第47話 可及的速やかな対応


 魔法を開発した人間にとって、自分の作品に抜け穴があると指摘されることは自尊心を大きく傷つける。本を握り締めながらわなわなと震えていたヴァレー事務員は、ようやく顔を上げた。


「つ、つまりあなたたちは……」


「はい、学年章を火で炙って、〈透膜保護ラミネート〉を解呪しました」


 最後は、アイラがこれに答えた。


 結局、調査の序盤でシャルロッテが閃いた方法が、実は最も近い道のりだったのである。


 二人は『サルテク』でそのことを知ると、すぐに動き出した。まずアイラは、図書館でキャサリン・ヴァレーの卒業論文に目を通し、学院の規則についてもさらに情報を集めることにした。その間にシャルロッテは、メイデンに教えられた時計塔の秘密の部屋で実験を行った。

 制服自体が焦げないよう、透膜保護の周囲にはあらかじめたっぷりと水を含ませる。最初は少し離して数秒火に当てては刺繍に触れられるかを確認し、少しずつ火に近づけていった。そうしてついに火が布地を嘗めるほど近くに寄せた時、シャルロッテの工具が初めて刺繍糸の下へと食い込んだ。改めて水をかけると、それは生地全てに沁み込んだのである。


 互いに成果を持ち寄った二人はメイデンと再び落ち合うと、三人で作戦を立てたのち、この管理棟に送り出されてきたのである。


「ヴァレーさん、私たちは規則に違反することなく、を解呪しました。つまり、いまこの子の制服に残っているのは、この乱暴な刺繍を行った魔法だけです」


 アイラは詰め寄るように前へ出る。その瞳は、この間一切の光を失わなかった、強く厳しいものである。


「この刺繍が誰の手によるものかがわかれば、わざわざそれを守るようにした透膜保護についても、誰がかけた魔法かわかるように思います」


 ヴァレー事務員は本をカウンターに置いて、思わず後ずさった。後ろを振り返っても、今や誰からも自分に味方するような目線は感じられなかった。


「学院事務規則によれば、『門徒からの正式な申請は可及的速やかにこれを受理すること』とあります」


「せ、の話よぉ!」


 上げ足を取ろうとやっきになるヴァレーに、アイラは動じずに答えた。


「申請書なら書いてきました」


 目線を逸らさないままのアイラに、シャルロッテは肩掛けから一枚の紙を取り出して手渡した。アイラはそれをカウンターの上に置くと、最後の一言を突き付ける。


「先ほどのご提案通り、魔紋照合をお願いします」


 ヴァレー事務員はそれ以上アイラの視線を受け切れず、しどろもどろになりながら目線を泳がせた。


「い、いやよ、誰がそんな……そ、それにもう、窓口は閉まるんだからあ……」


 言いながら、ヴァレー事務員はカウンターの裏側をまさぐって何かを手にすると、それを申請書の上に乱暴に置いた。


 と書かれた卓上札をである。


「……ッ、あんた、いいかげんに――!」


 しびれを切らしたシャルロッテが前に出ようとしたとき、静まり返った事務室の奥から、カツン、と靴音が響いた。


 カツ、カツ、とその足音がカウンターに近づく。奥にいた事務員たちが少しずつ振り返り、その人影を目で追った。


「終業時刻までは、まだあと五分あります」


 己の背後でその声を聞いたヴァレー事務員は、その顔面を引きつらせながら、恐る恐る振り返った。


 そこに立っていたのは、彼女よりもやや背の低い、眼鏡をかけた黒髪の女性である。彼女はヴァレーに冷たい一瞥だけをくれると、脇から手を伸ばして「窓口終了」の卓上札を横に向けた。


 その姿を見て、アイラもまたハッと目を見開いた。


 ヴァレー事務員の横からカウンターに現れた女性は、アイラの申請書を手に取ると、凄まじい速さで目を動かしてその内容を確認した。


 そうして一つ頷くと、アイラの目を見つめてこう述べる。


「不備はありません。魔紋照合、承ります」


 感情を載せない声に、他を寄せ付けない凛とした眼差し。


 数日前には冷たく感じられたその眼差しこそが、今のアイラの目には大きな救いとなって見えた。


 彼女こそ、アイラの二つ名選定を担当した、あの生真面目そうな女性事務員だった。

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