第11話 君の名は


 『 破壊  目  装着


           


              拳 』



 紙面を見つめる余裕ができたらしいアイラを見ながら、レオンハルトが語りかけてきた。


「ほら、ほとんど君の呪いに近い言葉になっただろう?」


 はい、といったんは頷くアイラだったが、やがて言いにくそうにとしだした。


「あのう、これ、最後のは……消さないんですか?」


「最後?」


「これ、ほら、『拳』とかいう……可愛くないので……」


「では、消してみましょうか」


 職員は手早く書類をひるがえすと、また手元で筆を動かした。


 アイラの注文通り「拳」と言う単語が筆に反応して赤くなった。三人は赤くなった単語の行方を注視していたが、結局「拳」はそのまま赤みを失って、また元の黒い字に戻ってしまった。


「……はい、というわけで――」


 話を進めようとする職員に、アイラは必死に食いついた。


「えッいや、消えてませんけど!?」


 これに対し職員は、若干目元をひくりと動かして、短く息を吐くと、


「……では説明しますね」


 と前置きして、以下の長広舌をふるった。


「まず先ほどから使っているこの筆が二つ目の魔法具、〈推すかたたくかの筆〉です。由来はまたあなたがご存じでしょうから省きますが、帽子と同様に当学院が作成した精密な高等魔法具の一つです。この筆には目的に沿って言葉を選別・修正する働きがありまして、一度筆でなぞったのに消えなかったということは、その言葉が『二つ名の命名』という目的において重要なあなたにとっての根源的な要素の一つだということですから、そのように受け止めてください。もちろん異論があるのでしたら事務部としては受け付けますが、その場合この魔法具を作成した当学院の複数の教授を相手取っての学術的異議申立書を作成していただく形になりますが、よろしいですか?」


「ひいいっ」


 職員の口調がだんだん早口で強くなってきたので、アイラは勢いにたじろいでしまい、もう最後の方は職員が言い切るより前に首を横にぶんぶんと振って降参の意を示していた。笑っているのは横で見ているレオンハルトだけである。


「まあまあ、そのへんで……」


 レオンハルトにたしなめめられると、職員は極まりが悪そうに小さな咳払いをして、前のめりになっていた姿勢を正した。


「コホン……では次で最後です。残った言葉からあなたの二つ名を練り上げますので、目視で確認してください。以後の訂正は認められません。よろしいですね?」


 気圧されたアイラが黙って頷いたのを見るや否や、職員は同じ〈筆〉を操って四つの単語をぐるりと円で囲み、その外周にいくつもの印を書き込み始めた。


 アイラがこれを見守っていると、印を書き終えたそばから、囲まれた単語が金色の光を放って、紙面から空中にがれ上がっていった。


 アイラは凝視のあまり、やや口が開いていた。職員が剥がれ上がった文字を〈筆〉で巻き上げるようにすくい取ると、文字は発光するインクのように筆先にまとわりついた。そうしてさっきまで文字が書かれていた空っぽの円の中央に、〈筆〉によって金色の太い真一文字が加えられる。


「うわあ……」


 その様子に見入りながら無意識に声を出すアイラの後ろで、レオンハルトもまた静かに目を凝らした。


 集中していたらしい職員がひと息つきながら、〈筆〉を所定の位置に戻す。手順はこれで終わったようだ。


「光りが消えた後に残った文字が、今後、当学院であなたが名乗る二つ名となります」


 アイラが息を飲む中、円の中央から徐々に光が失せていく。


 やがてそこには、銀線を焼き付けたかのように、焦げっぽい黒に縁どられた不思議な筆致が現れた。


 その銀色の一綴ひとつづりは、こう意味していた。


「『眼鏡……割り』?」


「はい、『眼鏡割り』ですね」


 アイラの言葉を職員は繰り返す。覗き込んだレオンハルトもうんうんと頷きながらこれに続いた。


「うんうん、『眼鏡割り』か。ほら、やっぱり呪いの通りだったろう」


 職員は手元で書類に何か書きつけると、二つ名が焼き付いた紙をくるくると丸めて封し、目の前のアイラに差し出した。


「今日からあなたは、『眼鏡割りのアイラ』です。ご入門おめでとうございます」


 職員の声は相変わらずさしたる感情もなくアイラの耳に届いたが、アイラは咄嗟とっさに声が出なかった。


 その代わりのように、彼女の古ぼけた眼鏡が少し傾く。


 アイラ・フロイル、十五歳。


 ウィンダム郡セド村生まれ。


 呪いは四級。


 母は無し。


 魔法を使うと眼鏡が壊れる彼女は、今日から〈眼鏡割り〉の二つ名を得る。


 やっとのことで「あ、ありがとう、ございます」と言いながら巻紙を受け取ったアイラの頭の中では、


 いや、何がありがたいんだ?


 とか、


 え、これはめでたいのか?


 とか、


 ちょっとお父さんさあ、


 とか、なにせいろいろな思いがめぐりめぐったわけだが――


「では、戸籍等の書類はこちらで責任をもって破棄させていただきますので、ご心配なく。今後学院内ではくれぐれも、以前の名を名乗られませんように」


 職員はそう告げると、以上だと言わんばかりに背を向けてカウンターの奥へと消えていく。


 アイラは所在なくレオンハルトを見上げてみたが、彼からも「おめでとう」という端的な祝辞と、柔和な笑顔が降り注ぐだけである。


「〈眼鏡割り〉……〈眼鏡割り〉かあ……」


 つぶやきながら、アイラは改めて思った。


 田舎から王都へ出てきて、これからキラキラした学園生活を送ろうと胸を膨らませていたところで最初に得たものが、〈眼鏡割り〉という二つ名だったのである。


 か、可愛くない……!


 アイラの声ならぬ声が胸中にこだまする。


 ――とにもかくにも、手続きは以上だった。

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