「第4章 ソウ」(3-4)

(3-4)


 解散を言葉にすると、明確に現れた終わりに彼が悲しい顔を一瞬見せるが、すぐに元に戻した。


「分かりました。沢山、話せたし。楽しかったです」


「それは良かった。私も楽しかったよ」


 それを最後に千駄ヶ谷駅まで二人の会話はなかった。

 それまでずっと話をしていたけど、会話がなくなったのは話題が尽きた訳ではないはずだ。


 千駄ヶ谷駅に到着して改札を通り、ホームへと上がる。彼も同じ路線だと知った。しばらく待つと総武線が到着して、電車に乗った。混雑しており空いているシートがなかった為、二人とも立っていた。兄は二人から離れたドアの傍に立っている。


 相変わらず、会話はなかったが、二人を乗せた電車は水道橋駅を超えた。

 次で降りる事を栞菜は思い出す。


「私、次の御茶ノ水駅で降りるね」


「あ、了解です」


 短い連絡事項を伝えてそれ以上はなく、ただ電車は進む。駅に到着してしまう前に会話をするなら今しかない。そう考えていると、彼の方から口を開いた。


「今日は会えて嬉しかったです。本当に」


「うん、ありがとう。私も嬉しかった」


 彼の素直な感謝に栞菜も笑顔で言い返した。最後は綺麗な思い出で、終わりたかったのだ。


 電車が御茶ノ水駅へ到着する。車内アナウンスが響いて、降りる予定の乗客が準備を始めた。その中で近くの学生が立ち上がり、彼の近くのシートが空いた。


「あ、シート空いたよ」


 栞菜が彼をシートに座るように促すと彼は頷いてストンとシートに座る。


「じゃあ、また今度」


「はい。また今度」


 今度なんて絶対に訪れないのを知りつつ栞菜は、別れを告げた。お互いに軽く手を振り合ってから、栞菜は他の乗客に混ざって一緒にホームに降りた。


 ホームに降りると他の乗客達と一緒に改札へと続く階段を上がる。栞菜は決して振り向かなかった。おそらく彼はまだこちらを見ている。

 だからそれに反抗するように決して彼女は振り向かない。


 階段を上がり切り、改札前で立ち止まる。


「ふぅ」と栞菜の口から声と息が漏れた。張っていた緊張が緩んだのである。


「栞菜」


 後ろから肩をトンっと叩かれる。振り返ると満足気な顔をした兄がいた。


「お兄ちゃん」


「お疲れ様。今日は本当にありがとう」


「まぁ、私も最初は緊張してたけど、始まってみると楽しかったから」


 今日一日の感想を兄に伝える。


「とうふ君が危ない人じゃなくて良かったよ。いや、むしろ気が合ったのか。新宿御苑に行ったり、喫茶店でずっと話してたもんな」


「あれは私も予想外だった」


 彼との会話を思い出して、まるで一本の映画を観終わったような感覚になる。


 栞菜がそう回想に浸っていると、兄がポケットから白い封筒を取り出した。


「これは今日のお礼。少なくて申し訳ないんだけど」


「えっ、いいよ。前も言ったじゃない」


 今の兄からお金なんて受け取れない。前に断ってから何も言ってこなかったから、てっきり納得してくれたのかと安心したけど、違ったようだ。


「いいから。受け取ってくれ。受け取ってくれないと俺は自分が許せない」


「でも……、」


 自分を許せないという言葉が栞菜に響く。

 これ以上、兄を刺激するとまた元に戻ってしまうのではと危惧してしまう。


「終わった今はともかく、今日までは嫌々だろう? その報酬だと思ってくれていいから」


 嫌々、報酬。そういう言い方をされてしまうと、受け取らない訳にはいかなくなる。何故なら否定する=嫌ではないと図式が作られてしまうからだ。


「分かったよ」


 栞菜は諦めにも似た息を吐いて、兄から封筒を受け取った。


「良かった、ありがとう」


 受け取って貰えた事で兄は、心底安心した表情を浮かべていた。


「そうだ。あと、ストラップとケースは返してくれ」


「うん、分かった」


 栞菜は自身のiPhoneのケースとストラップを取り外して、兄に返す。

 代わりにカバンに入れていた本来のケースにiPhoneを入れた。受け取った兄は、それを自身のリュックに入れた。入れる直前、三日月のストラップが光に反射して、キラリとこちらを見た。まるで、助けを請われているように感じた。


「あのさ、そのストラップとケース。私が貰っちゃダメかな?」


「えっ? どうして?」


 理由を尋ねる兄の声が一段階、低く感じた。怒っているのではなく、純粋に意味が分からないと言った声だった。咄嗟に栞菜は視線を下にして答える。


「えっと、せっかくだから。今日の記念と言うか何と言うか……」


「記念? 記念って何? ちょっとよく分からないけど」


「それは……」


 兄の質問に上手に返せない。確かに本人の言う通り、記念と言うなら何の記念か分からないとダメか。

 栞菜が黙ってしまうと、逸らした視線の上から「栞菜、」と兄の声が降ってきた。


「正直、今日の出来事は全部忘れてほしい。だから思い出すような物は渡したくない。もし、気に入ったのなら似たようなのを自分で探してくれ」


「うん、分かった」


 兄の言葉に栞菜は顔を上げて短く返す。これ以上は無駄と感じたからだ。


「ありがとう。じゃあ行こうか」


 それから二人は、中央線に乗り東京駅まで兄の見送りに行った。


 既に新幹線のチケットを購入していた兄は、ポケットからそれを取り出して、東京駅口内を見回してから、「これから俺も少しずつだけど、頑張ってみるよ」と言ってきた。


 兄の中であのアプリに対する決着が付いたのだ。


 一緒に入場券でホームに上がり、のぞみに乗る兄の背中を見る。彼が窓側の席に座り、こちらに手を振ってくる。栞菜もそれに振り返した。

 やがて発射ベルが鳴ると兄を乗せたのぞみは、ドアが閉まり発車する。


 こうして兄が東京から離れていった。

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