「第4章 ソウ」(2-2)

(2-2)


 東京の大学には地元とは違って、各地方から様々な高校生が入学してくる。


 自分は彼女と学部も同じだから受ける講義も合わせていた。だけど、四年間の学生生活を全て二人だけで済ませる事は不可能だ。嫌でも人間関係は広がっていく。


 人間関係の構築には自信があった。中学・高校共に失敗した事が無かったから。ああいうのは違う世界の話だと勝手に考えていた。


 しかしそれは所詮、地元での話。きっかけは笑っちゃうくらい些細な事でだったけど、簡単に孤立した。孤立しても彼女がいたから、最初の一年は大学に通えていた。


 でも、次第に彼女は興味がある講義が出来て、お互いにバラバラになる。彼女はそこの授業で友人を増やしていった。講義終わりに待ち合わせをしていたら、ラウンジで友人グループと別れて、こちらへ早歩きで向かって来る彼女。


 その背後から自分を品定めしてくるような視線達。


 自分の存在が彼女を閉じ込めてしまっている事を知る。


 それが申し訳なくて、情けなくて、堪えられなくなって、別れを切り出した。


 もしかしたら、引き留めてくれるかも知れないと淡い期待を抱いていたが、驚く程、彼女はすんなりと了承した。


 そこで彼女との関係は終わって、それ以来会話していない。


 一度、落ちてしまうと止まらなかった。

 大学に行けなくなりマンションに引きこもる。朝から晩までネット漬けになった。仕送りがあるからバイトを辞めても最低限、生きてはいけるけど留年が決まって、流石に両親に全部バレた。でもその時は何もかもがどうでも良かった。


 父さんは、休学届けを出してくれた。退学ではないから実家に帰って心を整えてから、また通えばいいと言ってくれた。でも、そんなのいつになるか分からない。


「――こんなところ、何かいざ話してみると本当しょうもないな」


 話し終えた兄が自虐的に笑った。


 兄の大学の体験を黙って聞いていた栞菜は、彼の話が心の奥深くに染み込んだ。

 結局、兄は地元から出るべき人ではなかったのだ。彼の人間性は地元でしか機能しなかった。東京では、地元で培った力は有効範囲外だったのだ。


「栞菜はさ、俺みたいな失敗はしないと思うよ。大丈夫」


「うん、ありがとう。ごめんね? 話したくない事を無理に話させて」


 栞菜が謝ると、兄は首を左右に振った。


「もっと早く話せば良かった。訳も分からず家の空気が重かったのは苦痛だったと思う。本当にごめん」


 兄が頭を下げる。確かに事情を早く話してほしかったけど、先に知ってしまっていたら、あんなに受験勉強に必死にはなれなかっただろう。


「もう謝らなくていいから」


「そうか……」


 栞菜がそう言って、兄の頭を上げさせる。二人の間に沈黙が流れた。とにかく上京する前に全てを知れてスッキリした。


 そう考えていると、兄が「ここからはお願いなんだが、」と言って、苦しそうに視線を下にした。


「お願い?」


 予想外の展開に栞菜が警戒する。それを察した兄が勢いよく手を前に出す。


「嫌なら全部、断ってくれていいから。悪いが話だけでも聞いてくれないか」


「……うん」


 栞菜が頷いてホッとした兄はスウェットのポケットからiPhoneを取り出した。


「実は大学に行かなくて引きこもっていた時にずっとやっていたチャットアプリがあるんだ」


「チャットアプリ?」


「そう。ホワイトカプセル・サテライトっていうアプリ、知ってる?」


「いや、知らない」


「そうか。まずは見てくれ」


 兄は立ち上がり栞菜の傍に来ると、デスクにiPhoneを置いて慣れた手付きで操作する。沢山のアプリが並んだホーム画面の一ページに置かれたそのアプリを起動した。


 起動するとIDとパスワードを入力して、兄がログインをする。すると、画面が真っ白になり白いドアがサムネイル上に沢山表示されていた。


「ドア?」


 栞菜の呟きにも似た質問に兄は大切な宝物を自慢するような目をこちらへ向けた。


「一人ぼっちの東京で知らない相手にハンドルネームとチャットで交流するこのアプリだけが、俺の唯一の居場所だった」


「うん」


「実は、その内の一人と実際に会う約束をしたんだ」


「そうなんだ」


 きっかけが何にせよ、外に出て人と会うのは良い事だ。そうか、だから髪を綺麗に整えたのか。栞菜がそう推測していると、次の兄の言葉を聞いて驚愕する。




「栞菜が代わりに会ってくれないか?」




「……はっ?」


 兄が何を言っているのか分からず、一瞬固まってしまった。そこをすかさず彼が詰めてくる。


「頼む! 相手は俺と同じような奴で、今日までずっと相談に乗ってたんだ! 助けたいんだ!」


 そんな意気込んで、助けたいんだって言われても、こちらには意味が分からない。第一、今の兄に誰かを助ける余裕なんてない。

 固まった頭が動き出して冷静さを取り戻す。


 それを口にする前に兄は頷く。


「栞菜の言いたい事は分かってる。どの面下げて助けたいとか言ってるんだとは、俺も思う。けど、だからこそなんだ。俺が失敗したからこそ、向こうには同じ失敗をしてほしくない」


「そんな事言われても……、私には無理だよ。代わりに会うなんて今までの経緯を何も知らないんだから。すぐに気付かれて終わりだよ」


「会うまでにアプリのIDとパスワードを教えるし、経緯も全部説明する。それに当日は俺も一緒に付いて行く」


「一緒に行くならお兄ちゃんが行ってそのまま会えばいいじゃん」


 行けないならまだしも行けるのなら、ますます代わる理由がない。栞菜の冷静さはより鋭くなる。


「今の俺が直接会っても、まともに話せない。家族以外の人と話すのはどうしても緊張しちゃうんだ……」


 ずっと引きこもっていた兄がいきなり、誰かと待ち合わせをして、しかもアドバイスをする。そのハードルの高さは理解出来る。今の彼は誰かを介して初めて交流が可能なのだろう。その媒介に自分が選ばれてしまったのだ。


「もし、行ってくれるならお金は払うよ」


「いやそんなのは受け取れないよ」


 大学に合格してから合格祝いを貰っているので、今現在の栞菜はお金には困っていない。それに兄妹間でお金のやり取りは、生々しく感じて嫌だった。


 栞菜がお金でも動かないと分かり兄は打つ手がなくなったのだろう。目を強くつむっていた。それはおそらく自分自身を説得しているのだ。


 数秒して兄は力なく「うん」と頷いた。


「そうだな、俺が悪かった。栞菜の言う通りだ、うん。今、誰かの相談に乗ってる余裕なんてなかった。それよりもやる事があった。ごめん、この話は忘れて」


 まるで自分自身を説得させるようにそう言ってから、兄は立ち上がった。向こうが諦めてくれた。その気持ちが栞菜の中で安堵を生んだ。

 

 しかし、同時に微かではあるが可哀想という気持ちも芽生えてしまった。


 東京にいた末期の兄にとって本当に大切な居場所なのだろう。説明していた時の顔を見れば分かる。


 デスクのiPhoneを手に取り兄がその場から離れて、部屋のドアノブに手を掛ける。彼の背中に向かって自然と口が開いていた。


「ちょっと待って、分かった。一回だけなら代わりに会うよ」


 栞菜の声が兄の背中に届き、彼の動きがピタリと止まった。


「えっ? いいのか? 本当に?」


「うん。まぁ、でも本当に一回だけだからね」


「……ああ、ああっ! 勿論だ、ありがとうっ!」


 一度離れた兄が再びこちらへ戻って来た。諦めていたのに希望が見えた事で喜んでいるのをまるで隠していなかった。


 そこからはトントン拍子に話が進んでいった。兄に言われるがまま、栞菜のiPhoneにもホワイトカプセル・サテライトをダウンロードして、兄のIDとパスワードを入力する。一度、入力すると記憶されるらしく次回から入力不要だった。


 ハンドルネームは『ソウ』という名前だった。これは初回登録時に自動で決まる為、兄が決めたものではないとの事。またアプリは利用時間が決まっていて、二十三時から夜中の二時までしかログインが出来ないとの事だった。


 一日の中で使える時間が限られていて、それも夜だけなんて変なアプリ。


説明を聞いて栞菜はそう感想を抱いた。現在の時間が丁度利用時間だったのでログインする事が出来た。


 兄曰く、このアプリには公開されていない隠し機能が幾つか存在して、その内の一つが、覗き見モードという機能だった。これは複数の端末でログインした場合に使用出来るモードでその名の通り、チャットを覗き見するモードだった。


 ハンドルネーム『ソウ』の横に“−2”と表示がされて、栞菜がログインした時には『ソウ−2』となった。チャット内での発言やDM機能は使えないけど、リアルタイムでチャットやログ、DMを読む事が出来る。

 ただし覗き見モードもログイン出来る時間は変わらない。


 この機能を使って普段どのようなチャットが行われているのかを見てほしいと言われた。栞菜は教えられた通り、チャットログとDMを読む。

 話を聞いた限りでは、もしかして危ない人達の集まりなのではないのかと警戒していたが、そんな事はなかった。


 チャット中の兄は現実とは別人でとても社交性があった。

 皆のまとめ役をしたり何かを提案しているのを読んでいると、こちらが恥ずかしくなってくる。


 なるほど、確かにこれでは兄が自分は会えないと言っているのも納得だ。DM を読んで、時折相談しながら会う日取りを決める。


 会うのはチャットメンバーの一人、男子大学生の『とうふ』という人だった。


どうせなら会うなら女子高生のビキが良かったが、既に兄が話を進めてしまったので、どうしようもなかった。


 東京の大学へ進学が決まり、上京の準備と並行して会う予定も詰めていく。当たり前だけど、アプリの件は両親には内緒だ。


 大学生活が来週に迫った三月の最終週。


 とうとう明日、とうふと会う事になった。



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