学校に来てお膝の上に手を置いてただ座っていることの方が――遥かに重要なことなのだ。




 ならば俺が一週間前に見た、ダンジョン内のあの死体はなんだったのだろう?


 あの死体は幻などでは決してなかった。


 コイツらは葬式以外の場所でちゃんと死体なんか見たことがあるのだろうか?


 それ以上に、すぐ近くで誰かのために戦った人が無残に殺されているというのに、コイツらは一瞬だってそんな人がいたことに感動しない。


 ならばあのトウホクメイキュウオオトカゲに踏み潰されて死んだ兄ちゃんは、一体なんのために死んだというのだろう。




「ヤバいよね」

「ヤバい」

「ウザいよな」

「ウザい」

「ダルすぎっしょ」

「ああ、ダルい」




 そう思うと――なんだか、クラスの連中の会話が苦痛で仕方がなくなった。


 俺は強いめまいを感じ、思わず両耳を手で塞ぎたくなった。




 コイツらは何かに甘えている――。


 そういう軽蔑の念が、よくないこととはわかっていても、俺の中で無視できないほど大きく膨らんでゆくのを、俺は確かに感じていた。




 コイツらにとっていちばん大事なもの――それは「日常」なのだ。


 その「日常」という停滞の時間が永遠に続けばいい、コイツらは真剣にそう思っている。


 だが、コイツらは今もその「日常」を形作るために日本のどこかで戦っている人のことを考えない。


 そもそもちゃんと見つめていないし、知ったところで何も考えないし、忘れたら二度と思い出しはしない。


 ただ一方的に、与えられるものを浪費し、大事な何かを日夜せっせと唾液とクソに塗れさせている。


 コイツらはハナから自分には生み出す能力がなく、消費する能力しかないとわかっているのだ。


 わかっているからこそ――現状に豪快に胡座を掻き、どこまでも傲慢になる。




 




 俺は、俺は今まで、こんなにもくだらない緩い連帯に巻かれて、やっとこさ生きていこうとしていたのか――。




 俺は俺の中で、諦めとか観念とか、そういったもので塗り固めていたはずの何かが、少しずつ崩れるのを感じていた。




 なぁ上米内願寿――お前はこんな世界にずっといるつもりなのか?


 いくら人間力がないとはいえ、頑張ればお前は、普通の人に伍して、やっとこさ生きていくぐらいは出来るだろう。


 だが――それで満足か?


 せっかく自分に10億円ものカネを賭けてくれた人がいるのに。


 俺の手を取って上へ引き上げてくれようとしてくれている人がいるのに。


 その人の手を振り払い、この浮かびも沈みもしないチンケな人生を――言わば、ずっとバズることのない人生を送れるのか?




 お前が必死になってダンジョンでバイトし、この人生に見出そうとしていた何か。


 そんなもの、ハナからこの世界には存在しないのではないか?


 この世界には最初から堕落と傲慢と停滞しかなくて、本当に価値のあるものは、もっと別の世界にあったのではないか?


 そう、それはちょうど、藤堂アイリがいる世界のような世界に。


 頑張れば誰かから称賛され、賛美されるような、言わば「バズる」事が有り得る、キラキラした世界に――。




「オイオイ、上米内君が朝なのに学校にいるぜ! 天変地異かよ!」




 ――と、そこで危険な俺の煩悶を打ち切ってくれた声があった。


 見ると、堂島が例の取り巻きたちと一緒に俺の前に勢揃いしていた。




「明日は雪が降るんじゃねぇの? どうした上米内君、学校なんか来て。バイトはどうした?」

「あー……バイトなぁ……」




 もうしなくてよさそうなんだよなぁ、とは、流石に言わなかった。


 俺がぼんやりとした口調で言うと、ギャハハハ! と堂島が笑った。取り巻きたちもそれに追従するように下卑た声で笑った。




「どうしたよ、さてはとうとうクビになったのか! まぁお前みたいなヤツ、どこが雇ってくれてんのか知らねぇけど、こりゃますます俺の渡すゼニが生命線かよ! もしアレなら動画でお前に出来る仕事増やしてやろうか!?」

「あー……悪い、堂島」




 金銭で協力していただけだから謝ることはないのだけれど、その時はなんだか、このクズにさえ罪悪感を感じざるを得ない程の事態が裏で進行していたのだ。


 俺の謝罪に、堂島が少し驚いたのがわかった。




「お前からのバイトな、俺、もうやめるわ」

「は?」

「この間足りなかった千円のことはもういい、忘れてくれ。それ以前にもちょくちょくケチられてたけど、もうみんないいよ。請求はしない。だから金輪際俺のことは忘れてくれ」

「いやちょ、突然何を抜かしてんだよお前」




 堂島が驚き半分、憤り半分という声で俺に詰め寄ってきた。




「なんだぁ? さては高収入のバイトのクチでも見つけたのか!? 俺の配信はどうすんだよ!?」

「どうすんだよもこうすんだよも、別に今までお互い利害が一致してたからやってただけだろ、あんなもん。どっちかに利がなくなったら消滅するだろそりゃ」

「ふざけんなよ! 何を勝手に打ち切ろうとしてんだよ!」




 堂島はまるで恫喝するかのように俺の机を叩いた。


 なんだか、その憤りの理由も、今の俺にはわかってしまった。

 

 別に堂島は俺が動画に出演してくれないと困るわけではないのだ。


 俺という男をカネで支配し、常に下の人間なのだと見下すことで、堂島は何らかの心の安定を得ている。


 だから俺が動画出演を辞めると言い出した事自体にではなく、俺という人間が自分の意見でやめると口にしたこと自体に憤っているのだ。


 やはり――ものすごくくだらないプライドとしか思えなかった。




「大体今までお前にいくら払ったと思ってやがんだ!? その恩を忘れたのかよ! どうせテメェみたいな野良犬、まともなバイト先なんか見つかるはずねぇ! サツにパクられるような危険なバイトするぐらいなら俺の動画出てた方がマシだろうが! なんならバイト代を値上げしてやっても――!」

「いや、そうじゃない、そこじゃないんだよ」

「は?」




 あんなクズのような男相手に、新技の実験台にされて――。


 藤堂アイリの言ったことはその通りだ。


 今まで俺はこのクズのような男のクズ行為を手伝い、自分の尊厳を切って売ることで僅かなカネを稼いでいた。


 けれど――やはり何度考えても、それはいけないことだと思うし、恥ずかしいことだとしか思えなかった。


 たとえそんなカネで夢の国に行ったとしても、ミッキーもミニーも微笑んでくれないに違いなかった。




 俺はスッ、と視線を明後日の方向に逸し、ぼそりと言った。




「だって――やっぱ恥ずかしいだろ。お前みたいなヤツを手伝ってバイト代もらうのって」




 その瞬間、堂島の顔が物凄い勢いで赤くなり、次に青褪めた。


 もう激昂などというレベルでないぐらいブチギレたのは確実だったろう。


 だが堂島の硬い拳が俺に向かって振るわれるより先に、クスクス、という複数の笑い声が聞こえ、堂島がハッと背後を振り返った。




 いくらなんでも――堂島やその取り巻きがこのクラスの人間からよく思われていないことぐらい、俺にだってわかっていた。


 笑われたことを恥たように、堂島は少しうろうろっと視線を虚空に泳がせた後、俺に向き直り、ケッ! と吐き捨てた。




「テメェ、覚えとけよ。必ず後悔することになるからな」

「だから後悔も何も、単なるバイトだろ。俺はバイト辞めます。今までお世話になりました。……これでいいか?」

「クソが! このままじゃ済まさねぇぞ!!」




 堂島は怒鳴りながら俺の机を蹴飛ばした。




「どうしても出演をやめるっていうなら、考え直させるまでだ! いいか、絶対に後悔させてやるからな!!」




 ガン! と再度俺の机を蹴りつけて、堂島はノシノシと去ってゆく。


 その背中を見て、取り巻きたちも気後れしてその後に続いた。




 あーあ、なんかもう、色々面倒くさくなっちゃったな。


 堂島の性格を考えれば、もし俺が言う通りにしなかったら、何を仕掛けてくるかわからない。


 俺は迷った末にスマホを出し――藤堂アイリにLINEを送った。




『悪いお嬢様、少々面倒なことになるかも』

『どういう意味でですか?』

『例のウチのクラスの迷惑系DLiverを怒らせちゃった』

『そりゃご愁傷さまです』




 その後、藤堂アイリから連続してメッセージが届いた。




『ガンジュ君はどうするつもりですか?』

『悪いけど、ソイツがその時配信してたなら出演することになるかなと思う』

『それは不可抗力ですから仕方ありません。殺すのだけはやめてくださいね』

『わかってる』

『それと』




 再び連続して届いたメッセージの文面に、俺は思わず、頬が緩みそうになった。




『私の動画に出るより早く身バレしてしまうなら、その時はなるべく派手にお願いしますね?』




「りょーかい」




 俺はそうひとりごち、その通りにメッセージを送った。







人生で始めてカクヨムの総合ランキングに乗りました。

このまま遡上できるようにバンバン評価お願いいたします。


この作品の連載のモチベーションとなりますので、

もしよろしければ下の方の★から評価をお願いいたします。


よろしくお願いいたします。



【VS】

この作品も面白いよ!!


転生・櫻井◯宏 ~最後に裏切って殺される乙女ゲームのCV:櫻井◯宏キャラに転生した俺、生き残るためにこの魔性の声を武器に攻略キャラ(男)とフラグ立てまくります~


https://kakuyomu.jp/works/16817330657915304338

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る