「第4章 ソウ」(5-3)

(5-3) 


 大学に行く時とはまた違う心持ちで御茶ノ水駅まで向かう。

 駅に到着すると改札を抜けて、中央線に乗った。空いているシートに腰を下ろす。


 土曜日の新宿駅は平日よりも人の往来が多い。平日でも充分多いのだが、今日はスーツ姿より私服の乗客が多かった。


 栞菜は新宿駅のホームに降りて、時間を確認する。


 時間は十五時。昼食時間のピークは過ぎていた。初めて来た時と違って、新宿には何度も来ており一人で入れる店を何店舗か知っている。


 どこに行こうかと頭の中で候補を出してもしかしたらと、ある喫茶店へ向かう事にした。


 新宿駅南口から降りて、新宿御苑の方へ歩く。


 そこから少し逸れて住宅街に入ると、その一角に緑色のドアの喫茶店があった。

 そこは初めてとうふと入った喫茶店、グリーンドアだった。


 普段は駅から歩くのであまり来ないが、今日は違う。とうふと会えるお店で栞菜が心当たりがあるのは、この店か西口のスターバックスのどちらかだ。

 あれから一度も入っていない店名の由来となっている緑色のドア開ける。


 カランコロン。


 上部に取り付けられたカウベルの音が鳴った。そうそう、この店はドアを開けるとこの音が鳴るのだ。音色を聴きながら、かつての事を思い出す。


 この時点でとうふが居たら、一気に解決する。栞菜は緊張しつつも入口から店内を見回した。前回に来た時はそれ程いなかったが、今日は多くの客で賑わっていた。


 入口で立っていると、何人かいる店員の内の一人。

 あの日、二人を接客してくれた女性店員がこちらにやって来た。


「いらっしゃいませ。あ、以前に来てくれましたよね?」


「そうです、覚えてくれてるんですか?」


 あれから数ヶ月は行っていない。常連じゃない初見客の顔なんてすっかり忘れているものだと思っていたので驚く。


 栞菜が尋ねると、彼女は「ええ」と頷いた。


「私、お客さんの顔はすぐに覚えられるんです。今日はお一人なんですね?」


「え、ええ……」


 とうふの事を聞かれてほんの少し気まずくなる。それと同時にこの聞き方をされるという事は、彼がここに来ていない事の証明になった。


「そっか。またいつでも来てください。えっと、席なんですけど前に来ていただいたソファ席は、今日は埋まってます。カウンターでも構いませんか?」


「ええ。勿論」


「ありがとうございます。こちらへどうぞ」


 彼女に案内されてカウンター席へと座る。兄が座っていた席の二つ隣だった。立て掛けられたメニュー表を手に取る。今日は何にしようかと考えていると、彼女がお冷を持って来てくれた。


 その時、メニューにあった宇治抹茶ラテに視線が動いた。

 美味しそうだと直感的に脳が判断する。食べ物は以前とは別の物を注文しようかと思ったけど、あの味が忘れられなくて再び注文しようと決めた。それに夕食を食べるかも知れない事を考慮すると、サンドイッチぐらいが丁度いい。


「注文いいですか?」


「はい。どうぞ」


 彼女が黒いエプロンから伝票を取り出す。


「ホットの宇治抹茶ラテを一つ下さい。あと、このクラブハウスサンドを」


「はーい。かしこまりました」


 栞菜の注文を聞いて、ペコリと頭を下げた彼女は、伝票を裏返しにしてカウンターに置いて奥へと帰っていく。

 栞菜はカバンから文庫本を取り出した。昨日は一ページも読まなかったので、実に二日ぶりだった。部屋にいる時や通学路の時に習慣化している自分としては、一日でも本を読まない日は珍しかった。


 それぐらい、とうふ君の事で頭がいっぱいだった。

 栞菜はあらためて物語に意識を向けた。しばらくして、「お待たせしました」と女性店員から宇治抹茶ラテとクラブハウスサンドを運んで来た。


 まずは、宇治抹茶ラテから飲もうとカップを手に取り、そっと口を付ける。


 部屋では飲む機会のない抹茶ラテは一口飲んで香りが口内に広がりとてもお美味しかった。これまで悩みが、この抹茶ラテを飲んで救われた気がした。


 それぐらい価値があったのだ。他のテーブルを片付けていた彼女に「抹茶ラテ、とても美味しいです」と感想を伝えた。


「本当⁉︎ 嬉しい〜! そう言ってもらえると喫茶店冥利に尽きます」


 喜んでくれた彼女の姿に栞菜も伝えて良かったという気持ちになる。彼女の話しやすさ。それもこの喫茶店の魅力の一つなのだろう。


 今度はクラブハウスサンドに手を伸ばす。パストラミビーフとマスタードソースは前回も食べた味ですっかりファンになってしまった。


 クラブハウスサンドを堪能して、食べ終わった皿を彼女に下げてもらう。


 お冷のお代わりをもらって、店内にあるアンティークの壁掛け時計で時間を確認した。


 現在の時刻は十七時四十分。とうふが待ち合わせ場所をこのグリーンドアにしているのなら、そろそろやって来てもおかしくない。


 自然と視線が店内入口へと注目する。カランコロンと鳴るカウベルに一回一回反応してしまい、入って来る客を見てしまう。そのせいで文庫本はずっと開いたまま。もう読めないと諦めた栞菜は、バッグに閉まってiPhoneを操作して待つ事にした。


 とうふがカウベルを鳴らしてドアを開けた時、彼に何て言えばいいのだろうか。謝罪は当然として、その後だ。何故、アカウントが消えてしまったか。その説明をすると、ソウの事についても話さなければいけない。


 そもそも自分はソウではなく、本来のソウは兄であるという事。


 あの日は、兄に頼まれて代役として接していたという事。


 その後は本当に自分がソウとしてチャットやDMをしていたという事。


 全部知ったら怒るだろうか。

 それとも許してくれるだろうか。


 様々な考えが巡る。しかし、どの考えも時間が過ぎて行く内に萎んでいく。所詮は妄想に過ぎず、神様に用意されていた真実では、二人は出会えない。


 嫌でもそれを自覚してしまう。とっくに抹茶ラテは空になっていた。

 時刻は十八時を超えている。これ以上はお店に迷惑だ。(既に迷惑にはなっているだろうが)栞菜は、店を出る事にした。

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