第44話恋
90階層に墜落した俺は、しばらく激痛のために動くことが出来なかった。
既に全身の防御のために使っている魔力も全て岩盤を撃ち抜くのに使ってしまったため、墜落した一瞬、息が詰まって身動きが取れなくなった。骨折していないのが不思議なレベルの墜落であった。
だが――なんとか生きたまま、90階層に到達できた。
俺はどうにかこうにか身体を起こすことに成功し、四つん這いの体勢になった。
後は這ってでも、藤堂アイリのもとに行く。
俺はスマホを取り出し、藤堂アイリまでの距離を見ると――なんと、「10m」と表示されているではないか。
俺は、暗闇に目を凝らした。
目を凝らして――その先、薄暗いダンジョンの壁に背を預け、ぐったりとしている小柄を見つけて――俺の全身の血が凍りついた。
「藤堂!」
いた! 藤堂アイリは、俺が墜落した地点の、すぐ側にいた。
俺は震える膝を二、三度叩いて言うことを聞かせ、びっくりするほどヨボヨボとした足取りで藤堂アイリに歩み寄った。
「藤堂! 藤堂ッ!」
たっぷり一分ほどもかけ、俺は遂に藤堂アイリの傍らに到着した。
慌てて藤堂アイリの顔に手を這わせると、その肌はにわかには信じられないほどに冷たかった。
「おいっ、藤堂! 大丈夫か! 生きてるか!?」
頬を叩きながら身体を揺さぶったところで、俺はようやく、藤堂アイリの全身を包み込むダイバースーツがあちこち擦り切れ、破れていることに気がついた。
相当に長い間、藤堂アイリがこの地底世界で生き残るために奮戦したのだろうことは、そのボロボロのダイバースーツが何よりも雄弁に物語っていた。
冷え切った身体に少しでも熱を与えようとするかのように、俺が藤堂アイリの両の頬を掌で擦ると――ゆっくりと、藤堂アイリが目を開けた。
しばらく、焦点の合わない目で遠い目をした藤堂アイリが――ふと、その白い頬に触れている掌の存在に気がつき、自分の右手で俺の手に触れた。
それから、その手が誰のものなのか思い出したかのように――藤堂アイリの不思議な色の目が、俺の目を見返した。
「ガンジュ君……? 本物、ですか?」
今見ているものが幻覚や妄想ではないのだと確認するように、藤堂アイリはそう訊ねてきた。
俺は大きく頷いた。
「藤堂、藤堂ッ! 無事なんだな!? 助けに来たぞ! 遅くなっちまってすまなかった……!」
俺が大声を浴びせると、はぁ、と、藤堂アイリは何故なのか安堵したようにため息をつき、頬に触れる俺の右の掌を、両手で包みこんだ。
「よかった……幻じゃないんですね。ガンジュ君、本当に助けに来てくれた……こんな地の底にまで……」
うふふ、と、藤堂アイリは場に相応しくない声で笑い、うっとりとしたように俺の掌に頬を擦り付けた。
「もう、助からないと諦めかけてたのに……やっぱりガンジュ君なら、こんなところにも助けに来れちゃうんですね……ああ、本当に、本当に凄い人……」
ああ、と、もう一度ため息を吐いた藤堂アイリが、煤だらけの顔で、それでもにっこりと微笑んだ。
「ガンジュ君、私は無事です。多少、疲れてますけど……生きてますよ?」
その一言に、俺の中に今まで感じたことのない、途方もない安堵と、全身が破裂してしまいそうな愛しさが全身に満ち満ちた。
ぐっと下唇を噛み、俯いてしまった俺の目から……ボロボロと涙がこぼれ落ちたのを見て、藤堂アイリが息を呑んだ。
「えっ? が、ガンジュ君……!?」
藤堂アイリが驚いた声を出したその瞬間、俺は思いっきり、藤堂アイリの細い身体を抱き締めてしまっていた。
「うぇぇぇっ……!? が、ガンジュ君!? 急にどうしたんですか!?」
よかった。よかった。
俺の頭に浮かんだのはその一言だけだった。
生きていてよかった。ここまで助けに来られてよかった。
そしてそれ以上に――この人のこの笑顔をまた見ることが出来て、よかった。
「ごめん、藤堂……」
俺は涙に震えながら藤堂アイリに謝罪した。
「ごめん、ごめんな、藤堂。俺、お前を置いて逃げた。お前に助けられて、代わりにお前がこんな目に……。ごめん、助けに来るのが遅くなってごめん、ごめんな……」
俺は親父殿に引き取られることが決まった日以来、泣いたことがなかった。
否、あの時一生分の涙が枯れてしまったかのように、泣くことが出来なかった。
俺が涙を流せるような人間性など、あの地底で三年も暮らして、既に擦り切れてしまったのだと思っていた。
けれど……そのときの俺は、どうしても流れてくる涙を押し止めることが出来なかった。
ごめんごめんと、うわ言のように何度も何度も謝罪を口にする俺の背中を、藤堂アイリがゆっくりと撫でてくれた。
「ガンジュ君、どうか自分を責めないでください。ここまで私を助けに来てくれたじゃないですか。そんなこと……この世の他に誰が出来ます?」
却って優しくされたことで、俺の目からまた涙が溢れた。
藤堂アイリの肩に鼻先を埋めて、俺はますます激しく嗚咽した。
「ガンジュ君は凄い人、素晴らしい人です。そんな人をそんなに責めないであげてください。私は――私は、何があっても、ここまで来てくれたガンジュ君を褒めてあげます。だから……もう苦しまないでください、ね?」
そう言って背中を撫でられると――安堵と同じぐらい、死ぬほどの愛しさが心臓から溢れ出てきて、俺はますます強く藤堂アイリの身体を抱き締め、その肩に鼻先を擦り付けるようにした。
ああ、認める。認めるよ、畜生め。
俺――多分だけど、この人のことが好きだ。
人を好きになったことなんかないけれど。
人を好きになるってことが、どういうことかわからないけど。
俺なんかが人を好きになっていいのか、わからないけれど。
多分――俺は、この人を好きになってしまっている。
それも、好きで好きで、多分、この人が死んだら生きていけないぐらいに。
まだ出会って一ヶ月も経っていないのに、人生の大半をこの人と過ごしてきたのではないかと思うぐらい、この人は俺の近くにいてくれている。
俺は――藤堂アイリという人に、物凄く大袈裟に、恋をしているんだ。
そう確信すると、いろんな思いがぐちゃぐちゃになり、ますます涙が溢れてきた。
うわああああん、と、俺は遂に、まるで小学生の子供みたいに、大声を上げて泣き喚いた。
そんなどうしようもない俺の背中を、藤堂アイリはずっと撫でていてくれた。
たっぷり五分ほども嗚咽して……俺は藤堂アイリの身体から身体を離した。
「……確認が遅くなったけど、怪我はしてないか?」
「大きな怪我はね。これでも結構頑張って生き残ってたんですよ?」
「そうか……本当に、こんなところに置き去りにしてすまなかったな」
「そう何度も謝らないでください。私は無事なんですから。それよりも……」
藤堂アイリが俺の血だらけの右掌を両手で包み、今度は自分がぐすっと洟を啜った。
「こんなボロボロになってまで、ここまで助けに来てくれたんですね……ガンジュ君ったら、本当に無茶するんですから……」
「無茶はお互い様だよ。あの時俺を突き飛ばしたお前だって……」
「だって……あの時はガンジュ君が死んじゃうと思ったから……」
藤堂アイリが少し赤面して俯いた。
「あの時、ほっといたらガンジュ君が死んじゃうと思って私、本当に怖かったんですよ? だから身体が勝手に動いたんです。自分でも無茶したなぁと思いましたけど……」
「馬鹿、俺はどんな階層に落ちたって平気だよ。むしろ俺が落ちればよかったって、俺、あの後死ぬほど後悔したんだからな」
「それは、そうですけど……」
もじもじと、藤堂アイリが身体を捩った。
「じゃあさ、お互いに馬鹿だった、ってことで――引き分けにしとくか?」
俺は藤堂アイリに額を寄せて、へへっと笑った。
その顔を見て、藤堂アイリも気恥ずかしそうに笑いながら額を寄せてきて、俺たちはしばらく、お互いの手を取り合ったまま、へらへらと笑ってしまった。
――と、その時。キューン、というモーター音とともに、ドローンが俺たちの背後を通り過ぎたのを見て、藤堂アイリがぎょっと目を見開いた。
「え……!? はっ、配信用ドローン!? ま、まさかガンジュ君、配信してるんですか!?」
「え? あ、ああ、一応ここまで来るまでの道筋ぐらい撮影しとかないとと思ってよ……」
サーッ、と、藤堂アイリの顔が青褪めた。
俺はそこで、ポケットに押し込んだままの配信用デバイスの存在を思い出し、取り出して耳に装着した。
装着した途端――物凄い勢いで物凄い量の悲鳴が流れてきて、俺は少し驚いた。
:あああああああああああああああああああ
:あああああああああああああああああああああ
:ぎゃあああああああああああああああああ
:くぁwせdrftgyふじこlp
:俺のアイリがああああああああああああああああああ
:アイリ病患者のパンデミックだ!! 州軍の動員を早く!!
:頭を狙え! ロケットランチャーを早く!!
:あああああああああああブリブリブリビチチチィッ!!!!!!!!
: 藤 堂 ア イ リ 熱 愛 発 覚
:ああああああああああああああああああああ
:ダンジョンイーツ◯ね
:ダンジョンイーツ◯す
:ダンジョンイーツもういっぺん◯ね。今度は戻ってくることなく◯ね
:あああああああああああああああああああああああ
:アイリがNTRた……
:アツアツだなこいつら
:同接80万突破wwwwwwwwwwwwwww
:まーた新記録作ってるよコイツ
:80万人の前で見せつけよる
◆
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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そう思っていただけましたなら
「( ゚∀゚)o彡°」
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