「第3章 自分の体は世界に一つだけしかないんだから」(2-1)
(2-1)
月曜日、重たい頭を抱えて会社へと出勤する。
月曜日の朝は、地下鉄のホームに行くだけで辛い。周囲も同じような表情だった。もし今、誰かに肩を叩かれて、今日は会社をサボっていいと優しく言われたら間違いなく休む。
そんな不毛な事を考えながら康介は何とか会社に到着した。フロアのロックを開けて中に入る。金曜ぶりの自分のデスクを目にして、PCの電源を入れる。
「おはようございます」
と声を拡散させると、周りから「うーす」や「おはよーございまーす」と返って来た。起動したPCを操作してOutlookを開くと土・日に関連会社から届いたメールをどんどん受信していく。向こうは週休二日制ではなく、シフト制なので週末も関係ない。その為、下手に土曜出勤している事を知られると、外線が入って事務仕事に支障が出る。
届いたメールにざっと目を通して、チーム内に割り振っていく。準社員に割り振ったら、向かい側に座っている女性に向かって話し掛ける。
「吉川さん、土日で届いたメール転送しました。いつものやつだから、内容確認して処理をお願いします」
康介の声に反応して向かい側のモニター越しから、手が上がる。
「了解でーす。あ、でも金曜の分がまだ残ってるんで、先にそっちから片付けますね」
「分かりました」
吉川は康介が入社する前から働いている古参の準社員。前任者とも仲が良かったらしい。こちらの方が立場は上なので、仕事を振れば処理をしてくれるが勝手に自分のペースで仕事するなど、どこか舐められている。
前に給湯室で康介のやり方が非効率だと愚痴っているのを耳にした事がある。直接言ってくれれば、お互いに改善策を模索出来るのだが、言われないのでそのままでいた。
康介のチームには準社員が一名、派遣社員が二名いる。派遣社員の二人は、時間制限がありフルタイムでは働けないがそれでも自分の仕事をしてくれている。
しかし、突然退職してしまった前任者とは満足な引き継ぎが行われなかったので、まだ過去案件にヒビが残っている。どうしてもヒビの修復には時間がかかるから、隙間時間を見つけては対処していた。
午後にも隙間時間が作れたので、ヒビの修復に取り掛かろうとしたが、残念ながら叶わなかった。
「佐々木君っ!」
座っているテーブル群の一番奥。野山係長の声が響いた。昼食を食べ終えてから一時間が経過。嫌でも眠気に誘われていた康介の頭は強制的に起こされた。
「はい」
なるべく周りに迷惑をかけない声量で返事をして、彼の下に駆け寄った。
「何でしょう?」
「徳永さんから俺に電話があった。二週間前に頼んだ案件の進捗が止まっていないかだと」
「えっ……」
進捗が止まっている。二週間に頼んだ案件。野山係長の話から検索ワードを見つけ出して、脳内で検索をかける。すぐには出てこなかった。
「すいません。すぐに確認します。案件番号って徳永さんから聞かれていますか?」
毎日届く案件には全て案件番号が振られている。その番号を元に全て管理しているのだ。だから番号さえ分かればExcelデータベースを使って進捗を追い掛けられる。そう思って反射的に聞いてしまった。
それが野山係長の機嫌を悪くしてしまう。
「聞いてねえよ。ってかさ、番号聞くよりも二週間前、至急案件でメールでもデータベースでも検索かけりゃ分かるでしょ。頭、使って?」
「すいません。そうですね、確認します。現状確認してから徳永さんには連絡します」
「はい、よろしく」
もう席に戻っていい合図である野山係長の「よろしく」が出たので康介は頭を下げて自分の席へ戻った。
「ふぅ」
席に座ると自然に吐息が漏れる。先程までやろうとしていたヒビの修復作業を中断してすぐに取り掛かり始めた。
「大丈夫ですか?」
安藤が心配四割、野次馬六割の割合で声を掛けてきた。声を出して返事をするのが面倒だったので、頷いて返した。すると満足そうに彼は笑って自分の仕事に戻っていった。
野山係長はこのフロアにいる三人の係長の一人。仕事に自分だけの正解を持っていて、そこから外れると声が大きくなるタイプだ。彼にとっての正解さえを掴んでいれば問題ないが、間違えてしまうと今みたいな事が起こる。
黒のメタルフレームの眼鏡にワックスで整えられた短髪。本人はよく社外で打ち合わせや会議に出ている。にも関わらず全体の仕事もチェック出来ているのでそこは素直に凄いと康介も尊敬している。だがそれは、取引会社からの信頼という厄介な形で繋がっていた。
結果、直接の担当者である康介ではなく、野山係長に問い合わせが行ってしまう。康介にとっては迷惑でしかない。
そんな事を考えつつExcelデータベースで徳永の話していた案件を特定する。ステータスは別の関連会社の決裁待ちとなっていた。取り敢えず自分の手元になく動いている事にホッとする。すぐに関連会社に電話かけて進捗を確認した。担当の遠藤によると、明後日には通る予定との事。
しかし至急案件だと言っている以上、一日でも早く決裁を通す必要がある。
「遠藤さん、すいません。何とか明日中には決裁は通りませんか?」
無理を承知で頼み込むと、電話口からため息が聞こえた。
「またですか?」
「本当、すいません」
遠藤が怒るのは当然だ。謝る事しか出来ない康介は必死に謝って何とか通してもらえる事になった。
無事、説明出来る目処が付いたので徳永の携帯電話に掛ける。彼はツーコールで電話に出た。
「あ、徳永さん。イースト・システムズの佐々木です」
「あぁー、佐々木さん。こんにちは」
電話口の徳永は実に呑気な声を出してきた。こちら側との温度差に本当に至急案件なのかと疑ってしまう。
「先程、野山にお電話された案件なんですが、」
「はいはい。どんな感じですか?」
「現在の進捗状況では、明日中に決裁が通るようです」
「そうなんだ。良かった」
康介の進捗状況を聞いて軽い感じで返事が来た。
「ご報告が遅くなって大変申し訳ありません」
「いいのいいの。明日なら全然間に合うから。佐々木さんも色々動いてくれたんでしょう? ありがとー」
「いえ。あの、もしかしたら以前にもお伝えしたかも知れませんが……」
「うん?」
「現在の担当は私なので案件の進捗状況については野山にではなく、直接私までお問い合わせいただけますか?」
康介は案件対応が出来ない訳ではなく、取引会社といつも連絡しているのも自分である。野山係長に問い合わせられると、どうしてもワンテンポ遅れてしまう。以前から徳永達には再三お願いしているが、彼はそれを聞かない。
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