第41話 実験と観察

「最初の作業って――」


 シャルロッテが尋ねるより早く、アイラの目がシャルロッテを力強くとらえた。


「その胸の刺繍をね、シャルの目で見て、触って、いろいろ試して、シャルが思ったことやわかったことを、どんどん言葉にしてほしいの」


 ぽかんとしながら、シャルロッテはアイラに尋ねる。


「――そんなことでいいのか?」


「うん、そんなことが、とっても大事なの。やってくれる、シャル?」


 シャルロッテは何か考えながら自分の制服をおもむろに脱ぐと、壁際に置かれた閲覧用の小机の上に広げた。そうして改めて、自分の制服の胸に施された乱雑な刺繍の跡を、まざまざと目にした。


 アイラがやってくれるかと聞いたのは、このように、まだできたばかりの心の傷と向き合ってもらうことへの確認だった。もちろんやってくれるとの思いはありながらも、アイラはシャルロッテの反応を固唾を飲んで見守った。


「わかったよ、アイラ。じゃあ、今からこれ見て思ったこと言うけどさ――」


 そう断ってから、シャルロッテはアイラを振り向いて、人差し指をぴんと立てて、こう付け加えた。


「最初の一分間だけ、無視してくんない?」


「うん? わかった」


 アイラの答えを確認すると、シャルロッテは頷いて制服に向き直り、少しの間じっと刺繍を見つめたかと思うと――


「……こンのクソ……んなああああああ!! んダラァあああ!!!」


 と、堰を切ったように口から罵声の奔流をほとばしらせた。


「ッたわけたことしてんちゃうぞカスこらお前誰のもんに手ぇつけてくれとんじゃボケこれは仕立屋のおっちゃんが■※■$☆■■@ッ――」


 シャルロッテの言葉はとめどなく続いた。これまで無理に溜め込んでいたものが溢れ出すように、それらはどこか彼女の出身地をうかがわせるような口調とともに口からすいすいと流れ出た。


「――んダラアなめくさりよってからあいつほんま%※☆■■ッ$℃#■@¥■&■ッッんんんん許さーーーーーん!!」


 ここまで呼吸せずに一息で罵詈を放ち続けていたシャルロッテは、肩で息をしながら呼吸を整えた。そうして猛然と振り返り、呆気に取られて立ちすくんでいたアイラと目を合わせると、今度は親指をぐっと立てて、爽やかにこう言うのだった。


「お待たせ! あたしはやるぜ――」


 だがその束の間、輝きの戻ったシャルロッテの視線は、アイラのさらに奥の方に控える別の人物の目に捉えられ、急に勢いを失くした。


 何かを察したアイラが振り向くと――そこには大きな標識を手にしたジィン・メイデン司書補が、黙ったまま、三日月のような目でこちらをと見ているのだった。


 言わずもがな、標識の文字はこうだ。



 『館内ではお静かに』



 こうして二人の調べものは、粛々と始められた。


 アイラの目算通り、シャルロッテの観察眼はかなりのものだった。彼女の口からは現状を捉える手掛かりとなるような言葉が数多く出てきた。


 アイラは携帯していた手帳にシャルロッテの言葉を書き取りつつ、自分も閲覧机に広げた索引のページをあっちこっちしながら相応しい表現を探した。


 まずシャルロッテは、これまでに刺繍をどう刺激してもほつれないことがわかっていたので、その魔法の範囲を特定することから始めた。


 その結果、新しく縫い付けられた赤い糸だけがほつれない、というわけではなく、赤い糸の外側を囲む長方形の範囲の布地が全てほつれないということがわかった。これは制服の裏地側でも同じことが言えた。つまりこれは、だということだ。


 次にシャルロッテは魔法の効果範囲への刺激を変えて比較を行った。


 生地を傷つけることはできないが、折り曲げることはできる。これはアイラが刺激しても同じことだった。しかし特筆すべきは、ことだろう。シャルロッテは自分の指を口に含んで生地に唾液を滴らせたが、その滴は見事に効果範囲の外へと撥水された。

 

 このときシャルロッテは何かを閃いたように壁のランプに手をかけようとしたが、勘づいたアイラが死に物狂いの目で止めにかかったので、これは諦めた。さすがに入学早々図書館を火事にするわけにはいかなかった。


 ただしシャルロッテは、目をこれでもかと刺繍に近づけて観察を続けた結果、自分が効果範囲に鋭く突き立て続けた工具が、生地のほんの寸前、間一髪も通らないほどの隙間を空けて、ことに気が付いた。


 以上の実験と観察から、アイラとシャルロッテは魔法の実態を整理していった。


 シャルロッテ自身に魔法がかけられていること、生地自体が硬化していること、刺繍という幻影を見せられていること――様々な可能性が浮かんでは消え、少しずつ言葉が絞られていく。


 そうして結局、、という形で決着した。


「ふう、だいぶ絞れてきたんじゃないか?」


 シャルロッテは目頭を押さえながら椅子の背に体を預けたが、アイラはページをめくる手を緩めずに答えた。


「そうだね、でもまだまだこれからだよ」


 もちろん、これだけでは魔法の正体が単純に〈刺繍を守る魔法〉のように衣服に関するものなのか、そうでない別の保護魔法なのかがわからないからである。


 だがここまでくれば、あとは「守る」とか「膜」とか、関係のありそうな語が含まれる魔法をしらみつぶしに事典で検索していくのみである。


「じゃあ私が旧版――多いほう調べるから、シャルは新版の方お願い」


「くぅーーーッ。やってやろうじゃん……!」


 そこへ、正午を知らせる時計塔の鐘が、高い天井のさらに上から響いてきた。二人は少し顔を見合わせたが、昼食を取るのはあとだとお互いの目が語っていた。


 やがて彼らが一つの答えに辿り着いたのは、午後三時を回ったころであった。

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