「第4章 ソウ」(3-3)
(3-3)
土曜の昼過ぎなのもあって、新宿御苑入口には大勢の人が並んでいた。
蛇のような列に並びチケットを購入してゲートを通った。新宿の街はビルばかりで都会だと思っていたのに、少し歩くとこんなに雄大な自然が並んでいる。
針葉樹が並ぶ道の遠くにドコモタワーが見えて不思議と合っていた。
順路に従って二人は道を歩く。千駄谷門があるのでそこまで歩くコースとなっていた。
食後の腹ごなしにしては、結構な距離を歩いていると目の前に空いているベンチを見つけた。二人はそこで一旦、腰を下ろす。
「ふぅ。結構歩いたねー」
「確かに。いつの間にか結構歩いてました」
流れる木々に優しい風が当たって、落ち着く雰囲気を新宿御苑全体で作り上げている。次第に彼の目がトロンして始めた。
あと数分もすれば眠ってしまうだろうな。と隣の栞菜は思った。
「眠い?」
「あ、いや! そんな事は……、」
栞菜がそう聞くと、彼は慌てて首を左右に振って否定する。
その姿が歳の離れた弟のように見えて可愛らしかった。
二人で今日までの心境を話す。いつも深夜までチャットしていると寝不足になるよねと言うと、彼はそれを認めなかった。
彼と違って兄は、毎晩のチャットが終わってからは昼まで眠っていた。だが彼は大学生。翌日には講義があるはずだ。
彼の強がりを尊重して、緊張していたかと尋ねると、今度は素直に認めた。
緊張したという名目では、栞菜も同意だが詳細が違う。細かく話すとボロが出る可能性があったので、「私は楽しみだったよ」と敢えて真逆の事を話して、会話の流れをコントロールする。
彼が意外そうに「楽しみ?」と聞いてきたので「うん」と答えて理由を説明した。
「いつもDMとチャットでしか話せないけど、どんな考えの人なのかは分かっていたし、直に会ったらもっと色々な話が出来るだろうなって思ってたから」
まるで女優になったような感覚。大勢のスタッフが自分達の後ろで演技を見ていて「カット!」って呼ばれるのを待っているような、虚構で作られた世界。
そんな感覚が栞菜の頭の中にあった。
「……ありがとうございます」
彼に礼を言われて、「カット!」という掛け声が栞菜の脳内で響いた。同時に行き場のない罪悪感が膨らんでいく。
全てを彼に打ち明ける事が出来たなら……。
そんな感情が芽吹いた。伝えたら怒るかな、実は自分はソウではなく、別の人間で今日は代理として会っているだけで、もう二度と会う事はなくて。
一度、芽吹いた感情は何の栄養を与えていないのに勝手に大きくなっていく。それはもう少しで心を経由して、口から出そうだった。
その時、栞菜のスカートのポケットが振動する。
「あっ、」
振動に反応してiPhoneを取り出す。相手は当然、兄から。
『今、お前達の後ろにいる。もう少しで新宿御苑が閉まるぞ』
カット代わりに届いた兄からのメール。流石に彼の真横でメールは書けない。
「とうふ君、ごめんね。ちょっと電話してきていい?」
栞菜はそう彼に尋ねる。彼は「勿論です。どうぞどうぞ」と頷いてくれた。
「ありがとう。すぐに済むから」
彼から許可を貰った栞菜は立ち上がり、ベンチから少し離れた針葉樹の傍に行った。ここからなら、姿は見えるけど声までは届かない。
栞菜は兄に電話を掛ける。二、三回コール音が鳴って、兄が電話に出た。
「もしもし、お兄ちゃん」
「どうした? 電話まで掛けて」
栞菜が立ち上がって座っていた方を向くと、ベンチの後方に兄の姿があった。
「……全部、話したらマズいよね? やっぱり」
栞菜の質問に兄はすぐに返事を返さなかった。数秒、間が開いてから冷たい声が返ってきた。
「何故?」
「ずっと騙してるのが悪い気がしてきて……」
この数時間、栞菜が抱いていた罪悪感。兄から許可を貰えたら今すぐにでも話す事が出来る。だから聞いてしまった。
「ダメだ。話してしまうと全てが崩れてしまう。栞菜がソウでない事実は彼を傷付ける」
「確かに、そうかも知れないけど……」
「どうしてそんな事を急に言い出すんだ? 栞菜は元々、今日を楽しみになんてしていなかっただろう?」
昨日までの心境を元に兄から問われる。
「うん。でも会ってみたら、良い人だった。映画や本の趣味も合うし、」
「栞菜。今日だけだから」
兄は強く栞菜の気持ちを短い言葉で否定した。
「俺が言える立場じゃないけど、栞菜はこれから大学で沢山の出会いがある。その中に今日の出会いなんかよりも百倍良い出会いが沢山ある。だから、こんなところでその可能性を潰さないでくれ」
来週から始まる大学生活。そこからの四年間と今日一日を天秤かけた場合、どちらに傾くか。兄は諭すように話してきた。
「それは分かってるつもり」
「ならいいんだ。栞菜は東京で初めて会った人だから、気を許しかけてるんだよ。俺が本当に悪い。栞菜はあと数時間だけソウでいてくれるだけで充分だから」
「うん、そうするよ」
「ありがとう。じゃあ、早くとうふ君のところに戻ってくれ」
兄との電話を切り、栞菜は彼のところへ戻る。
彼はiPhoneを操作していて、一人残された時間を潰していた。
「ごめんごめん。遅くなっちゃって」
栞菜が声を掛けると、彼は顔を上げてiPhoneをポケットにしまう。
「俺の事は気にしないで下さい。それより電話は大丈夫ですか?」
「うん。すぐに終わると思ったけど、案外かかっちゃった。でもこれで、本当に平気だから」
自分に言い聞かせるように“平気”と言って栞菜はまた隣に座る。彼は「えっと、」と話題を変えて、この後どうするかを尋ねてきた。
当初の予定通り千駄ヶ谷門まで行くか、入って来た新宿門まで戻るか。
来た道を戻るのは何となく嫌な気がして、栞菜は当初の予定通り千駄ヶ谷門まで歩こうと提案する。ベンチで結構休んだので体力は回復していた。
最終的に千駄ヶ谷門から千駄ヶ谷駅まで行って、解散という流れになった。
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