第25話過去の話

 藤堂アイリが絶句する気配を横に感じた。


 俺は歩きながら、自分の足元を見つめた。




「神災で、俺の本当の父さんと母さんは死んでしまった。いや――死んだって言えるのかな。俺が気がついた時には、父さんは異世界の綺麗な七色に光る花になってて、母さんは母さんの形の魔石になってた。父さんと母さんは運が悪かった。それぞれ異世界の花と魔石になって、存在が消えちゃった」




 俺は失笑したい気持ちで語った。


 異世界と混交するということはそういうことで、人間でないものと混交した人間は、死んだのかはてまた死んでいないのか、それさえいまだによくわからないのだ。


 もしかしたら別の世界に転移して生きているのかも――それは神災で親しい人を亡くした人なら、誰でも一度は考える悲しい空想だ。


 とにかく、父さんと母さんはこの世界から消えた――それだけは疑いのない事実で、それが仮に「死」と言われるなら、多分、父さんと母さんは死んだのだろう。




「それからは三年ぐらい、親戚中をたらい回しだよ。神災で日本が大変な時だ。俺なんかは明らかに邪魔者だよな。あっちこっち顔も知らない親戚の家を渡り歩いて、結局、最後は凄く遠縁の人の家に回された。結婚してない、三十代ぐらいのお姉さんに、俺は引き取られた」




 そこから先で起こったことは、俺としても語るのに勇気がいることだった。


 俺は深呼吸をしながら、続きを口にした。




「お姉さんは常にニコニコしてる人だった。何も言わないのに、何もしないのに、その顔を見てるだけで、ああ、この人は信頼していいんだな、って思える人だった。俺はお姉さんに手を引かれて、お姉さんの家まで行った。途中でなんかパフェとか食わせてくれた記憶があるな。それがまた美味しくてさ。神災以降、甘いものなんて食わせてもらったのは久しぶりでさ――」




 その後、俺たちはお姉さんの家に帰り着いた。


 そして、お姉さんは俺の手を引いて、家の奥に俺を連れていき――。




「けどな、家に帰るなり、そのお姉さん、俺にいきなりキスをしてきてな。俺を押し倒して、俺のズボンを脱がそうとしたんだよ――」




 藤堂アイリが、息を呑んだ。


 俺はへへっと笑ってしまった。


 そう、俺が人という人を信頼できなくなったきっかけ。


 それは――一度は信じてみようとした人に裏切られたから故なのだ。




「俺な、そのときな、これは仕方がないことなんだ、って、一瞬自分を納得させようとしたんだ。俺の父さんと母さんは死んでしまった。だからこういうふうなことをされないと、もう俺は生きていけないんだって――一瞬、強く強く、そう思おうとした。でも、無理だった。俺は三年前まで普通に大事にされて育ってたんだぜ? いきなり性的虐待の被害者になれってのも無理な話でさ――」




 俺はその時、人生で初めて、何かに死もの狂いで抵抗した。


 脱がされかけたズボンが絡みついた足をお姉さんに突っ張り、渾身の力で蹴り飛ばしたのだ。




「俺が蹴りつけたら、お姉さんは家の壁に頭をぶつけて、物凄い勢いで血が流れ始めた。お姉さんが上げるうめき声が怖くてな。俺はとんでもないことをしてしまったって思ったけど、自分がしたことを見つめ返すのが怖かった。俺は走って家を出た。そのまま丸一日後先考えずに走り回って――気がついたら、俺はとあるダンジョンの中にいた」




 そう、俺は、怖かったのだ。


 急に変わってしまった世界から逃れられる場所を、俺は探していた。




「あの時はどうしてそうしたのかねぇ――多分、もう誰も追ってこられない場所に行きたかったんだと思う。そこは100階層以上あるかなり大型のダンジョンでな。俺はそのまま、どんどん深層に降りていった。冒険なんて高尚なもんじゃねぇ、手の込んだ自殺だよ。俺はどんどんダンジョンに深入りして――一匹のゴブリンに出くわした」




 そう、棍棒を手に持ち、緑色の皮膚と、瞳のない金色の目玉が光るゴブリン。


 大人の【潜入者ダイバー】なら全く危険はないE級の魔物でも、非武装で、しかも子供の俺には十分な脅威となり得る魔物だった。




「俺は血だらけになりながら闘ってなぁ――どういう偶然なのか、俺が勝った。俺はそこらに転がっていた石でゴブリンの頭を叩き潰したんだ。血だらけのゴブリンを見下ろしてたら、丸一日何も喰ってなくて、腹が減ってたことを思い出した」




 俺はそこで少し先を言い淀んだけど、思い切って口に出した。




「そのときな、ゴブリンの死体を見てたら、ふっと思ったんだよ。コイツ食えるんじゃないかって……」




 うっ、と呻いて、藤堂アイリが顔を逸した。


 そう、今ならば、俺だってそう思うだろう。


 ゴブリンのような人型の魔物の肉を口にするのは、食の嗜好以前に倫理的な問題があると、俺だって、今の俺ならば、そう思う。


 けれど――あのときの俺は、むしろ進んで人間ではなくなりたがっていたのかも知れない。


 子供相手にあんな獣のような欲情をぶつけてくるような生物でいたくない――ゴブリンの生肉を齧る俺の脳裏に浮かび続けていたのは、俺のズボンを脱がせながら嗤う、あのお姉さんの淀んだ瞳だった。




「それからは同じことの繰り返しさ。魔物と戦って、殺して、火も通さない魔物の肉を食う――味なんか思い出せないし、今も思い出そうとすると吐きそうになるよ。でも、喰わなきゃ死ぬからな。ダンジョンで濃い魔素に接してるせいで、日毎にどんどん魔力量が増えた。もしかしたら魔物の肉を食ったことも影響してるのかも知れない。我流で魔法を使うようになったら、殺して食う量も増えた。その時の俺はもう人間じゃなかった。あの時の俺は、本物のダンジョンの魔物だった――」




 あのときの俺は、本当に人間だったのだろうかと、いまだに思い返すことがよくある。


 そして、あのときの異常な俺と、曲がりなりにも社会生活を営んでいる今の俺が、本当に同一人物であるのかどうかということも、よく考えることだった。


 とにかく、あの時の、ダンジョンで生活していた時の俺は、普通の精神状態でなかったことだけは確かな気がした。




「一回な、ダンジョンに潜った【潜入者ダイバー】が捨てていった荷物の中からおにぎりを拾ったことがあってな。懐かしかったなぁ、もう米なんて数年喰ってねぇから。俺は喜んでかぶりついた。そしたら――全部吐いちまったよ」




 俺は淡々と語った。




「体質の話じゃねぇ、心理的な話だよ。父さんと母さんが生きていた頃は普通に食ってたものだからな。今の血だらけ垢だらけの俺がこんな場所でおにぎり食ってるっていう事実が信じられなくて、信じたくなくて、身体が飲み込むことを拒否るんだ。だから全部吐いた。吐いたら吐いたで腹が減ってきて、俺はまた魔物の肉を……」

「もう、もういい、もういいですガンジュ君……!」




 藤堂アイリが泣きそうな声で――実際にその目尻には光るものがあった気がする。


 藤堂アイリはそれ以上は聞きたくない、というように、俺に縋りつき、肩に顔を埋めてきた。




「私、そんなことを聞きたかったわけじゃないんです! ごめんなさいごめんなさい! 私が変なことを気にしたから、ガンジュ君の辛い思い出を……!」




 ああ、この子はいい子だ。


 俺なんかのためにこんな声を上げてくれるなんて。


 その肩をポンポンと叩いて、大丈夫だ、と伝えた。




「いいよ、喋らせてくれよ。俺にだって整理が必要な思い出だ。……それに、これはバッドエンドの話じゃないよ。俺はその後、ちゃんと親父殿に拾われて、今があるんだからさ」




 俺が微笑むと、藤堂アイリが俺の顔を見上げた。




「三年、経ったらしいな。俺はダンジョンの中で親父殿に出会った。無精髭で、妙なロゴが入った帽子被ってて、背中には四角いリュックサックを背負ってた。それが夏川健次郎――迷宮統括省をやめて、D Eatsを立ち上げたばかりの親父殿だった――」



 

 そう、人としての生活など半ば忘れかけていた俺は、そこで親父殿に出会ったのだ。




「多少は驚かせたと思うぜ。血だらけで、髪も伸び放題の小汚いガキが、腹をすかせて、目だけランランと光らせて現れたんだからよ。――でも、親父殿は、そんな俺にラーメンを食わせてくれたんだ」




 藤堂アイリが、俺の目を見上げた。




「下層階でお客様が死んじまってたんだとよ。親父殿は何も言わず、何も聞かず、人の言葉なんか忘れかけて呻き声しか上げられない俺に手招きして、割り箸を持たせて、垢だらけの俺の頭を撫でて、食べ終わるまでずっと一緒に居てくれた――」 




 そう、俺と藤堂アイリが出会った時と、全く一緒。


 俺はあの時、今度は施す側になったのだ。




「それから毎日毎日、親父殿は俺に人間のメシを食わせてくれた。相変わらず何も聞かずに、何も言わずに、ホラ食えよって。たった一度だけ、人間の言葉を思い出して言ってみたことがある。僕、おカネ持ってませんってな」




 そう、俺は親父殿が届けてくれる料理のお陰で、人間であることを思い出し始めていたのだった。




「そしたら、バカヤロウ、ガキのくせに妙なこと気にするんじゃねぇ、って……。俺は親父殿がなんでこんな親切にしてくれるかわからなかった。わからなかったけど、俺は親父殿と、その親父殿が食わせてくれるメシの味のお陰で、ひとつひとつ人間だったときのことを思い出していった。父さんと食べたラーメンの味、母さんが作ってくれたハンバーグの味、三人で食べたカレーの味……」




 俺は遠くの空にある月を見上げた。




「そのまま、二週間も毎日餌付けされたかな。ある日、親父殿が言ったんだよ。なぁお前、俺のことを親父殿って呼ぶ気あるか、あるなら、俺の家に来るか、ってさ」




 ふふふ、と、俺はくぐもった声で笑った。


 本来、俺はあの時の後遺症で、笑うことが得意ではない。


 けれどそのときは――本当に嬉しかったあのときのことを思い出して、俺はついつい、心の底から笑ってしまったのだった。




「あの時は泣いたなぁ……一生分、いや、来世分まで泣いて泣いて泣き喚いた。嬉しかったんだ、こんな俺に優しくしてくれた人が俺の親父殿になってくれる、そう思ったら嬉しくて嬉しくて、本気で死ぬかと思ったよ。……それで、俺はようやく、三年ぶりにダンジョンの外に出られた。太陽の光が眩しくて、丸一日目が開けられなかったなぁ――」




 そう、俺はやっと、親父殿のお陰で。


 親父殿が届けてくれる料理のお陰で。


 長い長い人生の穴蔵から出て、お日様の光を浴びることが出来たのだ。




 俺の話が終わりを迎えた辺りで、ちょうど駅の喧騒が近づいてきていた。




「まぁ、これが俺の身の上話の全てだよ。悪かったな、つまらない話につきあわせてよ」




 俺がへらへらと笑いかけても、藤堂アイリは無言だった。


 無言で、じっと何かを考えるかのように、視線を俺と合わせようとしない。


 俺は多少焦って軽口を叩いた。




「お、おい、悪かったって。そんな顔するなよ。俺はこれでも今、結構幸せなんだぜ。親父殿は急な病気で死んじまったけど、姉もいるし、インフルエンサーの友達もいるしさ」




 俺は駅の喧騒に負けないように、多少声を大きくしながら弁明した。




「それに――今はそんな過去があってよかったと思ってるんだぜ。あのドラゴンからお前を守れたのも、その過去があったからだ。確かに人から見れば多少不幸な生い立ちかも知れねぇけど、本人は割とこんな人生でも気に入ってるんだ」




 改札が見えてきたのに、藤堂アイリは無言のままだった。


 俺から視線を逸したまま、何かをじっと考えているとも、何かを耐えているとも言える表情のままだ。


 その表情に、何故なのか俺は更に焦りを募らせた。




「悪かったって。次はちゃんと面白い話するからさ。な? そんな顔しないでくれよ。そんな激暗い過去持った奴が友達じゃ不安か? 一緒に配信するのは嫌か? 大丈夫だって、これでも今は普通の男子高校生……」



 と、その時。


 何かをじっと考えていた藤堂アイリが、俺の目を真正面から見つめた。


 その不思議な色の瞳に、何かを決断したと見える色が見えたと思った瞬間、藤堂アイリの両腕が俺の頭に回り、俺は藤堂アイリにぐいっと引き寄せられた。




 何だ!? と驚いた途端、ちゅっ、と、自分の右頬に湿った温かさを感じて、俺は目を見開いた。




 俺が呆然とすると、藤堂アイリがなんだか泣きそうな表情のまま、俺に微笑んだ。




「……私、ガンジュ君が生きていてくれて嬉しいです。そんな辛い過去を話してくれたのも、その話をしてくれた初めての人が私なのも、嬉しいです、凄く……」




 藤堂アイリは声を詰まらせながら、それでも健気に微笑もうとするかのように微笑んでいた。


 過去のトラウマから、もっともっと、その行為には抵抗があると思っていたのだけれど。


 不思議と、怖くも、嫌でもなかった。


 そう、それはあの時のお姉さんのそれとは、全く違っていた。


 欲望ではなく、もっともっと、大事な何かを伝えんとするかのような――。




「ガンジュ君の強さは、理由がない強さじゃない。ちゃんと、ちゃんと辛い過去を乗り越えられたからこそ、手に入れられた強さなんだって……今、ちゃんとわかりました。ガンジュ君。ガンジュ君は、素敵な人です。そして、凄く、凄く強い人です――」




 ぼわああああ、と、数秒遅れて俺の頭に物凄い勢いで血が上った。


 急激に上昇した血圧に俺がくらくらしていると、藤堂アイリが俺のがら空きの右手を両手で握った。




「次の配信、絶対成功させましょうね」

「あ、ああ……」

「私、ガンジュ君のことをもっと多くの人に知ってほしいです。こんな人がこの世の中にいる、こんなに素敵で、こんなに凄い過去を持った人がいるんだ、って……」

「お、おう」

「絶対、絶対に、楽しい配信にしましょう。約束です!」

「う、うん」

「それじゃ、ガンジュ君! おやすみなさい!」




 藤堂アイリは俺の手を離し、改札に向かって駆けてゆく。


 呆然とその背中を目で追う俺に、藤堂アイリは一度だけ振り返って、俺に微笑みをくれた。


 後は何も言わず、凄くしゃなりとした所作で改札の奥に消えてゆく藤堂アイリを――俺はまだ夢見心地で見送っていた。




 飽きるぐらい呆然として……俺は俺の家へと向かって歩き始めた。




 右頬に、まだあの時の感触が消え残っていた。


 俺は何度も何度も右頬を右手でこすりながら、あの感触を思い出していた。




 歩き始めて数分。


 俺はシーソーに乗っていた時、藤堂アイリにしようとした質問の内容を思い出していた。




 重力に負けて地面に墜落した俺が出来なかった質問。


 それは――多分、こんな内容だった。




『なぁ藤堂、それって――お前みたいな人になりたい、っていうのが俺の夢でも、いいのかな』




 俺が、俺みたいな人間が、藤堂アイリみたいな、キラキラした人になれるなら――。


 心のどこかに着実に根づき始めたその願いを、俺はあと少しで口にしてしまうところだった。


 俺はボリボリと頭を掻きむしった。




「俺、何言おうとしてんだろうな――ハズっ」




 俺はそう一人ごちてから帰路についた。







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