第35話 全然大丈夫じゃないよ
茫然自失のアイラが自分のしたことをきちんと認識できたのは、全員が再び講堂裏の控え室に戻ってきてからのことである。
「あなたねえ、〈眼鏡割り〉! あそこで噛むってどうなってるの!? 全然大丈夫じゃないじゃない!」
入室するや否や噛みついたのはサイサリスである。実はアイラは、サイサリスの合図に従って全員が声を合わせるところで、緊張のあまり宣誓文を噛みまくってしまったのだった。当のアイラはただただ精一杯で、最中にそんなことを意識する間もなかった。
「ご、ごめんなさいいいッ」
「いや、あれは自分も詰まっちゃったんで、アイラさんだけのせいじゃないスよ!」
泣きそうなアイラとの間に入ったゼノは、しかし代わりにサイサリスの厳しい目に晒されることとなる。
「あったりまえよ。あんたもよ。このぐらい練習しときなさいよ」
「あ、ハァイッ! スンマセンしたァッッ!」
ゼノは同年代に対するものとは思えないぐらい過剰にぺこぺこと頭を下げ、サイサリスはそれに嫌気がさしたようにやがて手をひらひらさせて退いた。
「もういいわ。まったく……おかげで私までとぼけた連中だと思われたじゃないのよ」
彼女はこれ以上この場に留まりたくないような素振りで、誰かを探して振り返った。そこへ、ちょうどレオンハルトが姿を見せる。
「やあ、ご苦労だったね諸君――」
「先生! もう解散してよろしいですね?」
サイサリスのいきなりの問いに少し面食らいながら、レオンハルトは「ああ」と短く頷いて応えた。
「ではこれで失礼します。先生? わたしはこの子たちとは違うということを、ちゃんと証明して見せますからね……行くわよマージ!」
「俺もかよ……」
パルマージは渋々といった顔で重い腰を上げたが、アイラの近くまで来ると、ゆらりと体をこちらに傾けてきた。
「よお……あんた、〈眼鏡割り〉って言ったな」
「は、はい!」
アイラは思わず身を硬くした。
「なんつうか、サリィ――ほらあいつ、サイサリスのことだけどよ……」
「?」
「あいつ友達いないから。また話してやってくれよな」
「……へっ!?」
思わぬ言葉に、アイラは硬くしていた表情を一気に崩された。よく状況が飲み込めていない間に、パルマージの視線は次に移る。
「ただしカーリマン、お前には勝つ」
「……好きにしたらいい」
カーリマンは相変わらず冷静にこれを受け止めて、それ以上の会話をしようとはしなかった。
そうかと思うと、今度は通路の奥からサイサリスの声が飛んでくる。
「マァーーーージ!」
「チッ。うるせえな……」
パルマージは一人こぼしながら、入り口にいたレオンハルトに一礼をして、そのまま姿勢の悪い背中で通路をゆらゆら歩いて出ていった。
「まあ、彼らのようにすぐ出て行ってもいいが、明日からは講義が始まるからね。その場所を覚えるためにも、学院内を回ってくることをおすすめするよ。どこか行きたいところはあるかい?」
残った三人に対して、レオンハルトは問いかけた。アイラとゼノがうーんと頭をひねっている間に、カーリマンが静かに手を挙げる。
「野外演習場は、もう使えますか?」
アイラがこの言葉を聞くのは、レオンハルトに学院を案内されて以来だった。
「ああ、今からは施設も解放される。演習場に関しては申請すれば講義時間外に魔法の鍛錬に使うことができるよ。やっていくのかな?」
「はい……ありがとうございました」
答えを聞くと、カーリマンもきびきびと礼をして通路へ消えていった。
続いてゼノも、学院の全体図を把握できる地図の場所を聞き、同じように出ていった。アイラはレオンハルトと二人きりになってからなんやかんやと話をしようと思っていたが、彼にはまだ残ってやることがあるらしいことに気が付いて、言葉少なに礼を述べるに留め、自分だけ退散することにした。
とにもかくにも儀式は終えたのだから、早くシャルロッテと合流したかった。緊張しただの、友達できるかなだのと、レオンハルトに今言えなかったことはシャルロッテにも言えばいい。
アイラは講堂を出ると、教室棟へ動いていく新入生らと動きを別にして、管理棟へと向かった。シャルロッテはそこでなにやら手続きがあるということだったから、その近くにいるはずだと踏んだのである。
思った通り、シャルロッテは管理棟の近くに佇んでいた。その姿を認めたアイラが、おおい、と手を振りながら近づいていくが、シャルロッテは気が付かない。
おや、とアイラは不審に思った。シャルロッテがこちらの呼びかけに答えないことなど、寮の中でも外でもこれまでなかったのだ。
やっぱり、今日のシャルは何か変だ……。
アイラは儀式前のシャルロッテの様子を思い出して、それ以上は手を振らずに、黙って彼女に近づいた。そしてすぐ目の前といってよい距離まで来て、改めて彼女の名を呼んだ。
「シャル、お待たせ! そっちは終わった? 復学の――」
手続きは、と言いかけたアイラは、途端にその言葉を飲み込んだ。
「シャル――シャル、どうしたの?」
アイラの呼びかけに面を上げたシャルロッテの目が、少し濡れているように見えたのである。心なしか、眉にも元気がない。
「え、どうもしないよ。大丈夫大丈夫!」
そういって目を細めた拍子に、シャルロッテのまなじりから一筋の涙が頬を伝う。それをとっさに拭おうと、彼女の手が上がった時、アイラはさらに目を疑った。
「え……なに、それ……?」
シャルロッテの制服――
仕立屋のおじさんに仕立て直してもらった制服の、その胸元。そこには学年を識別する色の刺繍が施されていたはずだった。
アイラのものは赤、シャルロッテのものは、一つ上の黄色。
「こんなの、全然大丈夫じゃないよ、シャル……!」
今朝見たばかりのシャルロッテの制服のその部分には、もともとあった黄色の上から――さながら幼児の殴り書きと言ってよいほど、まるで無茶苦茶に――アイラと同じ学年の赤い糸が縫い付けられていたのである。
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