第2章 フリージアの女たち

第15話 お砂糖とスパイス、そして

 建物の中は、案外明るかった。


 玄関のすぐそばに記帳台のような造りがあり、その上で煌々とランプが灯っていた。レオンハルトは寮、と言ったが、かつては宿屋だったのかもしれない。


 アイラは部屋を見渡した。


 厚みのある大きなテーブルに、椅子が四脚。贅沢な配置だな、と思ったら、ランプの届かない部屋の隅に、脚の折れた椅子がいくつか積み重なっている。しかし、床はきれいに掃き清められているようだった。


 細かくは見えないが、調度品もほこりをかぶっている様子はない。ただ、どれも新しいものではなさそうなことは、田舎者のアイラでもなんとなく察せられた。


「おーい、サンドラ、お連れしたよ!」


 レオンハルトは勝手を知ったように、くだけた調子でよく届く声をあげた。


 すると二階から、「はあい」と返事がある。


 存外若い声だな、とアイラが思っていると、レオンハルトも「おや?」と首をかしいだ。ではないのだろうか。


 少し間があって、上の方で勢いよくドアの開く音がしたかと思うと、どたどたと床を踏み抜かんばかりの音が近づいてきた。


 事情を知らないなりにも、やっぱりではなさそうだな、とアイラが思っていると、二階の声が答えながら階段を降りかけた。


「おばちゃんならいま買い物に――」


 その束の間、「あっ」という不穏な一拍を置いて、やかましい足音はさらに大きな音へと変じ、「うわあ」と叫ぶ人の形をして、ごろごろと階段を転げ落ちてきたではないか。


「だっ、だっ、大丈夫ですか!?」


 思わず駆け寄ったアイラは、声の主が自分と同じ年頃の女性であったことに気づいた。

 

 彼女は左手で腰をさすりながら、だいじょぶだいじょぶ、と右の手のひらを見せたが、その親指と人差し指の間には何か見知らぬ工具らしきものが握られている。


 アイラはわたわたと手を所在なさげにして、助けを求めるようにレオンハルトを振り返ったが、彼は肩をすくめて見せるだけだった。


「相変わらず君は何をやっているんだね」


 アイラは二人が顔見知りであることに思い当たった。


 そしてあの優しいレオンハルトがこうも飽き飽きといった態度をとっているところから、どうやら落ちてきた少女にとってこの程度は茶飯事であることも理解する。


 少しだけ安堵しつつ、本当にいいのだろうかと一抹の心配を残したまま、アイラは改めて少女を見た。


「何をやっているかって、見てわかりませんか、先生? ですよ!」


 言いながら、声の主である少女は顔を上げた。


 その不敵な笑みと、整った眉の下に爛々と輝く緑色の瞳が、アイラの目を釘付けにする。


 一目見て、強い子だ。と思う。


 肩にかからない程度の癖のある栗毛は、少女の勝ち気な印象を強めていた。


「そのに勉学が入ってないから困るんじゃないか」


「ご心配なく! ご覧の通り、私は何ら困っていませんよ」


 少女はまだ少しだけ痛そうにしながら立ち上がった。


 強気な印象から、アイラには彼女が大きく見えていたものだが、実際横に並んでみると、長身のアイラより頭半分ほど小さい、平均的な背丈をしていた。


 少女はぱんぱん、とズボンの尻を払いながら、工具を持ち換えてアイラに手を伸べる。


「ありがとう。あなたが新入生? あたしはシャルロッテ。残念だけどここの寮生、あたししかいないんだ。シャルって呼んでよ!」


 そう早口でまくし立てながら、シャルロッテはアイラと半ば強引に握手を交わした。展開の速さに放心していたアイラも、自分が名乗る番であることに少し遅れて気が付く。


「あ、わ、わたしは、アイラ、です。ええと……」


 そうしてちらりとレオンハルトを見たが、その反応を確認する前に、自分でこう付け加えた。


「め、〈眼鏡割り〉の! アイラです!」


「〈眼鏡割り〉?」


 シャルロッテは少しだけぽかんとした表情をしたあと、ぱっと顔を明るくして、


「ああ、二つ名かあ!」


 と得心したように握った腕をぶんぶんと上下させた。


「ごめんごめん慣れてなくて。いやー同年代と話すの久しぶりだ。〈眼鏡割り〉って、なんか勢いあっていい感じだな! でも困るだろー割れたら! 今度割れちゃったらあたしが直すから言ってよね! あ、アイラでいい?」


 シャルロッテが自分には無い勢いで話すので、アイラはまたもついていけず、あっ、はい、と頷くだけになっていたが、ここへレオンハルトが割って入ったことで、二人は揃ってそちらを向いた。


「……シャルロッテくん。嬉しいのはわかるが、少しは相手の様子を見たまえよ」


 それを聞くなりシャルロッテはアイラに向き直り、握っていた手を緩めた。


「おっと、ごめんごめん」


 いえ、そんな、ともごもご言いながら、アイラは少しだけ落ち着きを取り戻す。


 王都で初めて出会った同年代に、アイラは何でもいいから話しかけたかった。


「えっと、シャルロッテさんは――」


「シャルでいいよ!」


 出鼻をくじかれたアイラはそれでもめげずに続けたが、元来真面目な彼女はそうそうすぐに呼び捨てにはできない。


「あ、シャルさんは、」


「シャ、ル! さんはいいから!」


 しかしシャルロッテはいたって真面目に、厳しく訂正した。


「えと、じゃあ、シャル、は、いつからこの寮に?」


 シャル、という呼び方に、シャルロッテはにんまりと口角を上げて、「半年前!」と答えた。


 そうしてアイラが理解するより先に、このように自分を紹介した。


「あたし留年してるから、アイラと一緒の学年なんだ。よろしくね!」

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