「第1章 灰色のフィルターがかかったような毎日」(7)
(7)
金曜日の夕方。
その時間から、幸せは終わった。
大学の講義終わりで仲間と別れて一人になった日向は、赤信号待ちになった時にホワイトカプセル・サテライトを起動する。そろそろソウと待ち合わせについて、打ち合わせをしようとDMを送ろうとしたのだ。
いつものようにDM機能からソウに送ろうと進める。が、DMからソウの名前が消えていた。
「……はっ?」
表示されている内容に思わず、声が出る。隣にいた人の視線を感じたが、どうでも良かった。赤信号が青になり、人の足音がしてその弾みで停止していた思考はまた復活したが、代わりに混乱が大きくなっていく。
これまでDMしていた相手の名前が消えている。どうして? 確か、最後に確認したのは今朝だ。朝に送ろうとしたけど、準備にバタバタして送れなかった。確かにその時にはソウの名前は表示されていたはずだ。
日向がまず考えたのは、システム側の不具合だ。そのせいで一時的にDM欄が閉鎖されている? 可能性はゼロではない。彼がチャットメンバーでDMをしているのが、ソウしかいないので他のメンバーに送れるのか分からない。
三人の内、誰かに送れば判明するがいきなり送るなんて真似は出来ない。
そして考えたくはないけど、ソウがアプリを退会したという事もある。一番考えたくはないけど、可能性の中ではゼロではない。
それは今日の二十三時になれば、自動的に判明する。
心臓の鼓動を大きく感じつつ、日向は顔を上げる。ついさっき、青になったはずの信号は再び、赤になっていた。
マンションに帰ってきても日向の頭はアプリの事しかない。時間を確認すると、十八時になろうとしていた。二十三時までまだ五時間もある。とにかくいつも通りに過ごして時間が来るのを待とう。
そう考えて日向はなるべく同じように過ごした。だけど、時計を確認する回数は普段よりも格段に多かった。
ようやく待ち侘びた二十三時になった。
日向は五分前から準備を全て済ませてデスクに置いたiPhoneに表示された時計ずっと睨んでいた。秒針を睨んでやっと時間が来ると、すぐにホワイトカプセル・サテライトを起動する。いつもの起動画面すら今は、焦れたかった。
やっとチャットルームに入ると、すぐに左のサイドバーに注目する。いつもなら、ソウの名前が表示されているはずなのだ。
しかし、そこにはソウの名前は書かれていなかった。
「あー、」
部屋の中で自然と声が漏れる。夕方に漏れた声じゃなくて、諦めが配合された声だった。
どうあがいても覆らない完璧な結論が出てしまった。
ソウはもういないのだ……。
とうふ:『こんばんは』
ログインした日向はとうふとして、挨拶を書き込んだ。すると数秒してから、彼の挨拶にビキが返事をする。
ビキ:『こんばんはー、とうふさん。今日は一番ですね』
とうふ:『みたいですね。あと、ソウさんがいなくなりました……』
向こうに言われる前にこちらから日向が切り出す。
ビキ:『本当だ、どうしたんだろう? やっぱり就活が忙しかったのかなぁ。残念、もうちょっと色々話を聞きたかったのに』
残念。そんな簡単な言葉で終わらせたビキ。彼女だって色々とソウに相談に乗ってもらっていたのにどうして、そんなあっさりとした感想なんだ?
彼女の反応に理解出来ず戸惑っていると、ポーがログインしてきた。
ポー:『こんばんは。あれ? ソウさんの名前がない』
ビキ:『こんばんはー、ポーさん。どうやらソウさんチャットルームから退会しちゃったみたいですね』
ポー:『あー、本人も就活で忙しかったみたいだし、退会しちゃったのかな。しょうがないか』
ビキ:『ですね。去って行く人を無理に追わず、新しく来られる方を歓迎する方向にシフトしていきましょう』
ポー:『賛成』
自分を取り残して世界が勝手に進んでいく。そんな感覚を日向は味わっていた。
どうして二人共、そんなにあっさりと進める事が出来る? もっと足掻いたりしないのか? それこそ運営に問い合わせるなりしてもいい。
万が一、間違えて消されてしまった可能性を追求しないんだ?
それをしない=薄情。そんな図式が日向の頭に浮かび上がっていた。
ビキ:『あれ? とうふさん?』
ずっと黙っていたのでビキが尋ねてきた。
とうふ:『あ、はい。すいません』
ポー:『とうふ君はソウさんから何か聞いてる?』
とうふ:『いえ。何も聞いていません』
ポー:『そうか。これで全員聞いていないとなると、本当にどうしようもないな』
ビキ:『ですね。あー、でも最後に別れの挨拶したかったかな』
ポー:『しょうがないさ』
別れの挨拶、しょうがない。二人の話す言葉の一つ一つが日向の脳内で反響する。彼らほど、日向はまだ現実を受け止められないでいた。
とうふ:『すいません、実はちょっと頭が痛くて。申し訳ないんですけど、俺はここまででログアウトしますね』
ビキ:『あらあら、大丈夫ですか?』
とうふ:『ええ。ちょっと疲れが溜まってるんだと思います』
ポー:『疲れって見えない内に勝手に溜まって、溜まり切ってから初めて実感するからね。分かるよ、今日はゆっくり休んだ方がいい』
とうふ:『そうします。では、おやすみなさい』
ビキ:『はーい、おやすみなさい。お大事に』
ポー:『おやすみ、お大事に』
二人と挨拶を交わしてから、日向はホワイトカプセル・サテライトからログアウトをした。手からiPhoneが離れてゴトッと音を立ててデスクに落ちた。
両手を重力に任せてダランと下げて、どこに合わせていいか分からない視線を上げて天井を見ていた。ソウと連絡は取れなくなった。その事実は日向を取り巻く全ての事情をマイナスへと変化させる。
現時点で分かっている事は一つ、どれだけ願っても昨日にはもう戻れないという事だ。
日向は大きなため息を吐いて、ベッドへ向かった。
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