「第4章 ソウ」(4-2)

(4-2)


 このタイミングでDMが届くのは素直に凄い。

 覗き見モードでログインしている為、相手から絶対に分からない。だからこれは完璧に偶然。

 届いたDMを開こうと指をディスプレイに触れる直前に急ブレーキがかかった。


 覗き見モードでDMを開いても大丈夫なのか?


 そう疑問が生まれたからだ。


 DMは文面を見たら、相手も分かるように“✔︎”付くのは知っている。


 でも、それは覗き見モードでも同様なのか? もしそうならログインしていないのに“✔︎”だけ付いて、彼に不信感を抱かせる。


 まるで栞菜に向けて送ったとも取れるタイミングで届いたDM。

 正直、読みたい気持ちはある。だがもし、間違えていたらーー。


 頭の中でグルグルと考えが巡った。喉が渇いて自然と手を伸ばしてさっき、不味いと感じた冷めたインスタントコーヒーを口にする。

 苦味が口内に広がり思考を阻害した。

 その甲斐もあって、冷静になれた栞菜は結論を出した。


 出したのはDMを開かないという結論だ。


 兄がアプリを削除している以上、全て終わった話なのだ。

 だから、下手に相手に希望を見せる事はない。


 自分自身に強く言い聞かせて、ホワイトカプセル・サテライトからログアウトした。覗き見モードでのログアウトを知る人間は誰もいない。


 もう関係ないと決めておきながら、アプリをiPhoneから削除しなかった。


 翌日、新宿で友人達と楽しく遊んでいてもトイレや帰り道で一人になる時があると瞬間的に思い出してしまった。

 思い出してもすぐ忘れるのだが、完全には忘却してくれなかった。


 あの夜に覗き見モードで知った事実は、心に小さなトゲを刺したのだった。


 更に二週間が経過した夜。


 明日は一限から講義があり0時にはベッドにいた。


 部屋の電気を消してベッドで横になりながら、iPhoneを操作して適当にネットを巡回する。高校生の時は当たり前だったのに大学生になると自分で時間割を作れてしまうので、いくらでも夜更かしが出来る。

 自制しないとすぐに生活習慣が崩れてしまうのだ。


 早く眠らないと思うのにベッドに入っても中々瞼は重たくならず、仕方なくiPhoneでネットを巡回していた。iPhoneの人工的な光は、たとえ明るさを最小設定にしても眩しい。結局、それで眠気を妨害している。


「あー、もう」


 手に持っていたiPhoneを手から離して鬱憤を口から漏らす。

 眠らないといけないのに眠れない。そのせいで段々イライラしてくる。目を閉じてゆっくりと深呼吸をしてみるが、眠気が訪れる気配がない。


 本でも読むのが良いのだが文庫本の置いてあるデスクまで歩くのが面倒だ。しかもスタンドライトを点けないといけないから、iPhoneよりも明るくて本末転倒。


 ウダウダと考えて最終的にまたiPhoneに手を伸ばす。ロック画面を解除してホーム画面へ。そこで栞菜は現在の時刻を確認する。表示された時間は一時を過ぎていた。


 ホーム画面に並ぶホワイトカプセル・サテライトに目が向いた。今の時間はまだ、アプリの利用可能時間だ。どうせあのメンバーは、今夜もチャットに勤しんでいる。適当な話で深夜二時まで盛り上がるメンバー。


 彼らだって各々生活があるのに一体どうしているのだろうか。


 基本的に全員参加の彼ら対して栞菜はそう疑問に思う。

 いやそんな事、どうでもいい。眠れなくて余計な事まで考え始めている。

 浮かんだ疑問を即座に否定して、iPhoneを手放して強引に夢に逃げられるように強く目を閉じる。


 しかし、あの心に刺さったトゲが存在を強く主張し始めて、夢に入らせてくれなかった。それがしばらく続いて観念したように栞菜は、目を開いた。


「ったく」


 眠れないのとは別のため息を吐いて、iPhoneに手を伸ばした。

 ココで少しでも何かを考えると躊躇するので手早く操作する。


 ホワイトカプセル・サテライトに栞菜はログインした。


 覗き見モードではなく、“ソウ”として。

 初めてソウとしてログインすると、右上に【覗き見モード】と表示されないだけで他は変わらなかった。

 栞菜はそのままチャットルームに入る。左側のサイドバーに表示されているソウの名前の横が最終ログイン日時から、【ログイン中……】へと切り替わった。メンバーに気付かれる前に一回、DMを確認する。


 ずっと気になっていたとうふからのDMを開いた。


とうふ:『お久しぶりです。ソウさん、就活の調子はどうですか? きっとソウさんの事だから、順調なんだと思います。


 以前、相談した自分の大学生活はちょっとずつですけど、周りとコミュニケーションが出来るようになってきました。

 始めは怖かったのですが、思い切ってグループワークの講義に参加しました。勇気を出して話し掛けたら、皆が受け入れてくれたんです。どうやらずっと一人で講義を受けている自分を知っていたみたいで……。

 一人が好きな人に思われていました。


 長くなってしまってすいません。ソウさんも就活、頑張って下さい』


 とうふの近況が書かれたDMを栞菜は目を通した。

 彼も兄と同じように自らの意思で変わろうと前進しているのだ。

 そして変わり始めた事をソウだけに報告している。残念ながらそれを兄は読んでいない。


 とうふの頑張りを穏やかな気持ちで読み終えて、栞菜はチャットルームへ戻る。

 すると、そこにはソウがログインしていた事に気付いた他のメンバーが続々と反応を示していた。


 ポー:『あれ? ソウさんがいるぞ?』


 ビキ:『本当だ。ソウさーん』


 ポーとビキがソウに呼びかける。


 とうふ:『あ、本当だ。ログインしてる』


 既に全員に気付かれている。こうなってしまったら仕方がない。栞菜はソウとして、返事を書き始める。


 ソウ:『こんばんは。ソウです』


 まさかこのアプリで他人がなりすましをしているとは誰も思うまい。そう考えながらも最初の書き込みをした時、栞菜は緊張していた。


 ビキ:『お帰りなさーい。久々ですね』


 ビキがそう反応した事でバレていないと分かり安堵する。


 ソウ:『うん。久しぶりですね、皆さん』


 ポー:『ん? 何かよそよそしいな』


 ポーにそう突っ込まれると、解けていた緊張が再び強くなりドキッとする。


 とうふ:『久しぶりだからですよね? いつも通りでいきましょう』


 とうふから援護が来た。


 ソウ:『確かに。久々だから、緊張してるかもです』


 とうふ:『緊張? 大丈夫ですよ。皆、ソウさんの事、待ってましたから。ねえ? 二人とも?』


 ポー:『特にとうふ君が一番待ってたよね?』


 とうふ:『ちょっとポーさん』


 ビキ:『そうそう。しょっちゅう「ソウさん、就活頑張ってるかな」って書いてましたよ?』


 とうふ:『もう、ビキさんまで』


 三人のやり取りに栞菜の頬が緩む。


 ソウ:『へぇ、そうなんだ。後でチャットログを見てみようかな』


 とうふ:『それは絶対ダメ!』


 ソウが会話に乗り慌ててとうふが止める。

 この一連の流れは栞菜が把握しているチャット基本的な流れだった。よし、ちゃんとソウになれている。


 誰にも不審に思われず、いつもの流れが出来た事で栞菜は、ソウになれたと自信を得た。それからしばらくソウとしてチャットに参加した。


 彼らの書き込みに反応して自分も書き込み、時に一緒になってとうふをからかう。そんな時間はあっという間に流れていき、アプリの利用時間である二時前までやって来た。


 ソウ:『もう二時ですね。皆さん、お疲れ様でした。久しぶりに話が出来て楽しかった。おやすみなさい』


 ビキ:『また明日も来てくれますか?』


 ソウ:『ん〜、それはちょっと分からない』


 ビキ:『えぇー!……なんてウソウソ。ソウさん、忙しいですもんね。時間がある時でいいのでまたきてくれると嬉しいです』


 ソウ:『はい。おやすみなさい』


 ポー:『おやすみ、ソウさん。話せて楽しかった』


 とうふ:『おやすみなさい』


 三人とおやすみを言い合って、栞菜はチャットルームから出た。


 iPhoneを手から離して、「ふぅー」と息を吐く。こんなに長居するつもりはなかったのに最後までいてしまった。そう考えていると、DMを受信した。


 DMは一日の利用制限はあるが、時間に関係なく利用出来る。チャット終わりでDM が送られて来たのだ。栞菜は再びiPhoneを手に取る。


 とうふ:『ソウさん、今日はまたきてくれて嬉しかったです。就活が忙しいと思うので無理はしないで下さい。就活の愚痴があれば、聞かせて下さい』


 何と言うか、実に素直で彼らしいDMだった。

 栞菜はチャットが終わってすぐにDMを書く彼を想像して笑ってしまう。


 ソウ:『ありがとう。来れる時にまた顔出します。あと、来れなかった時もDMも送ってくれてありがとうね』


 栞菜はDMを送ると、アプリをログアウトした。

 あんなに眠気が来なかったのにiPhoneを手放した途端、すぐに眠気が訪れた。


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