第10話配信者に
10億円。
思わず咳き込んでしまった俺の鼻の穴から、食べかけのラーメンの麺が飛び出して垂れ下がった。
「えぇっ!? ガンジュ君、大丈夫、大丈夫ですか――!?」
「――逆の立場なら大丈夫なのかよ!? じっ、10億円――!?」
俺は藤堂アイリの正気を疑う声を発した。
「頭大丈夫かお前!? こんなドチンケな商売をなんだって天下の藤堂グループが10億円も出して買い取るんだよ!? そ、そりゃあ買ってくれるってんなら有り難いが……じっ、10億だぁ!? ウチは単なる配達屋だぞ!」
「なんで、って――そりゃあ、将来性を感じるからですよ」
ニッコリと笑った藤堂アイリに、俺は一瞬、慌てるよりも先に、何故か気圧されてしまった。
「ダンジョン専門のフードデリバリーサービス、ああ、なんて面白い……! これを創業した先代の社長様は物凄く先見の明がお有りです! ダンジョンは道迷いや食料が尽きての遭難がとかく多い、それは私も【
バァン! と藤堂アイリは机に両手を置いて俺の顔を覗き込んだ。
その瞬間、ばるんっと藤堂アイリの巨大な胸が眼前で揺れて、俺はうっと唸って顔を背けた。
「これはもう単なるフードデリバリーサービスではない、ダンジョンの実態解明を続ける【
人類への貢献。単なるバイトが突然そんな高尚なものにされてしまったことに、俺は半ば圧倒された。
思わずぽかんと口を開けて藤堂アイリを見つめると、ああ、と藤堂アイリはうっとりした表情を浮かべた。
「この間、ガンジュ君がくれた一杯の煮干しラーメン、その味を知って確信しました。これは物凄い事業になる、ってね……! だから10億円出して買い取ります! これでも全然安いつもりです! 是非、是非藤堂グループの傘下になってください!!」
藤堂アイリは熱弁をふるって、俺の目を見つめた。
俺は、というと――しばらく視線を虚空に泳がせた後、ごほん、と咳払いをする他なかった。
「い、いやお嬢様、そりゃ勘違いだ」
「へ?」
「へ? じゃねぇよ。つまりアンタは人生で生まれて初めて食べたラーメンの味に感動して、世迷言を言ってるってこった」
ようやくドキドキの落ち着いてきた俺は冷静な口調で諭した。
「いいかお嬢様。普通のフードデリバリーサービスならまだわかる。けれどそれをダンジョンでやるってのは、考えただけでも難しいってわかるだろ? ダンジョンの中には危険なモンスターもごまんといる。そんな中でフードデリバリーとか、実際やってる方の俺でも正気じゃないと思うというか……」
「だからこそ10億円出して、あなたごと買い取る、と言ってるんです!!」
は――!? と、再び俺は藤堂アイリに敗北し、絶句してしまった。
藤堂アイリの不思議な色の瞳は何故なのかキラキラと輝いていた。
「あのドラゴンをステゴロ一本でぶっ飛ばしたあなたの強さを見て、これは絶対成功すると思ったんです! これなら絶対イケると確信した! あなたなら絶対に世界有数の【
配信。その一言に、俺はあんぐりと口を開けた。
コイツ、前回の俺の話、聞いてたのか?
俺、【
俺に藤堂アイリの動画にコラボしてくれと頼むならまだわかるが、俺に【
馬鹿なの死ぬの? その生意気な乳もぎ取ってシチューにして食ったろか。
「は、配信と配達だぁ――!? おっ、俺に【
「そうです、やれってんです!」
「馬鹿も休み休み言ってくれお嬢様! 俺は言ったよな!? 【
「食わず嫌いはよくないですッ!」
意外なほど大きな声で遮られて、俺は目を見開いた。
藤堂アイリは再び巨大な胸をばるんっばるんっと揺らしながら平手で机を二回叩いた。
さっきから思ってたが随分憎たらしく揺れる乳だな。
「いいですか! 何度も言いますけど、【
藤堂アイリは指を折って数えた。
「広告収入、スパチャ、そして何よりも各種研究機関への研究用映像資料の売上――これが【
うぐ、と俺は唸った。
藤堂アイリの正論に追い詰められたのではない。
俺は藤堂アイリの目の輝きに追い詰められているのだ。
俺はこういう人間の目が怖いし、自分が惨めな気持ちになるので嫌なのだ。
「ガンジュ君ならそれが出来る! 物凄く強いし、このダンジョンの10階層にまでたった10分で辿り着いた! 実力なら折り紙付きです! 新体制となった【D Eats】は配達事業で利益が出ないうちは、ガンジュ君の配信事業で利益を出すんです!」
「ちょ、ちょちょ、待ってくれって……!」
俺はそれでも諦めずに抗弁した。
「おっ、お前の言いたいことはわかったし、なるほど確かにそんなに低俗じゃないのも理解した! けれど俺、配信なんか絶対出来ねぇぞ!」
「えっ?」
「俺、口も悪いし態度も悪いしさ! 目は死んだ魚の目だし、さして見てくれも良くねぇ! 第一俺はそんな口が上手い方じゃないから、配信見てる奴らを笑わせたり楽しませたりすることは絶対に無理……!」
「え、ガンジュ君……もしかして、知らないんですか?」
「な――何をだよ!?」
俺が言うと、藤堂アイリは心底意外だという表情を浮かべ、次に自分のスマホを机の上に出し、何かを俺に示した。
そこには『Airi★のダンジョン日記Part321』というアホなタイトルと、動画の再生ボタンが表示されていた。
「それがこの間、私がガンジュ君に助けてもらった一部始終を撮影した回の配信を保存した動画です。――再生回数を見てください」
再生回数――? 俺は動画の下の方を見た。
なんだこれは、桁が、桁がおかしいぞ――?
「1.2億回」
藤堂アイリは、平然とそんな事を言った。
は――? と俺が顔を上げると、藤堂アイリは更に言った。
「まさかガンジュ君本人が知らないとは……。いいですか? ガンジュ君が私を助けてくれた配信は、最終的には同時接続数56万8000を記録、そしてその回の動画は、たったの一週間で既に1.2億回以上再生され、この間にも1分間に5万回以上再生されているんです」
それって、つまり?
俺があまりの事態に呆然としていると、藤堂アイリの目がキラリと光った。
「――つまり、単純に言ってしまえば、同時に57万人の人がリアルタイムで、最終的には日本の総人口に等しい人数が、この間のガンジュ君の活躍を見た、ということになります」
「はぇ……!?」
「無論、この鬼バズりは個人配信での記録に限れば、D Liveのサービス開始以来、ぶっちぎりの世界第一位記録です」
「は――!? はっ……!?」
その時、俺は人生で初めて、「は」の一文字に全身全霊を込めることになった。
「は――はああああああああああああああああああああああああああ!?」
俺は人生で一度も上げたことがない素っ頓狂な絶叫を上げ、椅子から腰を浮かせた。
どうだ凄いだろ? というように、藤堂アイリは巨大な逸物をその上に乗せて腕組みをした。
「トークセンス? 見た目の麗しさ? そんなもん根本的に、ガンジュ君には必要ないでしょう? ただただ、その圧倒的な強さで目の前にいる敵を薙ぎ払って食事を届けてくれるだけで、新体制の【D Eats】は配信の収入だけで全然事業として成り立ってしまうんですよ。その上、スパチャ、映像資料の買取と重なれば――わかりますよね? 今しがたガンジュ君の家の口座に振り込んだ1000万円はその一部、この間の配信による正当なあなたの取り分ということです」
ごくっ――と、俺の喉仏が音を立てて上下した。
なんでんかんでん動画配信は儲かるのだと風の噂で聞いてはいたが――1.2億回も再生されたこの配信は、一体いくらになったのか。
もし俺が動画配信者になれば、堂島のようなクソに這いつくばったり、苦労して食事を届けて数千円を貰う今の生活とは、根本的に違う生活が出来るのか。
しかも――もし、俺が【
ぶるぶるぶるぶる、と、俺の身体が小刻みに震え始めた。
かつてダンジョン内のどんな怪物に会っても震えたことのない身体が、冗談のように。
「どうです、ガンジュ君。君の預かり知らないところで、世界はとっくに違う未来へと舵を切っているんですよ」
そう言って、藤堂アイリは机を回って俺の真ん前に立ち、俺の顎の下に人差し指で触れ、俺の目を下から覗き込むようにした。
瞬間、今まであまり交流がなかった同世代の女から触れられたことで、俺の頭に音を立てて血が上った。
「上司に尻を蹴飛ばされ、お客様の罵声に耐え、辛抱と忍耐の対価としてサラリーを貰っていた時代は、もう昔の話です。才能のあるもの、容姿に恵まれたもの、そのどちらがなくとも、度胸さえある人は、会社組織に属さなくとも、十分な稼ぎを得られる時代にもうなっています。――それがダンジョンという場所なら、なおさらです」
悔しいが、数日前、堂島に言われたことが頭の中に反響した。
お前にはダンジョンで稼ぐ能力もないし、その度胸もない――。
だが、俺にはその能力は、実はあったのかもしれない。
なかったもの、本当に俺になかったものは、能力ではなく――。
「だ、だからって、いくら何でも俺に10億円なんて価値は――! おっ、お前の親父さんは正気なのかよ!? 大企業の経営者とは言えどんだけ親バカなんだ!?」
「え? 私の父が? 親バカって?」
「親バカだろうが! いくら何でも娘可愛さに10億なんてカネをポンと預ける奴があるか! 修学旅行のお小遣いじゃねーんだぞ!」
「ああ……やだなぁガンジュ君。このおカネは別に父からもらったわけじゃない、私が個人的に父から借りたんですよ」
今度こそ、俺は完全に絶句してしまった。
今、このデカ乳女はなんと言ったのだ?
借りた? 10億円も? 俺と同い年ぐらいの高校生が、か?
「いくら親子だからって、10億円なんておカネをポンとくれるわけないじゃないですか。自分で使うおカネは自分で稼ぐ――それが我が家の家訓です。父に借用書つきで借りたんですよ。つまり今の私は10億円の債務者なんです!」
どうだヤバいだろ、というように藤堂アイリは笑ったが、笑い事ではなかった。
俺は別の意味で身体が震え始めるのを感じていた。
「な、なんで俺なんかのためにそんな事を――!?」
「ねぇガンジュ君、ガンジュ君は、現代の人はどんなものにおカネを払うと思いますか?」
唐突に、藤堂アイリが質問してきた。
しばらく考えても答えがわからず、俺は首を振った。
「それは、楽しいものですよ。人間は辛いもの、嫌なものには決しておカネを払わない。だから我々D Live社の人間は、常に楽しいもの、面白いものを、時に対価を払ってでも探し求めているんです。つまり、面白さに投資しているんですね」
藤堂アイリは俺を見つめた。
「この件はちゃんと父にも――藤堂グループ会長にも相談しました。会長はあなたの事をとても喜んでくれて、私に10億円というおカネを貸してくれました。くれたのではありません。あくまで、私に貸してくれたんですよ」
絶句している俺に向かい、藤堂アイリはニコリと笑った。
「つまり、あなたにはそれだけの可能性があると、私と、私の父はそう考えた、ということです。私たち親子は、あなたという存在に賭ける。だから投資する。――どんなおカネも有効に使ってこそ価値を発揮するものなんですよ、ガンジュ君?」
面白さを、事業として探す。
そして、まだ可能性でしかない俺に、10億というカネまで払う。
そんな壮大なスケールの話、俺の中にはまるでない規模の考えだった。
藤堂アイリは――ほぼ初対面でしかない俺に、そこまで可能性を見出してくれているのか。
この女、やべぇ――。
俺は生まれて初めて、同世代の人間を尊敬する気持ちになった。
あまりに理解が追いつかない規模の世界観に思わず項垂れてから――俺は顔を上げ、藤堂アイリの顔を睨むように見た。
「……あんたらに身売りしたら、現社長――俺の義姉である冬子さんはどうなる?」
「もちろん社長に留任してもらいます。それが嫌なら名前だけ役員でも構いません。後は藤堂グループから生え抜きの人材や技術も送り込みます。企業としての体はすぐに整いますよ」
「俺は? 俺はどうなるんだ?」
「もちろん、配信で利益を出してもらいながら、後輩の【
「そりゃどういう意味だよ?」
「当分は、私の配信動画に一緒に出演してもらうってことです」
にひひ、という感じで藤堂アイリは笑った。
「何せ鬼バズリは記録しましたけど、それは私のチャンネルに偶然登場したという幸運も大きい。そこは幾ら何でも否定できないでしょう? だから私のチャンネルにガンジュ君との共演シリーズを作成し、頃合いを見計らって【D Eats】の専門チャンネルとして独立させましょう。――つまり、しばらくは共演者、もしくは運命共同体、ってことで」
そこまで言って、藤堂アイリは俺の右腕を取り、ぴったりと体を寄せてきた。
うわっ!? と驚いて振り払おうとしたけれど、藤堂アイリは更に追加で、俺の肩に頭をしなだれかけさせた。
「お、おい!? 急に何すんだよ、離れろって……!」
「どっこい放しません。……んふふ、よかった、またあなたに会えて。これでも結構、あなたのことを探すのは大変だったんですよ?」
うわわわわ、何!? 同世代の女ってこんないい匂いすんの!? しかも柔らかい――!!
俺が完全にパニックになっているのにも構わず、藤堂アイリはご機嫌な表情で俺の腕を掴んで離さない。
◆
人生で始めてカクヨムの総合ランキングに乗りました。
このまま遡上できるようにバンバン評価お願いいたします。
この作品の連載のモチベーションとなりますので、
もしよろしければ下の方の★から評価をお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
【VS】
この作品も面白いよ!!
転生・櫻井◯宏 ~最後に裏切って殺される乙女ゲームのCV:櫻井◯宏キャラに転生した俺、生き残るためにこの魔性の声を武器に攻略キャラ(男)とフラグ立てまくります~
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