第50話 彼女と私の事情

 トゥルスタタンの言葉に従って管理棟を出たアイラとシャルロッテは、しばし茫然としながら歩いていたが、学院の正門を前にするころになってどちらからともなく顔を見合わせ、やっとお互いの名を口にした。


「しゃ、シャルぅ!」


「アイラぁ!」


 アイラは半分目に涙を浮かべながらシャルロッテの手を握った。


「き、緊張したあ! 私、ちゃんとできてたかなあ!?」


 シャルロッテは、儀式後の落ち込んだ様子が嘘だったかのように笑顔を見せた。彼女もまたアイラの手を握り返す。


「完璧だよォ! アイラがいなかったら、あたし一人でカチ込んで破門になるところだったよ。アハハ!」


 二人は互いに胸を撫で下ろすと、再び正門へと歩き出した。


 アイラは、やはりあのとき無理にでもシャルロッテの話を聞いておいてよかったと思った。彼女の不自然な笑顔に気がついた自分を褒めてやりたい。


 一方でアイラには、すべてがうまくいったとは思えなかった。


「でも、あの事務員さんがいなかったら、結局うやむやにされちゃったかもしれないね……」


 アイラは、自分たちを助けてくれたトゥルスタタンに思いを馳せた。


 黒髪に眼鏡のトゥルスタタン。


 名捨ての際には意識する間もなかったが、再び彼女を目にした時、アイラにはその姿が随分頼もしく見えた。そして実際、トゥルスタタンは想像以上の働きで二人を助け、ヴァレー事務員を公正な裁きへと導いてくれたように思う。


「うん。メイデンさんが言ってた『女神』って、あの人のことだよね。えーっと、なんだっけ? ツルツルスッテンテンみたいな名前の――」


 シャルロッテがうろ覚えを口にしたとき、二人はちょうど〈アスガルの鬼〉の下を通るところだったが、そのすぐそば、門の外側に控えていた人影から笑みが漏れ聞こえてきた。


「プッ、アハハ! はないだろう、シャルロッテ!」


 二人が目を向けると、そこに立っていたのはジィン・メイデン司書補だった。図書館にいた時よりも一枚上に羽織って、小さな肩掛けを下げている。


「「メイデンさん!」」


 二人は同時にその名を呼び、メイデンもまた軽い笑みと頷きでこれに答えた。


「その様子を見るに、うまくいったようだね」


「あの、ありがとうございましたッ!」


 シャルロッテは素早く頭を下げ、アイラもそれに続いた。


「えっと……待っててくれたんですか?」


 アイラがメイデンの表情を見守っていると、彼女は少しだけ考えるふうな顔をした。


「うん、そうとも言える。けしかけた手前、一応見届けたかったからね。でも、ここにいるのはもう一つ理由があって――」


 ふと、メイデンはアイラ達が来た方に目をやった。その目線を追うように振り返ったシャルロッテの目が、何かを捉える。


「あれ何か、飛んで……こっちに来る!」


 アイラも同じように見ていたのだが、目を細めても何も見えない。しかし何かが空気を裂くような音が、遠くから聞こえて――と思っている間に、アイラの目にもこちらへ凄まじい速さで飛来する白い物体が、ごく近くで見えた。


 二人は咄嗟に身をよじって物体との衝突を避けた。しかしメイデンは動かず、悠長に立ったまま空中に手のひらを差し出している。


 危ない、と二人が思うが早いか、飛来した物体はメイデンの手のひらに真っすぐ納まり、メイデンはその勢いを殺すように少しだけ手首を曲げたが、特に怪我をした様子は無いようだった。


「びっくりしたあ! 魔法ですか、それ?」


「私、矢でも飛んできたのかと……手紙?」


 シャルロッテとアイラは口々に質問した。メイデンの手のひらに収まったのは、鉤型に折られた紙のようだった。先端は鋭角で、角まできっちりと折られている。


「そうだよ。待ち合わせをしていたんだけどね……」


 言いながらメイデンが紙を開いていくと、中には丁寧な筆致で端的な言葉が綴られていた。



『先に飲んでて。追いつく。』



「もしかしてその手紙って……」


 アイラは何かピンとくるものがあって、メイデンの顔を見た。メイデンは再び紙を折りたたみながら、明るく答えた。


「ああ、ミネルバからだよ。理由を伏せるあたりがあいつらしい――守秘義務ってやつだね」


「お二人って、友達だったんですか?」


 シャルロッテの尋ねににやりとしながら、メイデンは眉を持ち上げる。


「君らと似たようなもんさ、学院の同期なんだ。ほら、言っただろう? フクロウみたいな友人がいるって」


 アイラとシャルロッテは互いに頭の中でトゥルスタタンの顔を思い浮かべ、まず眼鏡の奥にあった円らながらも強い眼力がんりきを備えた瞳を思い出した。それを司書室の奥でアイラが語ったフクロウの象徴するところと整合して――ああ! と得心のいった顔で目を見合わせた。


「察するに、今ごろ下手人をきっちり絞っているんだろう。やれやれ、私は独りで寂しく飲むとするよ……」


 残念そうに頭を振るメイデンに、二人がなんと言ったものかおろおろしていると、メイデンはまた噴き出していたずらっぽく笑った。


「冗談! 後輩の役に立ったんだ、何も悪く思っちゃいないよ。それに、あいつは『追いつく』って言ったら、本当にすぐ追いつくやつだからね」


 そう言って笑うメイデンがどこか誇らしげに見えて、アイラは安心するとともに、二人の関係に少なからぬ憧れを抱いた。


「じゃあね、アイラ、シャルロッテ、また図書館で会おう」


 メイデンは上機嫌に手を振ると、そのまま二人に背を向けて繁華街の方へふらふらと歩いて行く。


「……なんかいいね、ああいうの」


 シャルロッテがつぶやいて、アイラが頷く。


「うん、いいね」


 具体的に何がとは言わないまま、二人はその背中を少しだけ見送った。


 そうして二人はともに正門の外に出、サンドラの待つ第四学寮フリージアへと足を向けたのだった。

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