第2話 ここから始まる
ひとまず髪のことは諦めて荷物を持ち上げると、アイラは金の時計を目指して列の脇を通り抜けた。
自分と同じように列車に乗るというだけの人たちなのに、アイラの目には、なんだか見る人見る人、都会的で洗練された出で立ちのように思える。
あの帽子いいな、あのコートも、あの鞄……
と、こんな具合によそ見をして歩いていたアイラが誰ともぶつからなかったのは、向かいから来る誰もが、彼女のぶらぶらと野暮ったく揺れる荷物をかろうじて避けて行ったからに他ならない。
ホームを抜けると、アイラは石造りの広場に出た。
天井は高く、一見しても様々な装飾が施されているのが見て取れる。格子状の窓がいくつもあり、広場はそこから入る光に満ち満ちていた。
「はへぇ……」
金時計は広場の中心にそびえていたので、彼女は迷うことなく歩を進めたが、その実、目線は天井を向いて、その立派さに間抜けな感嘆まで漏らすほどの呆け具合であったので、目的の人物に声をかけられるまで、その存在に気が付かなかったようだった。
「……失礼、お嬢さん」
「わっ! は、はい! すみません!」
声をかけてきたのは中年の男性である。彼は、年齢なりに垢抜けない彼女の様子に、柔和な笑みを浮かべた。
「突然すまないね。アイラ・フロイルさん、で、お間違いないかな?」
名前を呼ばれてやっと、アイラは相手が待ち合わせていたその人だと気が付いた。はっきりとした、しかし穏やかな声だった。薄茶色のジャケットと合わせた帽子の下から、細まった瞳がこちらを覗いている。
アイラは慌てて荷物を下ろすと、背筋を伸ばし、体の前で手を重ねる。
「あ……ハイッ、はじめまして! ええと、じゃあ、あなたが父の……?」
「これは、申し遅れたね」
そう言うと、男は脱いだ帽子を丁寧に胸の前で持ち、少し腰を折った。後ろへ撫でつけられた赤髪には少し白髪が混じっているようで、アイラはその白み具合に、ほんのりと父のことを思い出す。
「私が王都の案内を頼まれた、レオンハルト・マルケルスだ。君の御父上――ヴィルヘルムとは古い仲でね。彼は、元気にやっているかい?」
「はい、おかげさまで……でも、まさか王都に知り合いがいたなんて、聞いたこともなかったので……わたし、まだ少し、びっくりしています」
緊張しながらもそう答えたアイラの口ぶりに、レオンハルトは帽子をかぶり直しながら、
「そうだろう、そうだろう」
と困り顔で何度も
「まったく、ヴィルは昔っから、肝心なことは話さないのだよ。いや、何を隠そう私も、君のことで手紙が来たのが、まる二十年ぶりのやり取りでね。困った奴だよ、まったく」
少しおどけたように肩をすくめるレオンハルトに、アイラも態度を和らげ、
「そうですよね、そうですよね」
と頷き返す。
「この待ち合わせだって、父からは日時と場所を教えられただけで、『あとはレオがなんとかしてくれる』しか言わないんですよ。もう、いつもこうなんです!」
たったいま会ったばかりの二人は、片や父であり、片や旧友であるヴィルヘルムの不精癖を通して、早くも打ち解けたようだった。どちらからともなく、少しばかり笑みがこぼれる。
「では、行こうか。外に馬車を待たせてあるからね」
レオンハルトはそう言ってアイラを促しながら、何のわざとらしさも感じさせず、彼女の荷物を手に取って歩き出した。
アイラもアイラでぼうっとしていたせいもあるが、それは彼女が一、二歩進んでからやっとそのことに気が付くほどの、極めて自然な動きだった。
慌てて自分の鞄を受け取ろうとする彼女にも、
「疲れているだろう、このくらいさせておくれ」
と笑って取り合わない。連れられるままに駅舎を出ると、果たして彼の言葉通り、外では一頭牽きの馬車がレオンハルトの戻りを待っている。
馬車自体は、アイラの地元にもあるような、前を向いて並んで座る屋根の無いものだったが、アイラには一見するだけでその造りや装いにかけられている金額の違いが思いやられた。
「どうぞ、足元に気を付けて」
差し出されたレオンハルトの手を借りて、アイラはぎこちなく馬車に乗り込む。彼が代わりに持っていたはずのアイラの荷物は、これまたいつの間にか御者の手に渡って、すでに馬車へ固定されている。
アイラはなにやら落ち着かない様子で何度も座り直した。
御者はレオンハルトに二言三言声をかけられると、短く返事をして手綱を打った。馬の歩みに合わせて車はゆっくりと動き出す。駅前に敷き詰められた石畳の凹凸が、車輪を通してアイラたちを小刻みに揺らした。
馬車がロータリーを抜けて角を曲がるというころ、それまで慣れない状況にそわそわするばかりだったアイラが、ふと後ろを振り返った。
そこには、構内からはわからなかった、王都の要衝たる大駅舎の玄関口が広がっていた。
ああ、やっぱりおおきいな。
きれいだな。
それから、それから、――
と、彼女が何ら具体的な感想を持つ間もなく、その壮麗な駅舎は曲がり角の向こうに消えていく。
あっ、と身を乗り出しかけて、アイラは小さくかぶりを振った。
そうだ。わたしは王都に来たんだ。
憧れの都会――それも、王都サンタルスブリスに。
このすてきな駅にだって、これからいつだって来られる。
だって、今日からはここが、わたしの住む町になるんだから。
そうしてアイラが前へ向き直るころには、彼女の瞳は輝きを取り戻していた。やっと落ち着いて座ることのできた彼女には、馬車の座面が、ここまで丸一日揺られてきた列車より、ずっと温かく、柔らかに感じられるのだった。
「さて、まずは〈レブストル〉へ向かうとしよう」
アイラが腰を落ち着けたのを見て、レオンハルトが声をかける。
「少し時間がかかるからね。道々、街についても少し説明させてもらうよ。……ああ、もちろん、疲れてきたら、遠慮せず言っておくれ」
「いえ、街を見ていたら、元気になってきました。王都のこと、いっぱい教えてください!」
アイラは鼻息を弾ませながら、元気よくこれに答えた。
かくして駅を離れた馬車は、都を突っ切る大通りへ出る。陰になっていた建物がなくなると、遠く北の小高い位置に、王城が見えた。城までは、いくつもの建物が段々に連なっているのが見える。彼らが目指す〈レブストル〉は、ちょうどその段々の一番下に建っているのだという。
レブストル王立魔法学術院は、国内唯一の魔法教育機関である。アイラが王都にやってきたのは、他でもないこの〈レブストル〉の厳しい入学試験に合格し、その第二十期生としての入学を許可されたためであった。
これから始まる学生生活に胸を躍らせながら、彼女は嬉々としてレオンハルトの話に耳を傾ける。また同時に、彼女の目は、そこに映るすべてを吸収せんとばかりに見開かれ、分厚い眼鏡を通した王都の景色一つ一つに、その瞳はどこまでも輝きを増していくのであった。
ただ一つ、忘れてはいけないことがある。
アイラの場合――魔法を使うと、眼鏡が壊れる。
それが、彼女がその身に宿した、一生涯を共にする呪いの形だった。
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