「第2章 透明な宇宙を着ている私」(2-3)
(2-3)
翌朝、少し重たい頭を抱えて咲貴は学校へ向かう。
学校生活では、五時間目の体育が面倒だったが、それ以外は特に苦戦しなかった。
前回の続きから始まる数学も家で予習・復習した効果が出ていた。午前・午後と流れるようにして、学校生活を終えた咲貴は、今日も葵と一緒に小田急線に乗って新宿へと向かう。
葵がハマっているドラマの話を聞いていると、あっという間に新宿に到着するアナウンスが車内に流れた。電車の速度が緩んでいく。
「咲貴ちゃん、今日こそスタバ。付き合ってくれる?」
「あー、うーん」
ついこの間、断ったばかりなので再度誘われると断り辛い。そのせいで、語尾を伸ばした曖昧な返事になってしまった。いつもと違う反応に葵の目は輝く。
「もしかして咲貴ちゃん。今日は来れそう!?」
「うん、まぁ……」
目を輝かせた葵に逆らえず咲貴は同意してしまう。こちらが同意した事で彼女はパアっと笑顔を作って満面の笑みを見せた。
「やった! 久しぶりの咲貴ちゃんとのスタバデートだ」
「えぇ、そんなに嬉しい?」
大袈裟ではないかと思える程、喜ぶ葵に思わず咲貴は尋ねる。彼女の質問に葵は真っ直ぐに頷いた。
「嬉しいよ〜。最近、付き合ってくれないから何か悪い事したかなって……、心配してたから」
「ううん。葵ちゃんは悪い事なんて何もしてないよ」
咲貴は首を左右に振って、葵の心配を取り除く。
「ホント?」
「うん、本当」
ゆっくりと頷いて最後の葵の心配を完全に取り除いた。数秒、間を置いて「良かった」と彼女は更に喜んだ。
新宿に到着すると、二人は改札を通りいつものスターバックスへ向かう。
新宿には沢山のスターバックスがあるが、決まって二人が行くのは東口の上にある店舗だ。ココはいつも混んでいるので席を確保するだけでも一苦労。スターバックスに行くと決まっても座れなくて諦めた日も多い。
レジ前に並んでいる客の列に並ぶ前に颯爽と葵が店内奥まで進んで行った。咲貴は、彼女の後ろ姿を静かに見守る。カウンターに座ってノートパソコンで作業をしているビジネスマンの後ろを抜けて、その先にある丸いテーブルの席が空いているのを葵が発見した。
葵が自分の通学カバンをテーブルに置いて葵が場所取りに成功する。笑顔をこちらで戻って来た彼女に「良かった、席があって」と咲貴はホッとして言った。
「ふふふっ。今日てんびん座、一位だったから」
「そうなんだ。ありがとう」
星占い一位の葵に礼を言って注文するドリンクを二人は、考える。
「咲貴ちゃんはいつものやつ?」
「うん。そうだね、今日もそれにしようかな」
咲貴はスターバックスではいつもゆずシトラスティーを飲んでいる。コーヒーは家に帰れば飲めるからだ。加えて甘いのがあまり得意ではないので、ホイップクリームやチョコレートシロップがかかっているのは胸焼けしてしまう。
その為、自然と選択肢はゆずシトラスティーとなる。ホットとアイス、両方があるので、季節を問わず味を楽しめるのも魅力だった。
対して葵は、いつも限定の物や新作を飲んでいる。店内前に書かれた黒板のイラストを見て「美味しそう〜、これにしよう」と彼女は顔をキラキラさせていた。
注文する飲み物を決めた葵は、視線を隣にあるショーケースへとスライドさせる。しばらくそこを見てから、「チョコレートチャンクスコーン、美味しそう。食べようかなぁ」と呟いていた。
「五時間目体育だったから、お腹空いた?」
「正解。流石、咲貴ちゃん。ご褒美に一口あげましょう」
「ありがとう」
二人はそれぞれ注文して会計を済ませた。レシートを持って、ランプの下で出来上がりを待つ。緑のエプロンを着た店員がテキパキと二人の飲み物を作って、それを受け取った。
咲貴はいつものゆずシトラスティー。葵は桃の限定メニューでホイップクリームが乗っていた。近くに持つだけで桃の甘い匂いがしてくる。
加えて葵はチョコレートチャンクスコーンが載ったお皿とトレーを持っていた。
テーブル席前のイスに二人が腰を下ろす。
「さて、どれどれ……、」
期待たっぷりの目で葵がストローに口を付けた。彼女の第一声が聞きたくて、咲貴は自分のゆずシトラスティーに口を付けなかった。
葵の口がストローから離れて、満面の笑顔をこちらに向けてきた。
「うん! 美味しい〜、こりゃ当たりだ。しばらくリピート決定」
葵は満足そうに頷く。彼女の笑顔に「良かったね」と咲貴は返す。すると、彼女はストローをこっちに向けた。
「はい、一口」
「え? いいの?」
咲貴が聞き返すと、葵は「うん」と何という事はないように頷く。
「ありがとう」
礼を言って、そっと差し出されたストローに口を付ける。甘い桃の香りがしたクリームが喉に入って来た。少しだけ飲んでから口を離す。
「美味しい。ありがとう」
「良かった。じゃあ、今度は咲貴ちゃんの番」
「うん、はい」
葵に言われて自分のゆずシトラスティーを向ける。それに満足そうに口を付ける彼女。いつも飲んでいる味を提供してしまうのが申し訳なかった。
「あ〜、やっぱりこの味も美味しい」
「ごめんね。いつも同じやつで」
「全然。むしろ、ゆずシトラスティーは咲貴ちゃんの好き味だって覚えたから。私も飲めるのが楽しみだったの」
葵の純粋さが咲貴にはとても眩しい。それは彼女が毎夜演じている『ビキ』なんかとは、比べ物にならない。
「また飲みたくなったらいつでも言ってね?」
「本当? やった〜! ありがと。じゃあ、私からはスコーンをどうぞ」
注文した時の通り、葵はプラスチックのフォークとナイフで綺麗に一口大に切ったチョコレートチャンクスコーンをこちらに向けてくれた。
「はい。あ〜ん」
言われるがまま口を開けて、葵にチョコレートチャンクスコーンを入れてもらう。口の中にほんのり温かいチョコレートとスコーンが広がった。こぼさないように口元を抑えながら「美味しい」と咲貴は感想を伝えた。
咲貴の感想に笑顔を見せて喜ぶ葵。その喜びが彼女を包む雰囲気を通じて、こちら側にまで伝わり、嬉しくなる。
それから二人は様々な話に花を咲かせる。葉っぱの葉脈のようにどんどん話題が広がって、色々な話に派生していた。咲貴は最近、読んだ本の感想について話した、葵はそれを映画で観たと言ってくれて、共感してくれた。
すっかり話に夢中になっていて、葵の注文した新作のフラペチーノは半分以上が減っていた。チョコレートチャンクスコーンも食べ終えて、お皿がだけが残っている。
一時間ぐらいはいたかな。相手の目の前で時間を確認するのは悪い気がして、体内時間で大体を考える。あのアプリを始めてから、人と話す時に残り時間を考える妙な癖が付いてしまった。
「葵ちゃん、私そろそろ……、」
それまで話してくれていた彼女の弟との面白い話をそっと遮って終了を知らせる。すると葵は「え〜」と口をへの字に曲げた。
「もう終わり? ここからが笑えるところなのに〜」
「ごめん、そろそろ帰ってやらないといけない事があるから」
「やらないといけない事? 勉強? だったら、ココでも出来るよ? なんなら今から勉強会しちゃう?」
「あっ、いや。夕食の手伝わないといけないんだ。ご飯を炊いておかないと……」
このままでは押し切られてしまう。夕食を手伝うのは嘘ではない。今朝、母に今日は遅くなるかも知れないから、帰ったらお米を炊いておいてと言われているのだ。別に嘘をついてもバレる事はないのに、咲貴は葵に嘘はつけない。
“夕食の手伝い”という、帰らざるを得ない用事が発生した事で葵は口を尖らせる。
「ちぇ、それならしょうがないか」
「ごめんね。また来よう?」
「うん。約束だからね」
葵と約束を交わしてから、飲み物の残りを空にして二人はスターバックスを出た。
「あ〜、終わっちゃった」
「もう。今さっきまた来るって約束したじゃない?」
不服そうにボヤく葵を咲貴はなだめる。二人は新宿駅構内に戻り、いつもの別れる場所へ。
「じゃあ、また明日。今日は付き合ってくれてありがとう」
「ううん。久しぶりに葵ちゃんと話が出来て嬉しかった」
「私も嬉しい。じゃあね、バイバイ」
「バイバイ」
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