第42話頑張れ

 自分の声には思えない、獣のような唸り声が喉の奥から漏れ出た。


 俺は血の滴る拳を握り、抉れた地面を凝視したまま立ち尽くしていた。




「ハァハァ……! 87階まで来たぞ……!! あと、あと、3回フロアスキップすれば、藤堂にたどり着ける……!」




:無茶だ本当にやめろ


:魔力枯渇で死ぬぞ! 死ぬって!!


:いいから今日はやめとけ! よく頑張った休め!!


:ここで死んだらなんにもならねぇだろ! 


:もう見ていられない


:なんでそこまで必死なんだ


:ダンジョンイーツ鬼みたいな表情してる……


:こいつ複数の意味で本当に人間か? 




 コメントがものすごい勢いで画面を流れてゆく。


 いちいち読んでいられないが、それは兎にも角にも俺のことを心配してくれる内容であることはなんとか読み取れた。


 ガクガクと、疲労と酸欠で揺れる頭を死ぬ気になって正面に保ちながら、俺は右の拳に魔力を集中させた。




 最初はアーク放電のような音を奏でて弾けていた魔力も、今や掻き集めたところで青白くぼんやりと光るだけだ。


 ボロボロの肉体がどうにかこうにか強化され、岩盤を叩き割る怪力と硬さとを保った状態で拳を振りかぶったその瞬間――ふいに気が遠くなり、集中が途切れた。




 その途端、強化された拳の魔力も途切れ、俺の拳は何の強化もされていない状態で岩盤を殴ってしまった。


 うぎゃあっ! と、聞いたこともない自分の悲鳴が漏れ出て、俺は堪らずに地面に転がった。




:え!? 何!?


:遂に限界だよ


:魔力枯渇したな


:もう肉体強化も限界だろ


:ダンジョンイーツ大丈夫か!? 拳割れたか!?


:骨大丈夫か!!




「ぐ、ぐぐ……! 痛ぇ、くそっ、死ぬっほど痛ぇ……! ……悪いお前ら、ちょっと気が遠くなりかけて、《肉体強化》がスベっちまった……ダサいところ見せてすまねぇな」




:もう本当に休め! 今日は終わりでいいから!


:配信切って寝ろ!


:もう十分だ! 十分頑張った!


:アイリもお前に感謝してると思うぞ。だからもういいって


:休息しろ! 今ここで魔物に出会ったら確実に死ぬぞ!




 やべぇ、これはやべぇぞ。コメント欄が俺を甘やかそうとしてきやがる。


 よく頑張った、もういい、もういいから休め……。


 その言葉の温かさに、ついつい自分を甘やかしてしまいそうになる。


 今日のところはもういいか。そんなことを思ったが最後、メルトダウンの真っ最中のダンジョンは再び構造を変え――藤堂アイリはさらなる深淵に堕ちていってしまう。




「なぁお前ら……頼む。心から、お願いしたいことがある」




 俺は配信デバイスに向かって懇願した。




「悪いけど、俺は諦めたくねぇ、諦められねぇんだよ。悪いけど、俺を甘やかすようなコメントは控えてくれねぇかな。その代わり……そうだな、頑張れ、ってコメントくれるか?」




 俺の真剣な声でのお願いに、あれだけ洪水のように流れていたコメント欄が一瞬、水を打ったように静まり返った。




「俺は絶対に藤堂アイリを助ける、助けたい、助けなきゃいけないんだ。だから……応援してくれ。俺、今まであんまり人生で誰かに何かを応援してもらった経験がねぇんだ。だからお前ら、頼む。俺を――俺をもう少しだけ、頑張らせてくれねぇか」




 その一言に、一瞬静まり返ったコメント欄が――大爆発を起こした。




:頑張れ


:頑張れ!!


:ダンジョンイーツ頑張れ!


:ガンバ!


:(゚∀゚)o彡゜(゚∀゚)o彡゜(゚∀゚)o彡゜(゚∀゚)o彡゜(゚∀゚)o彡゜


:頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ


:頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ


:頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ


:You can do it!! You can do it!! Keep it uuuuuuuuup!!




 俺のお願いに、コメント欄が一斉に「頑張れ」の一言で埋め尽くされた。


 一瞬、その量の凄まじさに驚いて絶句してしまった俺の視界を、さらなる「頑張れ」の爆流が埋め尽くした。




:加油加油加油加油加油加油加油加油加油加油加油!!


:頑張れー頑張るんだー!!


:Желаю удачи! Желаю удачи!


:아자! 아자! 아자!!


:頑張れ頑張れ頑張れ出来る出来る絶対出来る!!!


:ダンジョンイーツ頑張ってくれ! アイリを助けてくれ!!


:がんばれ!! がんばれ!!! がんばれ!!


:Viel Glück!!


:がんばれじょっぱれあっぱれ!!


:頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ!!!


:ダンジョンイーツ頑張れ!! お前らなら絶対出来る!!


:ダンジョンイーツ頑張れ!! がんばれーーーーーーーーー!!




 それはまるで、俺だけに向けられた励ましの流星群だった。


 今までの人生では常に一人ぼっちだった俺なのに、今ではこうやって応援してくれる人々が、こんなにもいる――。


 そのコメントの量にしばし圧倒されてしまった俺は――一瞬、胸がいっぱいになり、涙さえ滲みそうになった。




「……へへっ、お前らはチョロいな。でも、ありがとうよ。おかげでもう少しだけ、頑張れそうになってきたぜ」




 ぐっ、と、俺は拳を握り締めた俺が魔力を集中させると、さっきまで枯渇寸前だった魔力が、再び鋭い音を立てて火花を弾けさせた。


 はっ、と俺はその変化に驚き――笑ってしまった。


 どうやら人間は必死になって応援されると、枯れる寸前の魔力すら戻ってくるらしい。




「よぉぉぉし、いくぞお前ら!! 《肉体強化》、70%――! 必殺、強制フロアスキップ――!!」




 気合いの怒声とともに突き立った拳は、なんと一撃で岩盤を打ち砕き、俺は88階層へと落ちていった。







「――よし、いよいよ89階層だ……! この下に、この下に藤堂アイリがいる……!!」




 いよいよもって迎えた最後の階層で、俺は足元の岩盤を見つめた。


 この下に、藤堂アイリがいる。念の為スマホを確認してみたが、階層は変動していない。


 藤堂アイリが90階層に取り残されているのは確実だ。




「よし――よし! お前ら、今まで応援ありがとうな! じゃあ行くぞ、《肉体強化》、70%――!!」




 俺が宣言し、拳を振りかぶろうとした、その途端。


 こめかみを錐でひと突きされたような衝撃が頭に走り――ぐらりと視界が揺れた。




「ぐ……!?」




 堪らず床に転げた俺は、四つん這いになったまま、信じられない不快感と吐き気を必死になってこらえる羽目になった。


 まさか、このタイミングで――!? 俺が右手に魔力を集中させようとしても、もはや右手はぼんやり光ることすらない。


 それどころか、魔力を集めようとしただけで強い吐き気が全身を駆け抜け――俺は堪らず、胃の中の内容物を全部その場に吐き出してしまった。




:え!?


:魔力切れ!?


:このタイミングでか!?


:嘘だろ!?


:あと一階なのに!!


:遂に限界か……




 くそ、ちくしょう。


 神様はどうしてこうも意地悪なんだ。


 あと一階なのに。あと少しで、俺が取りこぼしてしまった光に会えるのに。




「何が……魔力切れだ……! 俺はそんなもん無視するぞ……! 肉体、強化……!!」




 意地と執念とで魔力を集めようとするが、その途端に信じられないほどの吐き気と不快感が食道を駆け上がってきて、俺は再び嘔吐する羽目になった。


 なんと――そのとき俺の口から漏れ出てきたのは、大量の鮮血だった。




:うわわわわわわ


:吐血した!?


:うわ俺もうダメだ


:ダンジョンイーツ死んじゃう!


:ヤバいヤバいヤバい


:ダンジョンイーツ死ぬな! 生きろ!!




「くそ……! くそくそくそくそ、クソが……!! なんでだ、なんでこんなところで……! ちくしょう……!」




 あまりの悔しさに、俺はダンジョンの床を手で殴りつけた。




「ここで諦めちまったら……最初から何もしてなかったのと……一緒だ……! 頼むよ、頼むよ神様! あと少しだけでいい、俺を、俺を頑張らせてくれよ……!!」




 俺は空の遥か上に、遥か上の空から、地底で嘆き声を上げる俺を嘲笑っているのだろう何者かに向かって懇願した。




「俺は、俺はここで諦めるわけにはいかない! それがダメなら、俺は、俺はどうなってもいい、だから、藤堂だけは……アイツだけは地上に戻してやってくれよ!! 頼むよなぁオイ! アンタは俺から父さんや母さん、親父殿だけじゃなくて、アイツまで毟り取るのかよ……!!」




 絶望感に、無力感に、押し潰されてしまいそうだった。


 この岩盤を打ち砕くに必要な魔力が回復するまで、あと何時間かかる?


 ダンジョンが更に深層へ藤堂アイリを連れ去ってしまうまで、あとどのぐらい猶予があるのだ?


 俺がすべてを諦め、魔力を回復させている間に、藤堂アイリは更に地下深くへと堕ちてゆく。


 このままでは俺たちは――この地底世界で、永遠に終わることのない追いかけっこを続けることになってしまう。




 魔力が切れるのと同時に気力も切れかけたのか、目が霞んで意識が薄れてきた。


 くそっ、意識を失うな――失ったら最後、俺も藤堂アイリも深層階に引きずり込まれて一巻の終わりだ。


 唇をありったけの力で噛み締めて、その痛みで意識を覚醒させようとするが、口の中に血の味が広がるだけで、意識はどんどん薄れてゆく。




 ここで終わりなのか、ここで――。


 最後に残っていた意地も消えかけ、俺がゆっくりと目を閉じた、その途端だった。




「――ガンジュ、お前に教えた技術は、惚れた女を守るための技術だ。忘れてねぇだろうな」




 ――ふと、懐かしい声が聞こえた気がして、俺は目を見開き、前を見た。




「……へん、ちょっと見ない間に、それなりにデカくなりやがって。……久しぶりだな、ガンジュ」




 魔力切れを起こして、幻覚を見ているのか。


 それとも、あまりに不甲斐ない俺を見かねて、あの世から戻ってきたのか。




 あろうことか、夏川健次郎が――俺の親父殿が、デリバリーボックスを背負って、地面に崩折れる眼の前に立っていた。







( ゚∀゚)o彡°


そのようにコメント、もしくは★で評価願います。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る