第23話 寮生の朝

 王都の朝は、市場を除けば穏やかなものである。

 

 アイラはこの日ばかりは、長旅の疲れのままに眠りをむさぼっていた。そこへ階下から、カィンッ、カィンッと金属を激しく打ち叩く音が近づいてきた。


 世にもけたたましいその音を夢の中で聞いていたアイラは、目覚めてもなお鳴り響く異音に、すわ火事か戦かと物騒な想像を起こして飛び起きた。

 

「な、な、なに!?」


 アイラは取るもの取りえず裸眼のままに身を起こしたので、音に続いて自室のドアを開け放ったのが誰なのかは、すぐにはわからなかった。


 が、頭が整理されてくると、朝っぱらからこんなことをする人間はそうはいまいと思って、すぐに誰の仕業かは知れた。


「おはよう! 朝だよ! 起きて起きて!」


「やっぱりシャルかぁ……くあ……おはよ……」


 あくび混じりに挨拶しながら、アイラはやおら眼鏡をとり、ドアの前で鍋とヘラを掲げたシャルロッテを見た。


「いやあ、いつもあたしがおばちゃんにやられてたから、一回誰かにやってみたかったんだよね。調子はどう?」


 カンカン、と今度は控えめに鳴らして、シャルロッテは歯を見せて笑った。


 起き抜けに目にするにはこれ以上ない爽やかな笑顔だ。やかましい音さえなければの話だが。


 アイラは一息に大きく体を伸ばした。長旅の名残か、まだ節々は硬く、体もやや重い気はする。だが、気分は悪くない。


 ただ、次にアイラの口を突いて出たのはこの言葉だった。


「お腹すいた……」


 そう言ってから、昨日あれだけ食べたのに、と思って自分で口をふさぐ。


「あはは、食いしん坊だ。もう朝ご飯できてるよ! 顔洗いにおいで!」


 そう言ってきびすを返したシャルロッテは、またカンカンと鍋を鳴らしながら上機嫌に階下へ降りていったが、その音は間もなく、


「うるさいよ!」


 というサンドラの声に掻き消された。


 アイラは自分も叱られたような変な心地がして、そそくさと支度をして部屋を出る。

 

 日はまだ昇り切っていないが、明るい光がそこここの窓から射し込んでいた。寝ぼけた頭ではやや急に感じる階段を、アイラは転ばないように気を付けながら階下へ急いだ。


「おはよう、アイラ! よく寝られたみたいだね!」


 サンドラは昨日と同じく前掛けをしていた。昨日よりは忙しくない様子で、しかしテキパキとは動いて、シャルロッテと食卓を準備していた。


「おかげさまで……あっすみません私やります!」


 慌てて手伝おうとしたアイラを「明日からは頼むよ」と手で制して、サンドラは古い鏡のある洗い場へ向かわせた。シャルロッテがこれに付き添い、あれこれと説明を加える。


 洗い場にはすでに水を張った盆があったが、こうした水は広場の共用水栓から毎朝汲んでくるらしかった。今日はシャルロッテがしたので、明日からは二人が交代で行うことになる。


 アイラの村にはまだ井戸しかなかったので、自分も噂に聞く水栓を使えると知って今から浮足立った。


 アイラは顔を洗うと、手拭いで水気を取りながら、少しくすんだ鏡に己を映して、じっと観た。


 そうだ、私は今、王都にいるんだよね。


 とは思ってみたものの、目の前の顔は昨日までと特に変わり映えのしない、いつもの自分に見えた。寝癖を手櫛でならす姿など、何度見たことか。


 アイラは髪を大雑把に整えるに留めて、いそいそと食卓へ向かった。


 昨日と同じ硬めのパンをもくもくと頬張りながら、アイラは二人からフリージアの朝の支度についてあれこれと教わった。


 寮生は朝起きたらまず窓を開け、広場で水を汲み、ちりを掃き出し、食卓を水拭きする。


 時計のゼンマイを巻くのと、かまどに火を入れるのはサンドラの仕事だ。


 寮には小さな裏庭があって、大抵のごみはそこの炉で灰にして溜めておくと、週に一度、肥やし屋があたりの軒を回って引き取りに来るのだという。


 竈でごみを燃やすとサンドラに大層怒られるのだということは、あとでシャルロッテが耳打ちして教えてくれたが、さすがにそれは聞かなくてもわかることだった。


 みんなが朝食を食べ終えると、サンドラは薬草茶をれながら次のように切り出した。


「アイラは、もう荷ほどきは済んだのかい?」


「はい、荷物と言っても、服が少しと勉強道具ぐらいなので」


「それなら、今日は仕立屋で制服をもらっておいで。入学式までに袖を通しとかないとね。シャル坊、案内できるだろ?」


 サンドラはシャルロッテに促すと、どっかりと椅子に座り込んで、自分のカップをすすった。フリージアの食器類は大抵木製だが、中には質素な陶器もちらほらと見かけられる。


 シャルロッテの「あいよ」という返事を聞きながら、アイラもそのひとつを手に取り、口へ運んだ。やや重たいが、ざらっとした口触りが味となって悪くない。


「おいしい……あっ、でも制服って高いですよね? 私、お金足りるかな……」


 アイラが父に持たされた財布の中身を心配していると、サンドラはおや、と眉を上げた。そうして一口茶を含むと、立ち上がってのしのしと奥へ消えていく。


 やがてまたのしのしと帰ってきたサンドラの手には、何かの紙束が携えられていた。

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