第27話 二人で袖を通せば

 二人はそこここで適当な買い食いと冷やかしを繰り返しながら、やがて最後の目的地である仕立屋に到着した。


 例によって店主との話は、アイラがまごまごしているうちにシャルロッテが早々に済ませてしまう。


 奥から持って来られた制服に袖を通す時、アイラはどきどきとした。


 なめらかな裏地が、しゅるり、と心地よい音を立てて抵抗なくアイラの腕を迎え入れる。そのあとは、あっちを向いたりこっちを向いたり、手を上げたり曲げたりして、着た感じを店主に確認してもらう。


 そうして一度引き上げられたのち、改めて微調整された制服がアイラの腕を通したとき、アイラは先ほどとはまた違う感覚に包まれた。


「わあ……!」


 吸い付くように自分を包み込んだ制服は、厚手の生地でありながらさほど重さを感じさせない。手の曲げ伸ばしにも窮屈さは微塵もない。


 これが職人の手仕事か、とアイラは感心するばかりで、「はあー」とか「うわあー」とか、言葉にならない声で喜びを見せていたので、これには無口そうな仕立屋の店主も少し表情を崩したようだった。


「あなたみたいに喜んでくれると、わしも職人冥利に尽きるよ。きつくなったら直してあげるから、またおいでなさい」


 アイラは大きな鏡にあれこれ自分の姿を映しながら聞いていたが、最後には満面の笑みで仕立屋に応えた。


「はい! 大切に着ますね!」


 彼女の夢への第一歩である学院生活、その一片を実際に手に取ったわけであるので、制服に身を包んだアイラの目の輝きようといったらない。


 それをシャルロッテは横で見ながらうんうんと頷いて腕組みしていたのだが、このあと店主が切り出した言葉に、彼女は心底動揺させられることとなった。


「ところで……君」


「ん? あたし?」


 仕立屋は渋い顔で頷いた。 


「君はこの一年でずいぶんたくましくなったようだな? それなのに、全く服を直しには来ないのは、どういうわけなんだ」


「ええ? おじさん、覚えてるの? 確かに、ここで仕立ててもらったけど……」


 仕立屋はそれには答えず、シャルロッテの頭から爪先までをざっと見、いぶかった目でシャルロッテにずばり問いかけた。


「まさかしばらく制服を着ていないんじゃあないだろうね」


 アイラは、シャルロッテはまた軽く受け流すのだろうと思ったが、存外彼女は言い訳に苦慮していた。


「いやあ、まあ、その、これには深いわけがあって……」


 シャルロッテは歯切れが悪そうにもじもじとした。


「学校へ行かなくったってわしゃどうでもいいがね、わしの服が着られていないのは気に食わん。今度は自分のを持ってきなさい。着たくてしょうがない具合に直してやろう」


「あ、お、お願いします……」


 これまで強気の態度を見せていたシャルロッテが、ここでは大人しく相手の話を聞いたことをアイラは意外に思った。


 これには何か理由がある気がして、店を出てフリージアへ帰る道すがら、アイラはシャルロッテに横並びになって尋ねた。


「シャル、もっと口答えするのかと思ってた。どうして仕立屋さんの話は素直に聞いたの?」


 シャルロッテは観念したように、ふうと息を吐いてからアイラに答えた。


「あたしはさ、なんていうか……職人さんが好きなんだよね」


 シャルロッテは前の方を向いたまま、訥々とつとつと語る。


「一つのことに真っすぐで、自分が手がける仕事に、誇りを持っててさ。身に付けた技術で飯食ってくのなんか、すげえ、カッコイイなって思ってる。誰がとかじゃなくて、そういう人たちを尊敬してるんだ。だからかな、なんか、ああやって言われると、言うこと聞いちゃうんだよ。……変かな?」


 最後は少し恥ずかしそうにしながら、シャルロッテはアイラの方を向いた。


 アイラはただ微笑んで、ううん、と首を横に振った。


「変じゃないよ。シャルはそういうのが好きなんだね」


 真っ向から受け入れられたことが意外だったのか、シャルロッテは目をぱちくりさせてから、慌てて調子を取り戻すようにアイラの脇を小突いた。


「もう、なにそれ、あたしの真似―?」


「えっへっへ、違う違う、教えてもらって嬉しいの! もっとシャルのこと知りたいな、って思ってたから……」


 そう言って今度はアイラが照れ臭そうにするので、シャルロッテはまた気恥ずかしい気持ちになったが、悪い気は全くしなかった。


「なんだよーそんなこと言われたらあたしも嬉しいじゃんかよーこのこのー」


「やめてよシャルってばあ、荷物落としちゃうよ」


 そんなことを言いながら二人で手に提げた買い物袋をゆすりあっていると、もうフリージアの近くまで来たらしい。時刻は夕方で、昨日よりは少し明るい空の色をしていた。


 シャルロッテがふいに鼻を通りに向けてくんくんと動かした。


「お、これは……」


 そうして、にっと歯を見せて笑う。


「アイラ、今日のご飯も期待していいよ! でも、あたしらも早く手伝わないとね」


「うん!」


 風が運ぶ夕餉ゆうげの香りが濃くなるにつれ、二人は足早に石畳を駆けた。


 途中、朝に見かけた近所のおじさんが、また声をかけてくれる。


 シャルロッテはまた軽やかに挨拶を返した。アイラもまた、まだぎこちないながらも、今度はできるだけ爽やかに挨拶を投げた。


 アイラはひとりで、できた、と思った。


 シャルロッテもそれに気づいたらしい。二人は小さな笑みを見合わせ、息を弾ませてフリージアの戸をくぐる。


「「ただいま!」」


「おかえり! 手ぇ洗ってさっさと着替えてきな!」


「「はあい!」」


 二人ともが、お互いの声の大きさに目を見合わせて、くすくすと笑った。


 こんなに気持ちのよい挨拶と返事をしたのは、二人ともが、実に久しぶりのことであった。


* * *


 その後何日かの間に、アイラは寮生の仕事と近所の道順を覚え、また近隣住民にも名前を認められ、温かい気持ちで入門の儀式を迎えることになった。


 もちろんシャルロッテはというと、その間に仕立屋にこっぴどく叱られながら、自分の制服を直してもらったのである。


「まあ、仕立屋のおっちゃんの手前もあるしね」


 儀式の朝、シャルロッテはそう言って制服に袖を通すと、サンドラに見送られてアイラと共にフリージアを発った。


 二人でいればなんでもないような彼女の足取りが、これまでどれだけ重かったものか、知る者はいない。


 〈放蕩〉シャルロッテ――彼女の三百日にも及ぶ不登校はこうして終わりを迎え、フリージアは晴れて正式に二人の第一学年を擁する寮となったのである。


 アイラとシャルロッテ――二人の少女に、新たな春が始まろうとしていた。

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