第3話 大きな街の大きな学校
王都サンタルスブリスは、南北に伸びる丘陵に築かれた卵型の都市である。
王城の背後である北端には険峻な崖が落ち込み、それが何人をも阻む天然の牙城となっている。王城を囲む城壁の外側には、城下を抱えるさらなる壁があり、その内側には高級官僚や貴族らが主に邸宅を構えていた。
この壁の内と外によって住民の身分を分けていたことは、都にとっては暗黙の了解であった。
しかし〈レブストル〉創立に際し、時の王は当時の教育機関としては初めて、身分の差を明確に否定したのである。
魔法はかつて一部の血筋の人間のみが操れる技能と考えられてきた。
それが今では研究が進み、程度の差こそあれ万人が扱うことのできる技術として体系化されている。
故にこれを学ばんとする者は、その適性さえあれば、いずれの身分からも迎え入れるべきである、というのが表向きの理由だった。
かくして〈レブストル〉は、いわゆる貴族街である城下の壁外ぎりぎりにその所在を定められた。もともと壁外の中央には公園として整備された広場があり、それが身分間の緩衝地帯となっていたものを、そっくり転用したというわけである。
南端の駅から王の擁する城下へ行くには、都の真ん中を走るシュザルク通りを北上するのが最も一般的だ。アイラたちを乗せた馬車も例に
故郷と比べ物にならない活気に、アイラはさっきからそわそわと浮足立っている。
ともすればアイラは、この都会的な光景にあてられて、卑屈に己を縮こまらせてしまうことも考えられた。
それほどアイラは小心である。
しかしそうならなかったのは、ひとえにレオンハルトの案内が、愉快かつ気遣いに満ちたものであったからだ。
アイラは、この人はなんて楽しそうに自分の街のこと語るんだろう、と感心して聴いていたが、しばらくしてから、この人は自分を楽しませようとしてくれているのだとはたと気が付いて、言葉を飲んだ。
アイラは恥ずかしかった。しかし、それより嬉しい気持ちが優った。
こんなに良くしてくれるこの人は、きっとあのぶっきらぼうで堅物のお父さんとも、すごく仲が良かったんだ。
お父さんにも、こんな友達がいたんだ。
そう思うと、あとからあとから含んだ笑みが込み上げてきて、アイラは自分でもなんだか変な顔になっているなと思った。
「どうかしたかい?」
「……いいえ、なんでも! あ、レオさん、あれは何?」
「うん? どれどれ……」
レオンハルトを通して、父の過ごしたであろう若き日々や、離れてしまった自分への父の思いがそれとなく感じられ、アイラはまた嬉しくなった。
しかしその一方で、でも――と、アイラは思う。
でも、お父さん、どうして私に、昔のことを話してくれなかったの?
こんなに素敵な友達がいて、こんなに素敵な街で過ごしたのに、どうして私には何も教えてくれなかったんだろう。
何か言えないことでもあったの?
レオンハルトさんは、何か知っているのかな。
わたしが聞いたら、教えてくれるのかな……。
「ほら、見えるかい? あれが〈レブストル〉だよ」
レオンハルトの声は、アイラを現実に引き戻した。
しかし彼が指さすのは道の前方で、そこには何の建物もなかった。ただ遠くに行き止まりらしい壁があるだけである。
意図を測りかねてアイラがレオンハルトを見返すと、彼は、
「まあ、もう少し行けばわかるさ」
とだけ言って、アイラの目線を再び前に促した。
どういうことかしら、と遠目ながらにためつすがめつしていたアイラの目は、ある距離まで来ると、レオンハルトが笑ってしまうくらいにみるみる見開かれていった。
実を言うとアイラは、最初に着いた駅舎ですら、生まれて初めて見る大きさの建物だったのだ。
ところが〈レブストル〉はその上を軽々と超えて行った。先ほどアイラが行き止まりの城壁だと思っていたものは、実は城壁の手前に作られた〈レブストル〉を囲む壁だったのだ。その両端は通りの建物の陰に隠れて見えないが、見えてきた門の大きさから、アイラがもともとイメージしていた「お城」と同じかそれ以上に広大な土地を囲っているものと思われた。
アイラは生唾を飲み込みながら、開いていた目と口をなんとかいったん閉じた。
うう、頭がくらくらしてきた。
そうしてまた目を開くと、壁と門がどんどんと近づいているのがわかった。あれほど心地よく思ったお尻も今はふわふわとして、自分がここにいるという現実感がまるでない。
アイラは隣のレオンハルトに、真面目な顔で問いかけた。
「レオさん……私もしかして、すごいところに来ちゃったんですか?」
レオンハルトはくすくす笑いながら、これに応える。
「いやあ、実はそうなんだよ、王立学校だからね。広いから、迷子にならないように」
「ひええ……」
アイラの不安な声は、馬車の車輪の音にむなしく掻き消されていった。
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