「第1章 灰色のフィルターがかかったような毎日」(8)

(8)


 土曜日。


 部屋の掃除と洗濯を午前中に終えて、意味もなくインターネットを巡回していた日向。次第に部屋の中にいる閉塞感に耐えられなくなり、時間潰しと気分転換を兼ねて外出する事にした。


 出発をする前にまず予約していたお店に電話を掛けて、急病で行けなくなったと連絡をした。当日の連絡だったのでキャンセル料を取られるのではないかと怯えていたが、逆に心配されてしまい申し訳なかった。


 電話を終えた日向は、身支度を整えてマンションから出た。

 取り敢えず最寄り駅まで歩くと、改札を通る。中央線のホームに降りてから初めて行き先を新宿駅にしようと決めた。今日の内に新宿に行っておかないと、この先ずっと嫌なイメージを引きずってしまいそうだ。

 荒療治なのは自覚しているが、行くべきだ。


 新宿駅に到着して特に買い物もなかったので、ブラブラと本屋に行ったり、街を巡っていると、信号待ちでiPhoneが鳴った。そんな訳ないと頭では理解しているのに鳴ると、ソウからかも知れないと思って、体が反応してしまう。


 ポケットからiPhoneを取り出す。相手は勿論、ソウではなく、先日とある出来事から友人になった女子高生からだった。


 向こうも今、丁度新宿に一人でいるとの事。向こうは今日も学校で帰りに一人で買い物をしていたらしい。偶然、日向もいる事から二人はスターバックスで待ち合わせをする事にした。場所は新宿西口ではない。


 先に着いた日向がテーブル席に座って待っていると、制服姿の彼女が入って来た。こちらを見るなり、笑顔で駆け寄って来る。


「あ、成瀬さん」


「どうも。学校お疲れ様」


「いや、本当疲れましたよ。嫌だなぁ、土曜授業は」


「進学校は大変だ」


 日向がそう言うと、彼女は「そうなんですよー」と学校指定の肩掛けカバンをイスに置いた。


「まだ一年生でこの忙しさですからね。あー、疲れる」


「案外、三年生になる頃には体が慣れてくるんじゃない?」


「さぁ、どうだか。あっ、私、買ってきます」


「うん、行ってらっしゃい」


 ソウとは違う肩の力が抜けた会話。彼女と話していると、自分の中にあった不純物が綺麗に濾過されている気分になった。


 勉強を見てほしいと頼まれたので、彼女の勉強を見てあげる。

 進学校に通っているだけあって、当然問題のレベルも高い。今の日向にも教えられない事はないが、中々に時間を要した。一時間程で勉強を終えて彼女に「そう言えば成瀬さんはどうして新宿に? 買い物ですか?」と来た理由を聞かれた。


「いや、元々夕食を食べる約束をしてたんだ。でも向こうの都合が悪くなって、しょうがないから一日ブラブラしてたって感じかな」


 嘘は話していないけど、少しぼかした説明をする。日向の説明を聞いて、「ふーん」と彼女は聞いていた。


「もう夕食のお店はキャンセルしました?」


「そりゃしたよ。早くしないとお店にも迷惑だし」


「残念。まだ予約されたままだったら一緒に行こうと思ったのに」


「ダメだって、個室居酒屋なんだから。そんな所に高校生を連れて行けません」


「自分だって未成年でしょ?」


「俺は一緒に行く人が二十歳超えてたの」


 ホームページで見た個室に彼女といる姿を想像する。やっぱり連れてなんて行けない。「少なくともお互いに二十歳を超えてから」と日向は付け加えた。


「ちぇ、分かりました。だったら今日は一緒に夕食を食べましょう?」


「夕食? 構わないけど」


「良かった」


 日向は彼女とファミレスに行く事にした。残り少なくなっていた飲み物をそれぞれ飲み干して、二人はスターバックスから出る。


 ファミレスでは、主に聞き役となりながら彼女の話を聞いた。

 予定より違ったが、一人ではなく、誰かと食べる夕食はそれだけで充分だった。

 夕食を食べ終えた二人はファミレスを出て新宿駅に向かう。新宿駅に到着して、改札を抜ける。お互いに中央線だったのでホームも同じだ。


 ホームに上がり丁度到着していた電車に乗った。空いていたシートに座り、適当な話をして、やがて彼女が降りる駅に到着。


 降りて行った彼女に手を振ってから、日向は忘れていた土曜の感覚を思い出す。彼女と出会えて良かった。意気込んで新宿に行ったのは良いものの、おそらく一人だったらずっと重い空気を纏っていた事だろう。


 一人になった日向は、トートバッグからiPhoneを取り出す。そして同時に取り出したイヤホンを挿して耳に入れた。


 どんな時でも音楽の力は、日向を救ってくれる。シャッフル再生で流れた音楽のイントロを聴いて、彼の心は癒されていった。それからしばらく音楽に体を預けて目をつむる。ガタンゴトンと規則正しいリズムが鮮明になる。


 ぼんやりと心地良い眠気に溺れて、日向は夢と現実の境界面にいた。彼を乗せた電車は、線路を走り続けてやがて最寄り駅に到着した。

 たとえ目を閉じて音楽を聴いていても体は時間感覚を覚えていて、車内アナウンスを聞いて自然と目が覚めた。


 ゆっくりと体を起こしてホームへと降りる。ほんの僅かな時間でも眠れた事で体力が回復していた。改札を出ると吹く風が顔に当たり気持ち良かった。


 マンションまでに帰り、洗面所で手洗い・うがいを済ませるとベッドに倒れ込んだ。電車のシートとは違う優しい心地に包まれる。


 今夜は、チャットに参加するのはいいや。日向はそう思った。


 ソウはどうして退室してしまったのか。

 もしかしたら原因は自分にあるのか。

 だとしたら隠しているだけでメンバーの誰かには伝えているのではないか。

 体が楽になると、昨夜考えていた事が再び頭を流れ始める。だが、流れるだけで彼はそれらを掴もうとする気力が湧かない。


「ふぅー」


 仰向けになって天井を見ながら細い吐息を吐き出す。日向の吐き出した二酸化炭素には、ファミレスで食べた和風ハンバーグの香りがした。


 それとは別に何かモヤモヤとしたガスが残っていた。


 このガスは懐かしくてひどく嫌なものだった。

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