第5章 私の帰るところ

第51話 サンドラの眼差し

「「ただいまー!」」


 アイラとシャルロッテがフリージアへ着く頃には、王都の空は夕焼けを通り過ぎ、青紫への夜のグラデーションを描いていた。ここへたどり着く道すがら、例のように芳しい夕餉の香を感じ取った二人は我先にと通りを駆けてきたものだから、お互い肩で息をしながら笑顔で戸をくぐった。


「おかえり! 遅かったじゃないか」


 炊事場から現れたサンドラは、これもまた例によって前掛けで手を拭きながら二人の顔を見た。


 サンドラはアイラの初登校がどうなるかとも思っていたが、実際それよりも案じていたのは、今朝緊張した面持ちで出ていったシャルロッテの方である。


 玄関に現れた二人の影に、かつてのシャルロッテの姿が重なって見えた。


 半年前、シャルロッテはレオンハルトに連れられてやってきた。


 この時はもちろん、シャルロッテ自身が誰にも事実を語らなかったために、第一学寮を不登校で追い出されたという事情しか、サンドラもレオンハルトも知らなかったのである。


 ただ、うらぶれて、もう誰も信じないような目でこちらを見上げたシャルロッテのことを、サンドラはよく覚えている。


 この歳の娘に、こんな目をさせて――何が魔法だ。馬鹿垂れどもが。


 当時はそんな風に憤って、以後のレオンハルトの来訪をも断っていたものだが、フリージアで暮らさせる中でシャルロッテが本来の性情を取り戻すにつれて、やがてサンドラは魔法自体が問題ではなかったらしいと気が付いた。


 様子を見て、レオンハルトがシャルロッテを訪ねてくることも許した。レオンハルト自身のシャルロッテへ対する気遣いもわかったからだ。シャルロッテの側からもレオンハルトへ嫌悪を向けることはなかったので、それからはお互い好きに関わらせることにした。


 結局、シャルロッテが自身から語ろうとしないことはサンドラもわざわざ聞いてはこなかった。大人としてできることを考えた時に、サンドラはまず信頼に足る存在であることに徹してきた。


 レオンハルトにとってはそれが、何度も訪ねて顔を見ることだったのだろう。


 サンドラにとってはそれが、毎日温かな食事を提供することだった。


「おばちゃん、お腹空いた!」


「わたしも!」


 そうして今彼女の目の前にいるのは、を待ちわびたひなのように純粋な笑顔を向ける二人である。


 これにはサンドラも顔をほころばせた。


「仕方ないねえ、手ぇ洗って着替えてきな!」

 

「「はあーい!」」


 アイラが来てからより明るくなったシャルロッテの声を聞きながら、サンドラは炊事場へ戻り、食器の準備を始めた。夕食はもうほぼできていて、あとは二人の口へ入るのを待つばかりである。


「まったく、持つべきものは友達だね……」


 大人なんかじゃなくってさ、と口の中で続けながら、それでもサンドラは嬉しそうに頬を緩めた。


 自分が何を解決したわけでもないが、シャルロッテは今日、ずっと抱えていた何かを一つ片付けてきたのだ。そんな顔をしていた。


 どんなことがあったのかは、やがてあの子らから話すだろう。


 またサンドラは、アイラがその助けとなったことも嬉しかった。


 かつて彼女の母が自分の大きな助けとなったように、彼女もまた、シャルロッテにとってかけがえのない存在になろうとしている。これほど喜ばしいことはない。


 そうこうしているうちに、二人は洗い場から帰ってきた。


 そうしてシャルロッテが炊事場に顔を覗かせて言う。


「あのさあおばちゃん! 今日さあ! アイラがさあ――」


 そおらきた。


 サンドラは笑いながら、いつもの調子で声を上げた。


「わかったわかった、食べながら聞くから。さっさと着替えといで!」


「いい? 絶対だよ! いこ、アイラ」


 シャルロッテもまたいつもの調子で言うと、すぐに身を翻す。


 そうして二人の勢いよく階段を駆け上がる音が、フリージアの中に賑やかに響くのだった。

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