第43話 ジィン・メイデンの盲点

 メイデンにいざなわれるままカウンターの裏側へと入った二人は、司書の執務室のさらに奥にある給湯室へ通された。


「ちょっと準備するから座ってて」


 メイデンは丸テーブルの椅子を二人に勧めると、自分は鉄製のストーブ窯に向かってケトルを沸かし始めた。薪から火をおこすなら時間のかかるはずだが、間もなくケトルからはしゅんしゅんと湯気の噴く音が聞こえ始める。何か内部に仕掛けがあるのだろう。


「私は甘いものに目が無いんだけど、ちょっと一人で食べるのはもったいないと思ってたところなんだよね」


 言いながら、メイデンは棚から磁器製の皿と紙袋を取り出し、二人の前にその袋の中身を披露した。

 皿に載せられたのは、波打った輪郭がこんがりと艶を放つ、大きな台形の菓子である。シャルロッテはその形状を見るや、驚きと喜びを隠し切れず、目を見開いて声を上げた。


「うわーーッ! これ『幸楽堂の』じゃないですか!」


「わあ、おっきいね。幸楽堂って?」


 アイラは何も知らないので見たままの感想を述べた。確かに通常のカヌレの三倍はあろうかという直径で、大き目の皿がそれ一つで埋まってしまうほどだった。


「中心街にある老舗のお菓子屋でさあ! 隠居してる先代の爺さんがたまに気まぐれで作る幻の名菓なんだよ!」


 シャルロッテの興奮具合に、メイデンはどうだと言わんばかりに小気味よく鼻を鳴らした。


「フッフッフ! 君もなかなかつうじゃないか、シャルロッテ」


 そのままナイフを手渡して適当に切り分けるように言うと、メイデンはケトルの湯をティーポットに注ぎ入れた。それを見て、アイラは慌てて腰を上げた。


「あ、私やります!」


「いい、いい! それより切り分けるのを見ててごらん」


「え?」


 アイラは中途半端な姿勢から机に振り返り、シャルロッテの手先を見た。中心より少しずらして差し入れたナイフを丁寧に動かして、かち、と皿の底まで下ろす。すっとナイフを引き出すと、シャルロッテはそれをいったん皿の上に置いた。

 そうして今度はカヌレを手で持って、切れ目に沿って割り開くと――


 カラン。


 と、中から何か小さい物が皿の上に転げ落ちた。


「何が出た?」


 こちらに背を向けたまま、メイデンが尋ねる。シャルロッテは手で割ったカヌレをまた皿の上に置いて、まじまじと転げ落ちたものを見つめた。アイラもまた顔を寄せてそれを見ると、なにやら鳥をかたどった小さな焼き物であるらしかった。


「これは……フクロウ! あ、占いみたいなもんでさ、縁起物なんだー」


 シャルロッテがアイラにもわかるように言った。


「なかなかいいじゃないか。じゃあアイラ、フクロウといえば?」


 ケトルを置いてストーブを背にしたメイデンが、ふいに尋ねた。アイラは咄嗟に頭の中の記憶を呼び起こし、いつか読んだ本の内容を思い出す。


フクロウは、えっと……知恵の象徴です。聡明。慧眼。不正を許さない、嘘を見抜く鳥。また、獲物を逃がさない狩人……」


 アイラが口にした言葉を、メイデンはにっこりと受け取った。抽出が終わったらしく、ポットから茶を注ぎ、カップを二人の下へ運びながらこれに答える。


「ご名答。今の君たちにぴったりだね……さ、お行儀よくすることはない、そのまま手でやっちゃってくれ」


「はい!」


「いただきまーす!」


 三人はもくもくと大きなカヌレを手で頬張った。こんがりと焼き目のついた外側はかりっとした歯触りを保っており、それでいて中はもちもちと柔らかく、バターと砂糖のうまみが舌の上で跳ねまわり、脳髄を駆けていくようだ。アイラは食べながらしきりにメイデンへ頷いて、そのただならぬ美味しさを伝えた。確かにこれをひとりで食べるのはもったいなくもあろう、と思った。


 メイデンもまた席について、二人の食べっぷりを見ながらよしよしと頷いていた。自分も食べながら、彼女は皿に残されたフクロウの焼き物に手を取り、ふふ、と笑みをこぼした。


「もむもむ、んぐ……好きなんですか、フクロウ?」


 アイラに問いに、メイデンはいやあ、と曖昧な返事をしながら、それでもまだフクロウを手で弄びながら眺めていた。


「私の友人に、フクロウみたいなやつがいてね。そいつを思い出して――」


 と、言いかけたところで、メイデンははたと何かに気が付いたようだった。


「待てよ……」


 メイデンは一人でぶつぶつ言いながら立ち上がると、手を拭って執務室に戻っていった。


 残されたアイラとシャルロッテは、お互いまだ口の中でカヌレをもぐもぐさせながら、目を見合わせててメイデンの背中を視線で追う。


 やがて現れたメイデンは、怪訝な顔でシャルロッテに尋ねた。


「シャルロッテ、君の制服にその意地悪な刺繍をしたのは、もしかして学院の事務職員なのかな?」


 シャルロッテは慌ててカヌレを飲み込むと、立ち上がってメイデンに尋ねた。


「んぐ……なんでわかったんですか? 何も言ってないのに!」


「なるほど、事情が読めてきた……」


 メイデンは困った顔で腰に手を当てると、再び執務室に戻り、今度は一冊の本を携えて戻ってきた。


「実は紹介した『効果効能別逆引き魔法大事典』には、旧版でも新版でも網羅できていない魔法群が一つだけあってね――恐らく答えはその中にある」


「え、じゃあそれって……!」


 アイラもまた立ち上がって、メイデンの手にした本に目を向けた。メイデンは呆れたように溜め息交じりで続ける。


「いやあ、一般的な魔法使いが使うもんじゃないからね、全く盲点だったよ。……おっと、触るのは手を綺麗にしてからだ」


 メイデンは手を伸ばしかけた二人を制して、代わりに本の表紙を二人に見えるように胸の前で掲げた。


 そこには、こう記されていた。


「『サルでもわかる……』……!?」

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