「第1章 灰色のフィルターがかかったような毎日」 (2)  

(2)


ビキ:『とうふさん、こんばんは。今日も早いですね〜。バイトとかしてないんですか?』


 日向の書き込みにビキが反応してくれる。ここでの彼のハンドルネームは“とうふ”と言う。

 初めてアプリを利用する際にアカウント作成の為と称して何問かの質問に答えていった。その結果、日向のハンドルネームはとうふとなった。このハンドルネームは何故か後から変更が出来ない。

 だが、覚えやすいし考える手間が省けて丁度良かったのでさしたる不便はない。


 とうふ:『バイトはしてないですねー。サークルや部活も入ってないです。講義が終わったらスーパーで適当に買い物して帰りますね』


 ビキ:『うわっ、暇そぉ〜』


 とうふ:『ぶっちゃけ暇です。部屋で掃除とか本読んだり、ネットして時間潰してます』


 面と向かって言われたら絶対に言えないけど、ここなら思った事が正直に書けた。それだけ居心地が良いのだ。


 ビキ:『とうふさんの暇が羨ましいです。私なんて朝からずっと勉強ですよ。もうシャーペン触りたくないもん。進学校なんて行かなきゃ良かった』


 ソウ:『ビキさん大変そうだ。勉強頑張ってください。辛いのはこの時期だけですよ。あっ、でもとうふさんみたいな大学生にはならないように』


 ビキ:『は〜い。私、大学に行ったらとうふさんと違って、キラキラ女子大生になる予定なんで』


 ソウとビキのやり取りに小さく笑って、日向は返信を書く。


 とうふ:『えぇー。キラキラ女子大生も良いかもですけど、ダラダラ大学生も最高ですよ。ね? ソウさん?』


 ソウ:『さぁ? 僕にはちょっと分からないなぁ』


 とうふ:『ちぇ』


 日向が参加しているチャットルームには四人のメンバーが登録されている。


 メッセージが並ぶ左側にサイドバーがあって、チャットメンバーの名前が表示されている。メンバーは四人で固定されているが名前横に(参加中)と表記されていると、現在ログインしている事となる。


 “とうふ”“ビキ”“ソウ”そしてあと一人。いつもログインしているのだがチャットを書き込んだ事がない。見ているだけの人がいる、チャット上でも話題には出るが、それでも反応がない。


 二十四時間の内、たった三時間しか使えない不自由なチャットアプリ。それでも日向にはそれで充分だった。彼にとっては大学生活こそが偽物で、ここでの会話こそが本物だと言ってもいいくらいである。


 講義が終わると寄り道をせず、マンションに帰り食事や家事を済まして、この時間に備える。アプリ中はiPhone本体が熱くなってすぐにバッテリー残量が減っていくので、アプリ使用中は充電ケーブルに挿しっぱなしにしている。


 たまにパソコンで出来たら便利なのにと思ってしまうが、アプリの仕様上、パソコンでは使えないらしい。


 ビキ:『あ、そろそろ時間ですね。いつもながら早いなぁ。とうふさん、明日も大学頑張って下さい。ぼっちだからって、サボっちゃダメですよ』


 とうふ:『分かってます。これでも一回も講義をサボった事がないんですから。ちょっと自慢なんです』


 ソウ:『出席を自慢されても……、それは当たり前では?』


 とうふ:『うっ、』


 ビキ:『そうそう。何を自慢しているんだか』


 とうふ:『分かりました。これからも当たり前を頑張ります。ビキさんも高校の勉強頑張ってください』


 ビキ:『は〜い。頑張りま〜す』


 チャット内の会話が終わりへと向かっていく。右上のタイマーは残り五分を切っていた。メンバーは皆、会話を楽しみながらも残り時間を計算して、それまでの話題に区切りを付けられる。


 その関係性が日向にとっては、とても心地良い。


 タイマーは残り一分を切った。


 ソウ:『さて、そろそろ時間ですね。今夜も楽しい話をありがとうございまいました。また来れる方は明日、お話しましょう。おやすみなさい』


 とうふ:『はい、お話しましょう。おやすみなさい。』


 ビキ:『おやすみなさーい』


 サイドバーにあるソウから参加中の文字が消える。そしてビキも。残りの一人もいつの間にかいなくなっていた。


 全員がログアウトをしたのを見て、日向もログアウトする。


 ログインした時と同じ白いドアが、今度はゆっくりと閉じる動作が行われて、アプリが起動画面に戻る。そこにログインボタンはない。


「……ふぅ」


 自分以外、誰もいないワンルームでため息を吐いて、ホーム画面を見つめる。時刻は二時一分。日向は、大学入学時にデスクと合わせて買ったイスから立ち上がり、ベッドへと向かう。


 寝支度は既に整えていて、あとは日向本人が眠るだけだった。冷蔵庫を開けて、500mlのペットボトルの水を取り出し一口。一言も声は発していないのに渇いた喉に冷水が走り、体内に浸透する。


 喉を潤してからベッドまで行き、そのまま仰向けに倒れ込む。


 一日分のコミュニケーションをアプリで終わらせると、時間が圧縮されているからか、日向の頭はどっと疲れが出る。モゾモゾと体を動かして掛け布団に体を入れて、iPhoneのアラームをセットする。


 明日は講義が二限目から。

 高校に比べたら全然早くないけど、ちゃんと眠っておかないと体が保たない。


 いつもの時間にアラームをセットし終えると、日向は早々に眠りについた。

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