第12話 人には人の呪いあり
管理棟をあとにしたアイラは、レオンハルトに連れられて学院の各所を巡り、簡単な説明を受けた。
座学が行われる教室棟や、実習に使われる演習場、教授たちの研究室棟など――敷地内にはおよそ教育機関と呼ぶにふさわしい施設はすべてそろっているようだった。
アイラは構内を歩きながら、新たに得た〈眼鏡割り〉という名を何度も頭の中で
眼鏡割り。
眼鏡割り。
なるほどその通りだが、身も
眼鏡が壊れるから、眼鏡割りって……。
私の呪いがこんなだから、こんな格好の付かない名前なの?
とアイラがひとり
職員はレオンハルトを見るや、たたずまいを正して挨拶をするので、その傍にいるアイラも自然と背筋が立つ。にこやかに返すレオンハルトに、
「そちらの方は?」
と職員は尋ねた。
突然の視線に、アイラはおどおどしながら
「彼女は〈眼鏡割り〉のアイラ、新入生だよ。知り合いに頼まれて案内をしている」
レオンハルトがアイラに促すような笑みを向けたので、アイラもはっとして職員に一礼した。
その下げられた頭の中ではまだ、
眼鏡割り。
眼鏡割り。
と同じ言葉が渦巻いている。
アイラは職員の反応が気になって、その表情を見るような見ないような様子で視線をうろうろさせていたが、当の職員は、
「そうでしたか、入門おめでとう」
とだけ返してその場を去っていったので、なんだか拍子抜けした。
……もっと、笑われるかと思った。
いやいや、心の中ではどう思ってるか、わからないけど。
その後も何人かの職員と行き会ったが、いずれも同じ調子でやりとりが繰り返され、アイラが面と向かって笑われることはなかった。特に親切そうな職員には優しい笑みを向けられることすらあった。
次第にアイラは、〈眼鏡割り〉がそう変てこな名前ではないのかしら、と思い始め、ついにレオンハルトに尋ねてみた。
「〈眼鏡割り〉って、変じゃないですか?」
「それでさっきからそわそわしていたのかい?」
レオンハルトは呆気にとられた顔をしてから、
「そんなことはないよ」
と優しく笑って見せた。
「もちろん、呪いで左右される部分は大きいけど、二つ名ってのは大なり小なり、みんな身も蓋もない名前をもらうものさ」
「でも……あ、レオさんにも昔あだ名があったんですよね? なんて呼ばれてたんですか?」
アイラはまだ納得しきれない様子で、重ねて尋ねた。
レオンハルトは一瞬、虚をつかれたように黙ったが、うーんと
「……〈血だるま〉」
アイラはぎょっとして立ち止まった。聞き間違いかと思ったが、
「〈血だるま〉レオンハルトさ」
と続けて言うので、その穏やかならぬ響きに目をぱちくりさせる以外の反応ができなかった。
「私の呪いはなんというか……簡単に言うと『すごく鼻血が出る』んだ」
これを聞いたアイラの頭には、鼻血を盛大に噴き出す紳士が想像されたが、あまりにも荒唐無稽だったのでイメージはすぐ霧散してしまった。
固まってしまったアイラに対して、レオンハルトは少しだけ腰を折ると、人差し指を口元に立ててこう付け加えた。
「今はあまり呪いを見せないようにしているから、この話は内緒だよ」
やっとアイラも気を取り直した。こちらも同じ所作で、レオンハルトに応える。
「……はい! 秘密、ですね」
「うん、よろしい」
その後もレオンハルトは学院の案内を続けた。アイラは、自分の不安を和らげるため、表立って知られないことまで教えてくれたレオンハルトに、なんと礼を言えばよいか考えていた。
しかし、本人があまり知られたくないらしいことを蒸し返すのも悪いので、なんとも言い出せない。
ふと、お父さんならどうするだろう、と考える。
たぶん、結果で応えろとか、行動で示せとか、そういうことを言うんだろうな。
頭の中の父をちょっとうざったいな、と思いながら、しかし今のアイラには、それが一番適した答えであるようにも感じられた。
つまり、もう二つ名についてはあれこれ考えず、これ以上不安な姿をレオンハルトに見せないことが、彼への一番の答えとなるだろうと考えたのだ。
私はアイラ。
〈眼鏡割り〉のアイラ。
これが私の、ここでの名前。それでいいんだよね。
覚悟に似た感覚と共に、アイラの瞳に、静かに新しい光が宿っていく。
そうして最後に彼らが足を向けたのは、アイラがレブストルの中で最も興味を惹かれていた――
というよりは、アイラが入門した目的そのものといってもよい。
彼女の夢の第一歩となるべき場所――すなわち、図書館である。
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