第58話 一緒に行こうよ
アイラたちが向かう教室棟はレブストルの敷地の南東に位置していた。
二人を含めほとんどの門徒は街が位置する南側の門から入るので、門から教室まではさほどかからない。しかし今は敷地北西の管理棟を出たところだったので、アイラたちは中央の中庭を通って、しばし足を延ばさねばならなかった。
ところで敷地中央の中庭を通るのは、アイラにとってはこれが四回目である。
最初はレオンハルトに連れられて、始終そわそわと。
次はシャルロッテを案じて、何か胸騒ぎを感じながら。
三度目はトゥルスタタンに助けられたあと、シャルロッテとアイラの二人ともが緊張しきっていた。どこを歩いたかも覚えていない。
以上のことから、アイラはせっかくの学院をまだ自分の意のままに観察できていなかったのである。故に多少の寄り道や遠回りは望むところであった。
アイラは歩きながら、中庭の噴水やベンチに目をやった。
昨日シャルロッテが寂しく佇んでいたのは、あの棚仕立ての植物のそばだ。
あのときはシャルロッテのことしか目に入らないままに、近くのベンチへと腰を下ろした。今見れば、棚の合間から、なにか薄紫色の蕾が可愛らしく顔を出しているではないか。
アイラは細部が見えてくるにつれ、初めて王都に降り立ったときのような目を取り戻していった。そうして見つけたものを、シャルロッテにも何事か説明して、歩きながらあれこれと視線を共有する。その目はどこまでもきらきらとして、まるでそれ自体が輝いているかのようだった。
大きな争いごとなど、この娘には似合わない。このように、ただ行き交う日常の中にちょっとした発見があるだけで、幸せを感ずることのできる、素朴な田舎娘である。
だが王都という地が――この国の魔法が、彼女にそれが続くことを許すかは、また別の話であった。
中庭の中央を横切ろうとしたとき、アイラは視界の外から響いてきた声に、思わず顔を動かした。
アイラが振り向いたのは、彼女から見て左――中庭の北側だった。中庭には四方にベンチがしつらえられていたので、そのいずれかから人の声がするのは特段不思議ではない。
もちろんその声も、アイラに向けて発されたものではない。
だが、なにぶん聞こえてきた声が声であった。
「マージ! あんた、わたしを待たせてることに何も感じないわけ?」
その自信に満ちて凛とした声と、歯に衣着せぬ強い物言い。
木陰の中にあってもなお、まばゆく透き通るようなその銀髪。
昨日出会ったばかりながら、アイラに強烈な印象を残した〈穂先の五人〉の筆頭――〈跋扈する〉サイサリスの後ろ姿がそこにはあった。儀式のときとは違い、今日は髪を下ろしているようだ。
「なんだよ、時間通り着いただろ……」
そして彼女のもとへ気怠そうにやってきたのはもちろん、〈根腐れ〉パルマージである。不健康そうな彼の白い肌は、サイサリスと同じ影の中でより青みを帯びて見えるようだった。
「あっきれた! わたしの姿が見えてるんだから、さっさと駆け寄りなさいよ! それをあんたはちんたらちんたら、うじうじうじうじ――」
「知り合い?」
シャルロッテが尋ねたことで、アイラはハッとして視線を彼女に戻した。いつのまにか足も止まっていたようで、シャルロッテとは数歩ばかり離れてしまっている。慌てて、前へと足を踏み出す。
「あッ、うん! ほら昨日話した、えっと、〈穂先の〉……」
「あー、あれが……」
シャルロッテはアイラを待って相槌を打ちながら、改めてサイサリスとパルマージを目に納めた。サイサリスはこちらに背を向けている上にパルマージも前髪で顔が隠れているので、二人の表情は判然としなかったが、離れていても伝わってくる互いのやり取りから、なんとなく雰囲気は察せられた。
「ねえシャル、私たち、あの子たちと友達になれるかな」
シャルロッテと再び肩を並べて歩き出しながら、アイラは尋ねた。シャルロッテが見ると、アイラの目はまっすぐと前を向いていたが、指先では肩掛けの紐をきゅっとつかんでいる。
私たち、か――とシャルロッテは思ってから、彼女もまた前を向いて答えた。
「なれるだろアイラはー! あたしならともかくさ、アイラならなれるよ、誰とでも……」
そうして彼女がハハッと小さく笑ったところで、今度はアイラが猛然とシャルロッテに振り向いた。
「だったら、シャルだって!!」
「うお、なんだよ」
その勢いに圧されて、シャルロッテは小さく仰け反る。アイラは今度は真っすぐシャルロッテを見つめて、少し目を怒らせながら続けるのだった。
「シャルだって、友達になれるよ! 誰とだって……私だけじゃないよ。私、みんなにシャルのこと、好きになってもらいたいんだから」
「いや、いいよもう、あたしは……」
シャルロッテがまた半ば苦笑しながらそのように言うと、アイラは頬をぷりぷりさせて返す。
「よくない! よくないよ、もう!」
そうして鼻息を荒くしながら、今度は自分からシャルロッテより先を歩き出した。
「あ、おい――」
シャルロッテは追いつこうとしながら何か言いかけたが、すぐに歩調を緩めた。
彼女はアイラの背中を見た。もう、シャルは、ほんとにもう、とぶつぶつ言いながら歩くアイラの背では、長い金髪がこれもまたぷりぷりと揺れながら輝いている。
アイラは足を速めたまま、振り返らなかった。これは、シャルロッテを置いていこうとするかに見えるが――その実、全く反対のことをしようとしているのが、当のシャルロッテにはわかった。
アイラは待っているのだ、シャルロッテが同じ歩調で歩き出すのを。
もちろんそれは単なる歩く速さのことではなく――
シャルロッテは一度立ち止まって、ハァ、と一息ついてから、アイラの背中を小走りで追いかけた。やれやれ、まったく、と思った。
こっちの心配なんていいのにさ。
もう、ずっと前に諦めたことなのにさ。
アイラだけでいいやって思ってたのに。
いいのか? そんなこと言われたらあたし――
「――アイラ、あたしもさァ!」
声をかけてアイラが振り向くのと同時に、シャルロッテはアイラの隣へと帰ってきた。
そうして恥ずかしそうに口ごもりながら言ったシャルロッテの言葉は、アイラに満面の笑みをもって迎えられるのだった。
「……新しい友達、できるかな……」
「えへへ。もちろんだよ、シャル!」
二人は今度こそ歩調を合わせ、中庭過ぎて行った。期待と緊張で互いに頬を上気させ、それを紛らわすようにふざけて脇を小突き合いながら進んでいくうち――やがて彼女たちの足は教室棟の前へとたどり着いたのだった。
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