第54話 ただでは起きない放蕩屋

 間もなくして、頬を掻きながらシャルロッテが口を開いた。


「先生にそんな風に言われると、困っちゃうなあ……」


 その言葉に、アイラはどきりとする。


 シャル、やっぱり、出て行っちゃうの?

 少なくとも、第一学寮に戻ろうか迷ってるってこと?


 アイラは純粋に、嫌だ、と思った。

 嫌だ。やっぱり嫌だ。

 友達だから喜ばなきゃと思っても、そんなの嫌だ。


 せっかく仲良くなれたのに、もう一緒に暮らせないなんて。

 朝起きてもシャルがいないなんて。

 出会って間もない自分が、こんな風に思うのはおこがましいだろうか。


 でも、いやだよ、シャル――


「いかないで……」


 シャルロッテがこちらを振り向いたことで、アイラは自分の気持ちが口を突いて出てしまったことに気が付いて、顔を赤くした。壁にかけられたランプの火が大きく揺れる。


「あっごごごめん、ち、違うの! シャル、違うよ! いまのは嘘――いや嘘じゃないけどッ! と、とにかく、私のことは気にしないで、ね!」


 手で視線を遮るようにしてアイラは言い募ったが、言葉にするうちに、自然と目には涙が滲んでくる。


 馬鹿、私、なにやってるんだ。

 こんな顔見せたら、シャルに気を遣わせるじゃないか。


「アイラ――」


 滲んだ視界の中で、シャルロッテの声が聞こえる。

 ごめん。ごめんねシャル、困っちゃうよね。

 好きにしたらいいんだよ。私はシャルが元気でいてくれたらなんでもいいんだよ。

 離れちゃっても、時々思い出してくれたら――ああ、でも、やっぱりたまには、ご飯を一緒に食べてくれたら嬉しいかな……。


「――何言ってるんだ?」


「ほんと、何言ってるんだろ、私、図々しい……」


「いやいや、違うって、アイラ」


 気が付くと、シャルロッテの気配がすぐ目の前にあった。

 優しいシャル。やっぱり気を遣わせちゃった。

 こんなに近くで顔を見られるのも、もう最後かもしれないな――と思いながらアイラが眼鏡を押し上げて目を拭うと、そこに現れたシャルロッテの顔は、これから人を慰めるにはいささかそぐわない、呆れたような表情をしていた。


 はあ、と息を吐いてから、シャルロッテがアイラの肩に手を置く。


「あたしがここを出てくわけないだろー? しっかりしてよ、もう!」


「へ……? で、でも、さっき困っちゃうって――」


「それは、レオちゃんが謝ってることにだよ!」


 アイラの様子をいたわし気に見ていたレオンハルトは、シャルロッテの口からついに敬称が抜けたことにも反応できず、虚を突かれたようであった。


「え、わ、私か?」


「そうですよ! 大体、あたしが先生と会ったのなんて、退寮が決まってからの話でしょ。それまでにあたしのこと知ってたんですか?」


 振り向いたシャルロッテの問いに、レオンハルトは少しだけ往時を思い出すような素振りをしてから答えた。


「いやあ、名前ぐらいしか……」


「でしょ!? だったら先生が謝るのは筋違いってもんです。先生はむしろ、あたしをフリージアに連れてきた後も何度も通ってくれて、おばちゃんに怒られても、あたしがどれだけかわしても、何度も復学を勧めてくれて、馬鹿話にも付き合ってくれて――そんなの、どこ探したってレオちゃん先生だけだし」


「しかし、副学長としては……」


 レオンハルトの言葉を遮って、シャルロッテは手を振る。


「あーいいですいいです、そういうの。関わりなかった先生がどうこうできた話じゃないし。レオちゃん先生が謝ることなんて、何もないです。本当なら、あたしの陰口を信じて頭ごなしに言ってきた他の先生に謝ってもらいたいぐらいですよ。もう名前も顔も忘れちゃったんで、どうでもいいですけどね!」


 鼻息荒く言い立てる勢いに圧され、レオンハルトはたじろいだ。そして、やや考えたあと、再び真面目な顔になって言葉を述べた。


「……では、それについては内部調査を行い、追って該当者本人から謝罪をさせよう。直接ではなく、文書になってしまうかもしれないが……」


「いいのに……まあ、それでレオちゃん先生の気が済むなら」


「ありがとう。大人にはけじめが必要なんだ。感謝するよ」


 レオンハルトが一礼すると、シャルロッテは指を一つ立てて示した。


「それともう一つ、単位のことも。誤解が無いように言っておくと、あたし、


「えっ」


 思わぬ告白に、アイラが声を上げる。しかしレオンハルトは、ああ、と得心がいったように頷いた。


「じゃあ私の見立ては間違っていなかったわけだね」


 へへ、とシャルロッテは舌を出しながらこれを肯定した。


「じゃ、じゃあどうして王立魔法学術院レブストルに……?]


「それは……また追い追い話すよ、アイラ」


 これにはシャルロッテは小さくはにかんで誤魔化すのみである。しかし、そう語る目からは自分に対する信頼が色濃く感じられて、そのことがアイラがここまで抱えていた不安を一気に溶かしていった。


 シャルロッテはレオンハルトに向けて続ける。


「だから、ヴァレー姉妹からの嫌がらせがあって不登校に繋がったことは確かだけど、それはそれ。自分から学ぼうともしてなかったのに、こんな形で単位もらうのって――そりゃ、復学する上では儲けものかもしれないけど――なんていうか……セコいと思うんですよね」


 レオンハルトは少し雰囲気を和らげて、なるほどね、と頷き返した。


「それにそういうのって、これから頑張ろうとしてるアイラに対しても、不誠実だと思うし……」


 アイラはハッとしてシャルロッテを見つめたが、彼女は振り返らなかった。しかしその口元は、笑みを作りたそうに微かに動いていた。


 そうしてシャルロッテは胸を張ってこう述べた。


「だからあたし、単位もいりません。アイラと対等でいたいから、これから二人で頑張ります。ちょうど、魔法にもちょっとだけ興味出てきたんで!」


「ちょっとだけ、か。ハハハ……」


 レオンハルトは小さく笑うと、さらに態度を崩して腰に手を当て、やれやれといった表情を見せた。


「まったく君は、大人たちの思い通りにはならない子だね、シャルロッテ」


「はあい! 自分、〈〉なんで!」


 シャルロッテはニッと歯を見せて笑う。つられてアイラも笑うと、シャルロッテは今度はきちんと目を合わせて言った。


「わかった? アイラ、あたしはどこにも行かないよ。アイラもおばちゃんもいるフリージアが、あたしは好きだからね」


「……うん! えへへ」


 はにかむアイラに、てか泣くなよなー、などと言って小突きながら、シャルロッテもまたまんざらでもない顔である。


 二人の様子を見て、レオンハルトも両手を広げ、降参の意を示した。


「恐れ入ったよ……だが委細承知した。教授会には提案を突っ返してくるよ」


 そうして、では失礼、と彼が踵を返したころになって、奥の扉が開く音が聞こえた。のっしのっしと近づく足音に、全員が振り向く。


 やっとサンドラが広間に顔を覗かせたのである。

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