第24話 いってきます

 サンドラは紙束を手にしたまま椅子にどっかりと腰を下ろすと、やれやれといった体でこのように言った。


「あんたの父ちゃんは本当に何も喋らないねえ。安心しな、こっちで入り用なものはね、もう全部レオが用立ててあるのさ」


「へっ?」


 サンドラは紙束をアイラに手渡した。


「これがその控えだよ。教授先生の口添えがあるから滅多なことはないだろうけど、一応品物を引き換えるのに一式持っていきな」


 そう言って、サンドラはまた茶を喫するのに戻った。


 アイラはいつものごとく目をぱちぱちとしばたかせてから、慌てて受け取った紙の束を改めた。さきほど勧められた仕立屋だけでなく、文具屋でも教材一式がすでに注文されていた。他には靴屋、眼鏡屋、鞄屋といった、いずれ新しく必要になるものについても、すでに紹介が済まされたことを示す内容がそこには書かれていた。


「こんなに……! お、お礼言わなきゃ!」


 居ても立ってもといった体でアイラは立ち上がり、なんのかんのと言いながら所在なく食卓の周りをうろうろした。


 シャルロッテはその様子を見ながら一息に茶を飲み干すと、そわそわするアイラの隣に立って、落ち着けるようにその肩を抱いた。


「アイラ、こういうときはちゃんと甘えるのも大事だよ。心配しなくても、あと三日もすれば入学式で会えるしさ! その時に挨拶したらいいってことよ」


「ええ、そうかなあ……でもやっぱり……」


 アイラは答えを求めるようにサンドラを見た。サンドラは呆れたような顔でつんと茶を飲んでいたが、やがてアイラの人の良さに笑みを隠し切れなくなった。


「フ、ハハッ……大丈夫だよ、アイラ!」


 サンドラは手の平をひらひらさせながら続けた。


「レオならこう言うだろうさ。『僕は役目を果たしているだけだ』ってね。シャル坊の言う通り、お礼は今度でいいのさ。今は王都を見て歩いて、アイラが楽しんでる顔を見せたほうが、レオも喜ぶだろうよ。なあ、シャル坊!」


 待ってました、とばかりにシャルロッテはうんうん頷いて言葉を継いだ。


「そうだぞー。今日から王都の案内は、このシャル姉さんに任せなさい! だてに一年間遊んでないよ!」


「イヨッ、放蕩屋!」


 サンドラが囃し立てると、シャルロッテも「ア、なんでも聞きナァ」と大衆劇の真似事をしてガハハと笑った。


 こうした二人の言葉と態度に、アイラもようやく表情を和らげる。


「そ、そうかな? じゃあ、シャル、今日はよろしくね!」


「合点だい! じゃあおばちゃん、今日はお昼、外で食べてきていい?」


「ああ、そうしな」


 そうと決まれば、あとは早かった。


 二人は食器や茶器を片付けると、自室へ戻って急いで身支度を整えた。アイラは一張羅のコートを羽織り、小さな肩掛けに財布を伴って部屋を出た。ちょうどシャルロッテも部屋から出てきたところだ。二人ともパンツスタイルが好みらしく、街歩きのために身軽にまとめてきたようだ。


 二人は廊下に出て、先ほどとは少し装いの変わった互いの様子を一瞬見つめ合い、にっと小さく笑って、どちらからともなく階下へと急いだ。


 そうしてシャルロッテが「いってきます」と告げて玄関を開けたのに続いて、自分の口からも同じ言葉が出た時、アイラにはフリージアが本当に自分の家になったように感じられた。


 そしてそれを確かめるように、背後からサンドラの声が届く。


「あいよ、いってらっしゃい!」


 振り返りながらアイラは、


 お母さん――


 と少しだけ思って、元気よく頷きを返し、シャルロッテを追って外へ出た。


 開いたフリージアのドアが軋みながら元の位置に戻り、二人の足音が遠ざかっていくのを、サンドラはにこやかに見送った。そして自分にだけもう一杯、もうほとんど出涸らしになった薬草茶を淹れて、誰にともなく、彼女はつぶやいた。


「まったく、あんたにそっくりで嫌んなっちゃうよ、ターシャ」


 薬草茶はすでに渋みが出ていて、一煎目のようなさっぱりとした風味ではなくなっていた。それでもサンドラは、淹れた茶を大事そうに口に運んだ。


 サンドラの目の奥では、アイラの長い金髪に、亜麻色の髪の流れが重なって思い出されていた。


 それはかつて彼女自身が憎からず思っていた、そして二度とまみえることの叶わない、古い友人の髪の色であった。


「……またあたしに、あんたがお茶を淹れてくれないもんかねえ」


 その声は窓から差し込む日の光の中を静かに漂って、やがて何事もなかったかのように、テーブルの古傷に吸い込まれていく。


 サンドラは、自分がアイラの母の古い友人であることを、ついにアイラには打ち明けずにおいた。これはレオンハルトとも事前に話して決めたことである。


 いずれアイラにも、話せるときが来るかもしれない。


 だがそれまでは、自分はアイラにとって、ただの寮母でなければならない。


 サンドラはそのように自分を言い聞かせ、アイラたちがいなくなってから、静かに旧友を偲んだのだった。

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