第60話ネガティブ系猫耳

 それから約一時間後、俺たちは電車に乗り込み、洋食屋みずのの前に来ていた。


 あの徳丹城ダンジョンの一件後、俺と冬子さんと藤堂アイリの三人で来て以来だから、訪問は約二週間ぶりとなる。




「いらっしゃ……あらぁ、ガンジュ君にアイリちゃんじゃないの!」




 この店を切り盛りする水野の奥さんは、俺たちを、というより、俺の背後にいる藤堂アイリ、そして俯きがちの西園寺睦月を見て短く悲鳴を上げた。




「がっ、ガンジュ君ったら! もう両手に花なの!? そんな可愛い子を二人も連れて……! 今までバイト漬けの仕事人間だとばかり思ってたけどあなたも隅に置けないわねぇ……!」

「……なんとなく、水野の奥さんはそう言うんじゃないかと思ってました」




 俺は犬の糞を踏んづけた直後のような表情で応じ、西園寺睦月に視線で促した。




「この人は俺の学校の後輩です。ちょっと事情があって一緒に来たんですよ。……ほら西園寺、挨拶を」




 西園寺睦月はおずおずと前に進み出てきて、ぺこりと頭を下げた。




「さっ、西園寺睦月、と言います。あの、ダンジョンイーツさん……いや、上米内さんにお世話になってます……」




 頭を下げた途端、西園寺睦月の頭の上にある猫耳が、ぴん、と前を向いた。


 おっ、緊張してる、と俺が目を丸くすると、水野の奥さんが珍妙な表情を浮かべて西園寺睦月の猫耳を凝視した。




「あっ、水野の奥さん! 彼女は異世界の獣人と混交してるんですよ! その耳はコスプレとかじゃなくて本物なんです!」

「あ、あら、そうなの? ごめんなさいねぇ、珍しいからじろじろ見ちゃって」




 藤堂アイリの説明に、水野の奥さんはすまなさそうな顔で謝罪した。


 いえ、気にしないでください、と顔を上げた西園寺睦月の顔を、水野の奥さんは何事なのか無言で見つめた。




「ふーん、西園寺睦月ちゃん、だったわね」

「は、はい」

「あなた、そのうち凄く出世するわよ」

「はい?」

「ただ今のうちはまだ芽が出ないかもね。もう少し自分に自信がつけば、あなたは大きく化けるわね」

「そ、それはどういう……」

「水野の奥さん、今の本当ですか?」




 俺が驚いてしまうと、西園寺睦月と藤堂アイリが俺を見た。


 水野の奥さんは大きく頷いた。




「何年お客さんのことを見てると思ってるのよ。二十年も人にご飯食べさせてればね、その人がその後歩む人生もなんとなく見えてくるものよ。ただ、ここまでハッキリとわかることは珍しいかもね」

「そ、そうですか……! おい西園寺、よかったな!」

「えっ、えぇ……!?」




 そう、水野の奥さんは街の洋食屋さんを数十年も切り盛りしてきた経験から、客がどんな人なのか、なんとなく見抜く不思議な力があるのだ。


 なおかつ、水野の奥さんが初めての客に対してこんな風に断言することは珍しいことで、俺も驚いた。




「水野の奥さんの客に対する審美眼は本物だぜ。前に来た客で……ほら、なんて言いましたっけ? あのライトノベル作家!」

「ああ、佐々木さん?」

「そうそう! アイツが無職だったとき、食い逃げ働こうとした時もアンタは後で一発当てるから出世払いでいいからって逃がしたんですよね!」

「そうそう」

「そしたら後日、本当に一発当てたとかで倍額返しに来たりして!」

「そ、そんなことが本当にあるんですね……! す、凄い……!」




 藤堂アイリは尊敬の眼差しで水野の奥さんを見つめた。


 だが一方、西園寺睦月はかなりレアな褒められ方をされたというのに、その表情はどこか浮かないままだった。




「よし、水野の奥さんに褒められたところで……奥さん、俺たちこれから少し会議する予定なんです、席貸してもらっていいですか?」

「ああ、それはもちろん。アイリちゃんにはサインももらってるからね」




 えへへ、と藤堂アイリが照れて笑った。この間の徳丹城ダンジョンでの配信後に訪れた際に藤堂アイリが書いたサインは、某有名俳優や映画監督などと並び、今も店内のレジの上に飾られているのだ。


 水野の奥さんに促され、俺たちは店内の一番奥の席に通された。




「よっしゃ、じゃあ反省会開始だな。俺は和風おろしハンバーグで。藤堂は?」

「私はここに来たら大盛りチーズハンバーグと決めてます! あと、ライス大盛りで!」

「お前、相変わらず食うなぁ。じゃあ最後に、西園寺は……」




 ……と、そこで俺が西園寺睦月を見ると。


 西園寺睦月はメニュー表を手に持ったまま、目を虚ろにさせていた。


 ブツブツブツブツ、と、その口が声にならない何かを唱えているのを見て、えっ? と俺は少し驚いて、藤堂アイリと顔を見合わせた。




「えっ。さ、西園寺、さん……?」

「……今日の配信、全国の視聴者さんに見られちゃったんですよね。私の情けない姿が、ぜっ、ぜぜぜぜ、全国の視聴者さんに……」




 不意に、西園寺睦月の全身から物凄くどんよりとしたオーラが放たれ、店内に一瞬で拡散したのがわかった。


 店内に二、三人いた客たちがその不穏さを察知して、ぎょっとこちらの席を振り返る。


 厨房でハンバーグを焼くのに勤しんでいた水野の旦那さんまでもが、何かとんでもない事態を察知し、厨房から顔を出してこちらを凝視した。




「……私、百パーセント盛り下げましたよね。あっ、あれだけ、同接百万人とか行ってたAiri★さんとダンジョンイーツさんの配信を、わっ、わわわわ、私のようなクソカス女が、だっ、だだだだ、台無しに……!」




 西園寺睦月は蒼白の顔でガタガタ震えながら、滝のような冷や汗を流しながらそんな事を言った。


 そのあまりのネガティブさ、いんのオーラの色濃さに俺たちが恐れ慄くのと同時に、ぐしゃっとメニュー表を握り潰した西園寺睦月が地獄のような表情で目を見開いた。




「やっ、やっぱり無理だったんだ……! 私みたいなレベル1のクソザコナメクジがダンジョンイーツさんやAiri★さんと一緒にダンジョン配信なんて……! 私なんかこの世の終わりまで押し入れの隅っこに閉じ込められて出てこなければよかったんだ……! わっ、わかってたのに、なんで夢なんか見ちゃったんだろう私は……どっ、どどどどど、どうせこうなることはわかりきってたのに……!」

「みっ、水野の奥さん! すみません! ホットミルクかなんかもらえますか!? 大至急お願いしますッ!」




 俺が半ば悲鳴のような声を上げると、水野の奥さんが血相変えて厨房に引っ込んでいった。


 俺と藤堂アイリは同時に立ち上がり、滝のような汗をボタボタとテーブルの上に落としている西園寺睦月の背中を擦った。




「さっ、西園寺さん!? 突然どうしたんですか!? なっ、なんか尋常じゃないレベルでネガティブになってますけど……!」

「……私、元々こういう性格なんです。魔法もダメなら武器の扱いもダメ、性格は輪をかけてダメダメダメダメだから、いっ、一個もいいところがなくて……」




 その一言に俺と藤堂アイリが絶句してしまうと、西園寺睦月の本体だけでなく、その上に乗った猫耳までもがぶるぶると震え始めた。




「こっ、こんな私が弟子になるなんて言い出しちゃってすみません……へ、へへ、ヘナップ、ホント、ホント調子に乗りましたすみません……! わっ、私みたいなクソザコナメクジのカスカスカス女はこの世の終わりまで押し入れに閉じ込められて出てくるべきじゃなかったのに……! ああ、私が調子に乗ったせいでまた世の中が暗くなっちゃった……! あっ、あああ、有明海のノリが取れないのも私のせいなんです……! ごめんなさいごめんなさい! ……ぽぽっ、ぽぽぽぽぽ……!」

「なっ、なんか鳴いてるぞオイ! おっ、おいぃ西園寺、元気出せって! 別に俺たちはなんとも思ってねぇよ! そんな落ち込むなよ!」




 俺はとりあえず西園寺睦月の背中を手で強く擦りながら励ました。




「それに有明のノリってなんだよ!? 有明のノリが取れねぇのはお前のせいじゃないだろ! そんなわけわかんないところまでお前が気に病む必要はねぇ! 元気出せよ!」

「い、いや、確定的に私のせいだと思うんです……! だっ、だって、野球中継とか見てても、私が立ち上がった瞬間に満塁ホームランとかが飛び出したりすることがよくあって……!」

「そりゃ野球ファンはよく言うけど単なる偶然じゃねぇか! それにそれって守ってるチームにとっては悪夢だけど攻めてるチームにとっては最高の展開だろ! 受け取り方によるだろ、なぁ!」

「ごご、ごめんなさいごめんなさい、昨日の楽天イーグルスの皆さん……! 私が立ち上がったせいでみなさんがホーム球場で負けちゃって……! しっ、死にます、死んでお詫びしますからどうか許して……!」

「うわダメだ、一切耳に入ってねぇ! みっ、水野の奥さん! ホットミルクまだですか!?」




 俺が叫ぶと、水野の奥さんがコーヒーカップに入ったホットミルクを持って走ってきた。


 ガタガタと蒼白の表情で震える西園寺睦月に、藤堂アイリが促した。




「とっ、とりあえず西園寺さん! ホットミルク飲んで落ち着きましょう!? とりあえず落ち込むのはこれを飲んでからでもいいでしょ! だからホラ、飲んで!」

「あっ、あうう、すみませんすみません……! こんな私がホットミルクなんか飲んじゃってすみません……! しっ、死にます、死にますぅ……!」

「死なないでください! とりあえずホラ、あったかいですよ! ブレークブレーク!!」




 藤堂アイリに強く促されて、西園寺睦月はホットミルクが入ったカップを両手で持ち、口元に運ぼうとした。


 しかし、止まらない手の震えのせいで、西園寺睦月はなかなかホットミルクを啜れないでいる。


 躍起になって口元に持っていこうとしたホットミルクが手の震えによって跳ね、西園寺睦月の唇にかかった。




「あっ、熱ッ――!」 




 西園寺睦月が悲鳴を上げた瞬間、ホットミルクが盛大にぶちまけられ、至近距離にいた俺の顔面に容赦なく降り注いだ。


 一瞬で視界が真っ白くなった上に目玉が煮える感覚がして、俺も遠慮なく悲鳴を上げた。




「ぎゃあああ! めっ、目玉が煮える――! あっ、熱ッ――!」

「ああああ……あああああああ!! すっ、すみません! 私なんかがホットミルク飲んだりしたから――! しっ、死にます! 穴を掘って自分で埋まって死にますッ! いっ、今から掘って死にますからどうかそれで許して……!!」

「死ぬな! 死ななくていいですから! とりあえず落ち着いて! ――がっ、ガンジュ君、大丈夫ですか!? ――あああ、西園寺さん、外に行かないで! 誰か! 誰か西園寺さんを止めて! その人ほっとけば埋まって死にます! 誰か止めてぇ――!!」




 洋食屋みずのの静かな店内に、そんな藤堂アイリの悲鳴がしばし聞こえ続けた。







「面白い」

「続きが気になる」

「がんばれ弟子ちゃん」


そう思っていただけましたなら


「( ゚∀゚)o彡°」


そのようにコメント、もしくは★で評価願います。

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