第41話世界最高の女
轟音と、大量の岩石と共に、俺は一個下の階層に落ちた。
上を見上げると、丸く抜けたダンジョンの床がかなり上に見える。
:ダンジョンの床ぶち抜いた……
:想像の遥か斜め上で草も枯れる
:これをあと80回以上やるんか
:気が遠くなるぞ……
:ダンジョンイーツよせ死ぬぞ
:拳で床抜くとかこの映像高く売れるやろな
:もうダンジョンの研究者はダンジョンイーツを解剖とかした方よくない?
「……よし、思った以上に頑丈なダンジョンで助かった。後はこれを繰り返して……!!」
途端、床を殴りつけた右手に痺れが走り、俺ははっと右手を見た。
70%程度に引き上げた《肉体強化》は、通常仕様に限るなら、俺の限界に近い数値だ。
一応、俺はこれよりもっと肉体を強化することが出来るが、そのレベルを実戦で使ったことは一度もない。
第一、そんなことをすれば如何に強化したとは言え、俺の肉体が悲鳴を上げてしまう。
俺の魔力量は俺が強化できる肉体強化のレベルを遥かに上回っており、100%の力を発揮したら、おそらく拳が割れてしまうことだろう。
地殻変動を起こすダンジョンが更に深層に藤堂アイリを連れ去る方が先か、それとも肉体強化の連続使用により、俺の肉体が限界を迎える方が先か――。
俺は右手をさすりながら、嫌なチキンレースになったものだと、笑った。
「……へっ、初っ端からビビっちまうわけにはいかねぇわな。《肉体強化》、70%――!!」
瞬間、俺は再びダンジョンの床を殴りつけた。
岩盤に深く亀裂が走り、大量の岩石が捲れ上がって、足元に感じている重力が消失した。
これでまた一階、下に落ちた。
俺は全身に被った土埃を払うこともなく、再びダンジョンの床に向き直った。
「待ってろよ藤堂。俺が、俺が今すぐそこに行ってやる――!!」
死なせない。絶対に、あの人だけは救い出して見せる。
その決意を胸に、俺は再びダンジョンの床を殴りつけた――。
◆
気が、遠くなりかけていた。
同じ作業を、自分の足元を殴りつけ、床をぶち抜いて下に落ちる作業を、もう一時間近くも繰り返していた。
連続使用したことで魔力量もだいぶ減ってきていたし、床を殴りつけ続けた両の拳は擦り剥け、ジンジンとした痛みが断続的に脳髄に突き刺さっていた。
ハァハァ、という自分の呼吸音が耳にうるさくて、耳をちぎって捨てたくなっていた。
「まだまだ……! 残りあと三十階層、ブチ抜いてやる……!」
:もうやめて
:無茶だやめろ
:拳から血が出てるぞ!
:ダンジョンイーツもうやめて! 少し休んで!
:もうかなり魔力減ってきてるだろ!
:もう見ていられない……。
:一旦休憩しろ、頼むからしろ
「休んでる暇なんか……ねぇよ。今も藤堂は俺のこと待ってんだぞ……!」
俺は返り血混じりの汗を、服の袖で拭った。
既に60階層以上、下に降りて――否、下に落ちてきている。
上を見れば俺が淡々と穿ち続けてきた穴が一直線に見え、途中から霞んで上が見えなくなっている。
強化し続けた肉体には既に限界が来ており、全身の骨が軋み、筋肉はバラバラに引きちぎれてしまいそうに痛んだ。
だが――あと三十階、藤堂アイリのいる階層までは残りがある。
ここで諦めてしまったら、もはや地上に戻る体力や魔力があるかどうかも怪しい。
下に潜り続けるより他にないのだ。
バチバチッ――と、俺の右手に残り少ない魔力が迸った。
「うがあああああああああああああ!!」
俺はだいぶ気が抜けてしまった咆哮と共に、床を殴りつけた。
その一撃で床には亀裂が走ったものの、底を抜くまでには至らず、石の破片が飛び散っただけだ。
「くそっ、くそおっ! 抜けろ! 抜けろってんだよ!! ……クソがあッ!!」
四回も殴りつけて、ようやく小さな穴が空き、俺は下の階層に落ちた。
もはや受け身を取ることも億劫になっていて、俺は尻から床に墜落する。
肉体を強化していたせいで怪我はなかったが、尻から墜落した衝撃で視界に火花が散り――そこにバラバラと上から降ってきた拳大の岩が顔面を直撃し、ツン、と鼻の奥が錆臭くなった。
「っ
キューン、と、小さなモーター音とともに、抜けた底の穴からドローンが飛んできて、俺の頭上を飛び回る。
まるで小鳥が俺のことを心配してくれているようだな……と思った俺の視界に、配信デバイスの画面から洪水のようにコメントが流れてきた。
:ダンジョンイーツ無事か!?
:頑張って!!
:頑張れ
:少し休め、お願いだから
:やべぇよ半分泣きながら見てるよ俺
:休んでー!!
:無茶するな、死んだらどうする
:死ぬなダンジョンイーツ。お前が死んだら誰がアイリを助けるんだ
「……へへっ、みんな、ありがとうな。心配かけちまってすまねぇ。けど俺は大丈夫だ。まだまだやれる……!!」
そう言って起き上がろうとして……できなかった。
起き上がろうとする意思とは裏腹に、骨も筋肉も内蔵も、全てが鋭い痛みとともに「お願いです、やめてください」と懇願するばかりで、言うことを聞こうとしない。
思わず、俺はデリバリーボックスを背中から下ろし、その場に大の字になって、虚空を見上げてボーッとしてしまった。
「……あーあ、流石に無茶かぁ。ゴメン、ちょっと小休止。しばらく雑談ってことにする。……藤堂、悪いな。少し辛抱しててくれ」
少し休むか……とすべてを諦めて、俺はしばし、画面の向こうの数十万人の視聴者と雑談することにした。
「へへ、お前ら。正直ぶっちゃけるとよぉ、今の俺、結構キツいんだぜ。もう身体に痛くねぇところがねぇ。流石にこんな階数、拳でブチ抜いたことないからな……」
:当たり前だー!!
:六十回も岩殴りつけてりゃそうなるだろうが!!
:お前以外誰がそんなこと出来んだよ!!
:何言ってんだこいつ
:いいからちょっと休め!
:つーかダンジョンイーツって配達の度に毎回こんなことしてんの!?
「流石に毎回はやってねぇよ。禁じ手だって言ってんだろ。俺の親父殿……夏川健次郎はよくやってたけどな。ダンジョンの床と配達とどっちが大切なんだ、とか抜かしてよ……」
:は!?
:え!?
:夏川健次郎!?
:今夏川健次郎って言った!?
:親父殿!?
:すげぇ爆弾発言サラッとすなぁ!!
:夏川ってイザナギの夏川健次郎?!
:ダンジョンイーツって夏川健次郎の息子なの!?
「……おお、言ってなかったっけ? 夏川健次郎は俺の義父だ。わかってると思うけど、俺は野良犬なんでな。親父殿は俺を拾ってくれた恩人だよ。まぁ、恩と同じぐらい、
:ああ……なんか納得した
:ダンジョンイーツはそれでそんな強いのか
:夏川健次郎に息子がいたなんて初耳だぞ
:ダンジョンイーツって孤児だったんだ……
:全世界が震撼するだろこの話
:同接50万!!
「ダンジョンイーツも親父殿が作ったんだぜ。俺は親父殿と一緒に配達してその技を学んだんだよ。……あのクソ親父、本当にえげつねぇ方法で俺を鍛えやがった。ダンジョンの50階から一人で戻ってこいだの、ドラゴンの前に置き去りにするだの……今生きてんのが信じられねぇよ、俺自身も」
:エグい……
:ファーwwwwwwwwwww(昇天)
:夏川健次郎wwwwwww
:何考えてんだよお前の親父殿!!
:最悪すぎるwwwwwwwww
:スパルタってレベルじゃねぇぞ!!
:ダンジョンイーツよく生きてたなwwwww
「ホントだよ。よく生きてたよ、俺。けどあのクソ親父、なんかくたばる間際に言ってたなぁ。お前に教えた技術はダンジョン探索のための技術じゃねぇ、惚れた女を助けるための技術だとかなんとか……」
『ガンジュ、お前に教えた技術はダンジョン探索のための技術じゃねぇ、惚れた女を助けるための技術なんだ。それを忘れんな』
病に冒され、すっかりと骨と皮ばかりになった親父殿――夏川健次郎は、病床のベットの横で仏頂面をしている俺に、そう言った。
『惚れた女を助けるための技術、ってなんだよ、親父殿。俺が惚れた女は最初から地底にいる設定なのかよ』
『へっ、味なこと抜かすようになったな、クソガキ。……いいから黙って聞け。お前だっていずれは惚れた女の一人も出来る。それを助けるために教えたって言ってんだ』
『俺は地底にいるような女に惚れるのは嫌だよ』
『だから例え話だって言ってんだろ。……実際、俺は惚れた女を助けることが出来なかった。経験の話だよ、経験の話』
その話は、何度か冬子さんから聞いていた。
奥さんの話――そう悟った俺が流石に黙ると、親父殿は呻くように言った。
『アイツ、夏川すみれは――こんな俺に連れ添ってくれた、世界で最高にいい女だったよ。優しくて、綺麗で、思いやり深くて――少なくとも、絶対死なせちゃいけねぇ女だったことだけは間違いねぇ。俺は……そんな世界最高の女を、むざむざ地の底で見殺しにしちまった……』
親父殿の言葉には、深い後悔が滲んでいた。
『どんな強くても、どんな名声があっても、どんなに腐る程カネがあっても、助けられねぇ命は助けられねぇもんだ。俺たち【
日毎にか細く、弱くなっていく親父殿の野太くて低い声が、その時ばかりは、なんだかいつもより優しく聞こえた。
そう、この人も、このような人であっても、いつかは死ぬのだ。
そして死を前にすれば――気弱にもなる。
俺はその事実が信じられないもののように思えて仕方がなかった。
ダンジョン探索技術の父と呼ばれ、実際、鬼のように強かった親父殿が、何故病なんぞにやられて死にかけているのか、俺にはわからなかった。
病というものは、ドラゴンやオークキングさえも一撃で叩きのめす親父殿より強いというのか。
結局――俺はぷいと横を見て、軽口を叩いた。
『……俺は女なんかに惚れたりしねぇよ。ただでさえ家族以外の誰も信用しできないのに。俺はずっと一人でいい。俺の人生には親父殿と冬子さんだけいればいいんだ』
だから、死なないでくれよ――。
そう願う俺の言葉の真意を汲み取ったのか、親父殿はそれは無理だというようにへへっと笑い、俺の頭をやせ細った手で撫でて――その一週間後、静かに奥さんのもとに旅立っていったのだっけ。
「惚れた女、かぁ――」
俺はカメラに拾われないよう、目を瞑り、小声でぽつりと呟いた。
目を瞑った真っ暗な空間の中に、何故なのか、藤堂アイリの顔が浮かんだのが見えた気がした。
なぁ俺よ。
こんなにボロボロになってまで、必死になって地底に降りていこうとしている俺よ。
お前は、藤堂アイリに惚れてるのか――?
ずっと怖くて出来なかった自分への問いを、自分に投げかけてみる。
こんな俺が、人を好きになれるはずがない。
こんな俺が、人を好きになる資格なんてない。
こんな俺を、好きと言ってくれる人などいない――。
ずっとそう思って生きてきたのに。
今やそれは随分頼りない決意だとしか思えなかった。
泥の中の人生を歩んでいた俺を見出してくれた人。
俺に10億円というカネを賭けてくれた人。
俺という人間の中に眠っていた光を信じ、綺麗だと言ってくれた人。
俺という男が側に並び立つには、あまりにも強い光を持っている人だけど。
そんな眩しすぎる人のことを、あろうことか俺は、俺は――。
むくり、と俺は起き上がった。
「――よし、大分休憩できた。お前ら、雑談付き合ってくれてありがとうな。」
すう、と息を深く吸い――俺は血が滴る拳を握り締めた。
少し自問自答した結果――俺からの返答は、以下のようなものだった。
俺が藤堂アイリに惚れてるかどうか、だと?
そんなもの、俺一人ではわかるはずがねぇだろうが。
だから会えば――もう一度、藤堂アイリに会えれば、きっと答えがわかる。
再びまたその顔を見た時に、心からそう思えたなら――多分、それは、そういうことでいい。
それを確かめるためにも、俺は藤堂アイリのもとに行く。
会って、確かめる。
藤堂アイリと会れえばきっと、俺の本当の気持ちが、そのときにわかる。
バチバチッ……! と、休憩でほんの少し回復した青白い魔力が、俺の拳を包みこんだ。
「待ってろよ、藤堂――!!」
ぎりっ、と歯を食いしばり。
俺は再び、渾身の力で床を殴りつけた――。
◆
休日なのに書き溜めが増えない件。
かなり読まれてるのでなんとか毎日更新したいと思います。
皆さん頑張りますのでなんとか下の方の評価欄から★、
ないし「(゚∀゚)o彡゜」とコメントして応援よろしくお願いいたします。
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