第21話 女神の食卓

 サンドラの料理は、第四学寮の古ぼけた食卓を輝かせた。


 前述のサラダとパンに続いて、いくつもの料理がシャルロッテの手によって運ばれる。


 熱々のスープ。数種の豆が煮崩れる前の照りを保ち、色とりどりに賑々にぎにぎしく浮かんでいる。


 しっかりとしたオムレツ。その断面には刻まれた野菜がぎゅうと詰まり、しかしこぼれることなく赤、黄、緑が美しくまとまりを見せていた。


 脂の滴る肉。串に打たれた塊肉が、香草をまとって火に入れられたのだ。乗せて出された大皿には、岩塩と削り金が添えられている。


 さっぱりとした煮魚。スープと味がかぶらぬよう、別の野菜とスパイスが使われているようだ。鱗の処理にも抜け目がない。


 サンドラはこれらのあらゆる食材を短時間で同時に調理していたにも関わらず、そのいずれもが寸分の焦げ・生焼けを感じさせない完璧な仕上がりであった。


 食卓の大皿からは、何とも言えぬ芳しい湯気が立ち上っている。香りから想像される味も様々で、アイラにはまだ味わったことのない、多様な地方のエッセンスを感じることができた。


 アイラは、サンドラに渡された硬いパンを切るのに苦戦していたが、シャルロッテの手によりその幾皿もが運ばれるたび、感嘆の声を漏らして手が止まった。なお、ここでアイラが止まっても、特に奥からは声は飛んでこない。


「うわあ……いいんですか、こんなに!」


 アイラの声に、すべてを供し終えたサンドラが笑いながら、奥から手を拭き拭き現れる。


「美味しいもんはどんだけあったっていいのさ! さすがに毎日こうじゃないけどね、今日は歓迎の料理だよ。ついでに、教授先生の舌も唸らせてやりたいことだしね!」


 そういってサンドラがレオンハルトに目を向けると、レオンハルトは意外そうに顔を上げた。


「何を言っているんだい。君の料理はいつだって美味しいだろう? 今更驚かないよ」


 サンドラは虚を突かれたように、少しの間レオンハルトを見つめた。


「……わかってるじゃないか」


 やがてそう答えると、その隣に腰を落ち着ける。


「ところで、僕が剥いた芋はどこにいったんだい?」


「スープとオムレツにいくらか入ってるよ」


「ええ! あんなに剥いたのに?」


「おうよ。残りは南風の漬物にしとくから、また食べに来るんだね」


 アイラとシャルロッテは、大人たちの向かいの席で、この二人の会話を聴きながら目を見合わせた。


 長い付き合いというだけあって、素っ気ないようで、二人の間には小気味よい空気感がある。実際レオンハルトはサンドラの切り返しにやれやれとお手上げの体だったが、それでも一切不満そうな様子はなく、頬には柔らかい笑みまで浮かべているのである。

 

 仲の良い大人の姿を見ることは、同年代には感じることのない、気恥ずかしさにも似たある種の憧れを彼女らに感じさせた。しかしそれを的確に表現する手立てもないので、見合わせた二人ともがなんとはなしに、くすくすと笑う。


「さあ、冷めないうちに乾杯だ。あんたたちは水でいいね。ええと……レオ、なんかそれらしい口上はないかい?」


 サンドラは二人分の木のカップに酒を注ぎながら、「短いやつだよ」とレオンハルトの挨拶を促した。


「僕が? じゃあ……ゴホン」


 レオンハルトは受け取った杯を掲げ、列席者を順に目で追いながら、こう述べる。


「それでは、アイラの新しき生活と、シャルロッテの復学と、サンドラのなすこのたえなる食卓に――」


 乾杯! との声と四人のカップが打ち重なり、ついで大人たちが酒を飲み干す音が続き、レオンハルトがゆっくりと、そしてサンドラが勢いよくカップをテーブルに置いた。


「さあ、食べるよ!」


 サンドラの宣言によって、各々の手と口が動き出す。


 どれから口に運ぼうか迷っていたアイラも、皆に遅れて、豆のスープを一口すすった。その香りと温かさに、まず笑みがこぼれる。


「ん! おいしいです!」


 その言葉を受けて、サンドラはこの日一番の柔和な顔を見せた。


 レブストル第四学寮――


 第四とは建てられた順ではなく、実に学生寮としての等級そのものである。


 並み居る学生寮の中で最も学院から遠く、最も小さく、最も古く人気のないこの建物は、前身である宿屋の屋号を受け継いで、こう呼ばれていた。


「そりゃよかった。〈フリージア〉にようこそ、アイラ」


 その〈フリージア〉の四代目主人、サンドラ・ギーブリ。


 彼女を頼る歴代数少なき寮生は、すべての寮で最も働かされることになるが――


「ほら、どんどん食べな!」


「はい! いただきます!」


 ――その一方で、すべての寮の中で最も美味い飯にありつけるということは、ほとんど誰にも知られていない。


 サンドラとはこういう女である。

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