第45話 人を呪わば穴二つ

 アイラは事務職員らの視線が自分たちに集中していることを改めて確認すると、それまで後ろに隠れていたシャルロッテを表へ出した。


「よろしければ皆さん、この子の学年章をご覧ください」


 シャルロッテはアイラの言葉に促されるように、肩掛け鞄を降ろして胸の学年章をあらわにした。彼女らが図書館へ行く前となんら変わらぬ、乱暴な赤い刺繍が職員たちの目に触れることとなる。


「今朝復学手続きを行った際、こちらのヴァレーさんの手で刺繍されたものです」


 アイラの説明を受け、職員たちは口々に、あるいはその態度に動揺を現した。


 しばらく厳しい表情で歯噛みしていたキャサリン・ヴァレーは、ここでようやく口を開いた。


「黙って聞いてればあ……いい加減にしてちょうだぁい!」


 バン、とカウンターを叩くと、長い髪に手をやりながら彼女は続けた。


「そんな言いがかりぃ、ここにいる誰が信じるっていうのよ。あなたたちの自作自演なんじゃないのお? 謝るなら今のうちよお。それとも今すぐ、〈魔紋〉照合でもしてあげましょうかあ?」


 〈魔紋〉とは、指紋と同様に魔法自体に記録される個人特有の魔力の痕跡である。それを調べ目の前の人物と照合するのは、扱いの難しい判別魔法の一種だった。


「もちろん、していただいても構いません。でも、もう少しだけ私の話を聞いてください」


 アイラの言葉は、半分は目の前のキャサリンに向けて、もう半分はその後ろの大人たちに向けてだった。


 キャサリンは、ぴく、と眉を動かした。なにかがおかしいことに気が付いたのである。


 というのも、彼女が魔紋を引き合いに出したのは、自分に分があると思ったからだった。なんとなれば彼女は手続きの最後にシャルロッテ自身の手を借りることで、己の魔法にシャルロッテの魔紋を上書きして、すでに証拠隠滅を図っていたのである。


 それがどうしたことか、アイラの目はなおも自信に満ちている。


 何かキャサリンの想定外のことが、起こっているのではないか。


 しかしそんな動揺はおくびにも出さず、あくまでキャサリンは強気にふんぞり返って鼻を鳴らした。顎先を少しだけ動かして、アイラに続きを促す。


「ありがとうございます……はじめ、私たちはこの刺繍を自分たちで直そうと試みました。でも、この滅茶苦茶な刺繍をわざと守るような魔法がかけられていて、判別魔法が使えない私たちにはどうすることもできませんでした」


 アイラが言葉を切ると、今度は初めてシャルロッテが口を開いた。


「だからあたしたちは考え方を変えて、魔法を調べる代わりに、このお姉さんのことを調べることにしたんだ。お名前はかねがね、妹さんから聞かされてたからね」


 キャサリンの眉がまたひくひくと動いたが、シャルロッテに向けては見下すような目を向けるのみだった。


 しかしシャルロッテはもう下を向かず、その目を真っ向から受け止めた。


「ヴァレーさん、図書館てのはすごいね。卒業生の論文まで保管してるんだから」


「ふん! それでえ? 私の卒論を見たからってなんだっていうのよお」 


 挑発的なキャサリンの言葉に答えたのはアイラである。


「はい、ヴァレーさんの論文は大変興味深いものでした。これまで魔法で記述された書類はそれ自体が魔法に保護されていたのに対し、魔法を介さず作成された書類を後発的に保護する魔法を研究し、実用化されたそうですね」


 アイラはキャサリンに確認するように言ったが、キャサリンは目で返事をするだけだったので、そのまま続けた。


「その名も――事務魔法、〈透膜保護ラミネート〉。私たちは、ヴァレーさんが刺繍に〈透膜保護〉をかけたものとして、その解呪を試みました」


 ここまで聞くと、キャサリンはそれまでの仏頂面を一気に崩し、飢えた獣のように不気味な笑みを浮かべたかと思うと、途端に哄笑をあげた。


「アッハッハッハッハハハハハハハハ! 何かと思えば、馬鹿ねえ、墓穴ぼけつを掘ったじゃなあい! 私が作った〈透膜保護〉はその性質上、に分類されてるのよ? 魔法の使用も、も、主幹事務員以上じゃないと許可されていないわァ!」


 キャサリンはおかしくてたまらない様子で、目に涙を浮かべながら、腹がよじれるほど目の前の二人をわらいに嗤った。


「本当にお馬鹿さんねえ! 解呪しちゃったら、元の魔紋も残らないのよ。仮に私がやったのだとしても、もう何の証拠もないわあ。そして何より、無許可魔法の意図的な使用は、即破門なのよお! 残念ねえ! でもこれがなの、ウッフフ、ごめんなさいねえ!」


「それは、私たちも知っています」


「じゃあ、破門覚悟で解呪したって言いたいのお? あーあー、今のを言わなかったら、自作自演の言いがかりで納めてあげたのに……ねえ、みなさぁん?」


 キャサリンが後ろへ目を向けると、大人たちは難しい表情で事態を見守っていた。中には、キャサリンの言う結末がすでに定まったものとして、やっちまったかあ、入門初日でなあ、と呆れた声で呟く者もいた。


 ウフフ、ざまあみろ、よ。


 キャサリンは勝利を確信し、小気味よく鼻を鳴らしながら再びアイラとシャルロッテへと振り返ったが、そのときも彼女たちの目は依然として光を失わず、何ら負けを認めた様子はなかった。


「ヴァレーさん、墓穴を掘ったのはあなたです」


「……なんですってえ?」


「私たちは、使とは一言も言っていません」


 アイラの言葉に、キャサリンはその笑みで歪んだ頬をひくつかせながら、蔑むように言った。


「はあ? 魔法も使わずに解呪できるわけないじゃなあい?」


「そいつは――」


 そうして口を挟んだシャルロッテが、肩掛けからおもむろに一冊の本を取り出した。


「これを読んでから言ってもらおうかあ、ヴァレーさんよお!」


 己に向けられた本の表紙を、キャサリン・ヴァレー事務吏員は汚いものでも見るように眺め、その書名を嫌々といった体で読み上げた。


「なによ、これ……『サルでもわかる裏テク事務魔法大全』……?」

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