第53話 あとかたづけ
フリージアの表戸が勢いよく開かれたのは、アイラとシャルロッテが食事の後片付けを担っている最中のことであった。
サンドラはシャルロッテの制服を預かり自室に引っ込んだきりである。二人はついさきほどまで「こんな夜分に誰か通りを走ってるねえ」などとのんきに会話していたので、その足音がまさかこの建物を目指していたものとは思わず、アイラなどは持っていた皿を取り落としそうになった。
しかし、激しい息遣いとともに玄関から聞こえてきたのは、聞き覚えのある声だった。
「シャルロッテくん、いるかね!?」
さっきまで走っていたのを窺わせるように、声の主は咳き込みながらシャルロッテを呼んだ。アイラとシャルロッテは顔を見合わせてから、手にしていた食器類をいったん置いて、手を拭き拭き居間へと顔を出す。
そこに立っていたのは、明るい土色のジャケットがやや着崩れた、レブストル副学長――レオンハルト・マルケルスであった。普段なら撫でつけて整えられていた髪の毛は、走った際の風を受けてか、ぼさぼさと浮き立っている。
「あれ、レオちゃん先生。どうしたんですかあ? そんなに慌てて――」
シャルロッテがいつものからかうような調子で一歩二歩と近づくまでの短い間に、レオンハルトは佇まいを正して、まっすぐとシャルロッテを見つめた。そして彼女が、おや今日は少し様子が違うぞ、と気が付いたことを見て取ると、レオンハルトは
「すまなかった!」
シャルロッテは一瞬固まってから後ずさり、エッ、と声を上げる。
「な、なにが!?」
「なにもかもがだ。今まで、君にはすまないことをした……」
「や、やめてよ先生、なんのこと?」
シャルロッテが頭を上げさせると、レオンハルトは神妙な面持ちで改めて彼女を見つめて言った。
「今日は副学長として、謝罪しにきたんだ」
そうしてレオンハルトが語ったのは、アイラとシャルロッテが管理棟を出てからの話であった。
管理棟での一件はすぐに学院の上層部に報告され、主だった責任者らによる事実確認の場が設けられたこと。
尋問に対するヴァレー事務員の供述から、昨年度中に第一学寮に所属する妹に対して複数の便宜を図っていたのが発覚したこと。
中でも、事務員の立場を利用して特定の門徒に対して不利益となるように手伝ったことついては、今回の渦中にいたシャルロッテに対する行動が徹底的に洗い出された。その結果、シャルロッテの印象を貶めるような風説の流布や、彼女が行った手続きに対する意図的な遅延などが明らかとなった。
教授会では、これらの行動がシャルロッテを第一学寮退寮へと大きく導いたものと結論付けられた。不義不正を働いたヴァレー事務員の処遇については、懲戒的な免職となる運びとのことである。
「君自身が多くを語らなかったとはいえ――我々教員が、もっと君のことを知ろうとしていれば、こんなことには……」
レオンハルトは語りながら、悔しそうに顔を歪ませた。
「君を不真面目な門徒などと断じて、適切な対応を取らなかったことについて、まずは謝りたい。これは誰より、退寮からずっと関わってきた僕がしなければならなかった。本当に、申し訳ない……」
そう言って、レオンハルトはまた深々と頭を下げる。シャルロッテは困ったように頭を掻いて、どうしたものかとアイラに視線を投げたが、投げられたアイラも困ったものである。
しかし、頭を上げたレオンハルトの次の言葉には、アイラもシャルロッテも目を見張った。
「それで……もし今からでも君が希望するなら、元居た第一学寮へ戻して、君が休学した半年分の単位取得についても便宜を図ろうというのが、教授会の総意なんだが――」
アイラの心はすぐさま、目の前のレオンハルトをすっ飛ばして考え事の姿勢に移った。
シャルが――第一学寮へ、戻る?
アイラは自分が見た第一学寮のきらびやかな面構えを思い出し、その内部での生活にまで想像を巡らせた。しかし一方では、シャルロッテ自身が語った寮内での筆舌に尽くせぬ日々のことを思った。
シャルロッテはもともと第一学寮にいた。ということは、レブストルへ入門する前の暮らしぶりも、それに準ずる社会階層のものであったようにアイラには思われる。
アイラの目が、シャルロッテの横顔を捉える。
確かに、過去には苦い経験があった第一学寮だが、今のレオンハルトの話を聞く限り、嫌がらせを行った本人らには今後なんらかの厳しい目が向けられるだろうし、以前のようなことは起きないかもしれない。
対して、このフリージアでの生活は、第一学寮とは程遠い。年季の入った狭い生活空間に、たった一人の寮友は、自分のような西の果ての田舎娘ときたものだ。家事もほどほどには自分たちでしなければならないし――
アイラはいくつもの理由を頭に並べ立て、シャルロッテの答えを待った。本心では、こんなに素敵な寮は他に無いと思いながら、次の瞬間にもシャルロッテが選択するかもしれない進路を、自分は喜ばしいものとして捉えなければという意識が大きく働いたのだ。
その間アイラの手には、自身の服の裾が握られている。
――シャル。シャル。王都での私の初めての友だち。
同じ寮だからって、気を抜いていた。まさか離れることになるなんて考えもしなかった。でもシャルがそれを望むなら、私は笑って送り出さなければならない。だって、友だちって、きっとそういうものだから……。
レオンハルトに返答するまでシャルロッテが沈黙していたのは、実に数秒のことだったのだが、その間前述のようなことを高速で考えていたアイラにとっては、シャルロッテが口を開くまでが、数分にも数十分にも感じられるほど、長いものであった。
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