第25話 レオンハルトの贈り物

 朝の街はすでに賑やかだった。


 二人はフリージアのある通りを出ると、大通りを文字通り南へ下った。


 目的である仕立屋自体は、フリージアから大通りを挟んで西側へ入ったところにある。しかし制服が荷物になるからと、先に他の店を回ってから立ち寄ることをシャルロッテが提案したのである。


 シャルロッテは歩きながらアイラの取りとめもない希望を聞いて、ふんふんと頷き、すぐに最適化した道順を組み立てたらしかった。


「まかせな。ここらはあたしの庭みたいなもんだから!」


 シャルロッテの言葉は決して過言ではなかった。


 事実、大通りへ出るまでの間、フリージアの近所では居合わせた誰しもがシャルロッテに声をかけてきた。


「おはよう、シャル」


「おっちゃん、おはよっ!」


「あらシャル、おでかけ?」


「へへ、友達と行くんだー!」


 シャルロッテはなんでもないように、どんな相手にも軽妙に挨拶を返す。


 その都度、自然と彼らの視線はアイラを捉えるので、アイラは何度も慌ててお辞儀を返した。ちゃんとできてるかな、とアイラは不安に思わないではなかったが、誰もが二人に温かい声をかけてくれるので、アイラは自分のことよりもシャルロッテの人好きする性格に思いを致していた。


「シャル、すごいね! みんな知り合いなの?」


「アハハ……まあ、ほら、あたし、学院行ってないじゃん?」


 シャルロッテは歩きながら、冗談めかして自分のことを語った。


「それで、やることない分、明るいうちもぷらぷらしてたから、このあたりのおじちゃんおばちゃんやチビッ子には顔が通ってるってだけ。まあ学生としちゃ、不良だよねー」


 その口調は軽いものだったが、アイラはどう反応したものか少し迷った。


 というのも、シャルロッテが留年した理由――学院に行かなかった理由を、アイラはまだ知らないからだ。


 〈放蕩ほうとう〉――という言葉がアイラの脳裏をよぎる。シャルロッテの二つ名である。


 確かに、遊んでばかりいた、というのはレオンハルトの口からも出た言葉ではあるが、それはもしかして、単なる結果の話ではないのか。

 

 そういったことをアイラは考えてみたものの、本人の口ぶりからは、事実の程はなんとも察することができなかった。


 一方で、アイラはシャルロッテのことを、もう十分好きになっていた。


 好きな人のことは、事情がどうあれ、例え本人であっても悪く言ってほしくないものである。


 アイラはシャルロッテの軽口には乗らず、自分の素直な気持ちを伝えることにした。


「ううん。シャル、たくさんの人と知り合えるのって、素敵なことだよ。私もシャルみたいになりたい、って思うし……」


 すると、前を歩いていたシャルロッテがやおら立ち止まって振り返ると、アイラの目をまじまじと見つめるのだった。


「アイラって、もしかして……めちゃくちゃいい子じゃないか?」


「ええ?」


 何をいきなり、とアイラはどぎまぎして身構えたが、シャルロッテはその様子を見てにんまりと笑みを浮かべ、前に向き直った。そしてアイラに聞こえるように、


「ありがと!」


 と言うと、先ほどより少し弾んだ歩幅で通りをずんずん下っていく。


 アイラはなんだかわからない顔をしながら、しかしありがとうと言われたので、ひとまず「どういたしまして?」と返してその後ろへ続いた。


 二人が最初に行きついたのは文具屋だった。


 大通り沿いに三段ほどの小さな階段があり、その先の戸を押し開けて中へ入った。店内でアイラが肩掛けから注文の控えを出そうとしているうちに、シャルロッテはずかずかと奥へ行って、もう店主と話を付けているではないか。


 店主はすぐ事情が通じたようで、アイラに向けて声をかけた。


「おたくが、先生ご紹介のお嬢さんかい? 先生からは、向こう一年分ぐらい預かってるからね。入り用なものがあればその都度持って行っていいから、とりあえず邪魔にならない分を好きに選びなよ」


 言われてアイラは、鉛筆数本とインク壺を一つ持ち帰ることにした。


 しかし品物を包む段になって、店主が「そうだそうだ」、と店の奥から小さな箱を取り出して、アイラに差し出した。


「先生から、この万年筆をお嬢さんに渡すよう言付ことづかっててね」


 アイラは驚いて、申し訳なさそうに言った。


「でも私、お父さんのおさがりで、もう万年筆を持ってるんですよ」


 しかし店主も簡単には引き下がらない。


「そうは言うがねお嬢さん、うちも先生から重ねて言われてるんだ。これを渡さなきゃあ信用に関わるよ。まあ、そう重たい荷物じゃあないから、持って行っておくれよ、な」


 半ば押し付けられるようにして、アイラは新品の万年筆を受け取った。ビロード地の小箱に収められたそれは、決して安価には見えない輝きを放っていた。


 シャルロッテが、箱の中身を横から覗き込んだ。


「お、いい筆じゃん」


 言われると、アイラは途端に値段が気になって、箱を持つ指に緊張がみなぎった。


 それを察した店主が、ハハハ、と笑う。


「お嬢さん、学院の新入生だろ。いい道具ってのはなあ、人に使われて、もっといい道具になるのさ。しっかり使ってやっておくれよ」


 店主の言葉はアイラの緊張をほぐすには至らなかったが、その緊張は良い方に働いた。


 アイラにはこの万年筆が、レオンハルトからの前途を祝した贈り物のように思える。本人がそうとは言わないだけで、実際はそうなのかもしれなかった。

 

 だったら――お父さんのは、寮で使う用にしよう。レオさんに会ったら、いっぱいお礼言わなきゃだ……。


 アイラは心持ちを新たにすると、店主から受け取った万年筆の箱を粛々と鞄にしまい込んで店を出た。

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