「第1章 灰色のフィルターがかかったような毎日」 (6-1)

(6-1)


 翌日、日曜日。


 アラームをセットしていないのに日向は八時に目を覚ました。遮光カーテンの隙間から漏れる太陽光が部屋をぼんやりと照らしていた。


 枕元に置いていたiPhoneを手繰り寄せて時間を確認する。日曜日にしては早いせいで、どことなく損をした気分になる。

 今ならまだ夢の中に再び入れそうな気はしたが、iPhoneを弄り興味のないニュースを目で見て追いかける。

 そうしている内に目は完全に覚めてしまい、二度寝のタイミングを逃してしまった。


 昨日は寝るのも遅くなかったし。もう起きるか。


 日向はゆっくりと体を起こす。そのまま掛け布団から体を出すと僅かに残っていた眠気は消えた。


「んん〜」


 消えた眠気を名残惜しむように口から声を出して日向はベッドから立ち上がり洗面所へ。顔を洗い歯ブラシを済ませた。朝食を用意しようと冷蔵庫を開けた時、ベッドに放置していたiPhoneが振動した。


 日向はiPhoneを取り、誰からの連絡か確かめる。届いたのはDMだった。


 ホワイトカプセル・サテライトを開いて、届いたDMを確認する。相手は当然のようにソウからだった。


 ソウ:『おはよう、とうふ君。あの後、ちゃんと寝ていたらこのDMも読めているかな?』


 早朝からソウからDMが来た事が嬉しくて、ちゃんと早起きが出来ている事を証明する為に日向は、即返事を書いた。


 とうふ:『ソウさん、おはようございます。起きてますよ、ちょっと前に起きました』


 返信をすぐに書いて少し経つと“✔️”が付いた。ソウに届いたのだ。それに安心して日向は、ケトルに水を入れて沸かす。


 ペーパードリップのコーヒーを用意している間にiPhoneがまた振動する。早く見たい気持ちを抑えつつ、マグカップをデスクへ運ぶ。イスに座った日向は、すぐにDMを確認した。


 ソウ:『良かった。無理に夜更かしもするなとは言えないけど、早起きは三文の徳って言うもんね』


 とうふ:『はい。そうですよね、今朝はいつもより頭がスッキリしてる気がします』


 ソウ:『それは良かった。じゃあ、良い一日を』


 とうふ:『はい。ソウさんも就活頑張って下さい』


 ソウ:『うん、ありがとう。とうふ君も大学生活頑張って』


 そう言って、朝からソウとのDMが終わった。昨日、彼女と直に会って、話をして一つ分かった事がある。それは彼女が今、就活で大変だという事だ。


 大学生の最終目標と言ってもいい就活。それをソウは頑張っている。まだ、一年生の日向にはどれだけ大変なのか。想像上のものでしかないけど、土曜日だって忙しいに違いない。


 そんなソウが自分と会う時間を作ってくれた。更に悩みを聞いてくれて、頑張れと応援までしてくれている。自分は彼女に何も返せていない。口だけの頑張れを送るのが精一杯だ。


「……バカ」


 胸に溜まった気持ちが口から漏れ出た。頑張れと言われているのだ。もうあとやる事は一つしかない。

 日向はこれまでの人生で誰かに応援されても大した力が出ないのを知っている。


 だけど、他ならぬソウに言われたら――。


 その日から日向は、頑張る事に決めた。


 月曜日。


 日向は、普段と変わらず大学へ向かう。その日最初の講義は大講義室の講義だった。開始、十五分前に室内を覗くと、中には大勢の生徒がいた。


 彼らがそれぞれに話しているのはイヤホン越しでも聞こえてくる。これでイヤホンを取ったら、更に聞こえてくるのだろう。普段の日向なら、講義ギリギリまでイヤホンを外さない。


 しかし、今日の日向は違う。


 講義室に入る前にイヤホンを耳から外した。その瞬間、両耳が軽くなり世界の音がクリアに聞こえてくる。想像していたよりもそれは大きい。

 考えたら授業中以外は基本的にイヤホンをしていたから、始まる前の周囲の声を知らなかった。


 ガヤガヤとした講義室で日向は、いつものように席へと向かう。前方の列に向かうのはしょうがない。後列で変に目立つ事は、まだ彼には出来なかった。


 いきなり大きく一歩を踏む事は出来ない。


 自分に可能な範囲でまずは小さな一歩から。自らにそう言い聞かせて、日向は足を進める。すると、中列辺りで生徒の集団の声が聞こえた。


「前々回の講義のレジュメ、貰ってなかったわぁ。どうしよー、二人とも持っていない?」


「いや、持ってないって。あの日、俺バイトだったから」


「同じく。その日は風邪で休んでた」


「あー、どうすっかな。テスト前に誰かに声かけてみるか」


「それしかなくね?」


 声の方向を一瞥すると、三人組の男子大学生のようだった。名前は知らないが顔は知っている。確か、入学してからすぐのオリエンテーションで彼らの顔を見ている。となると、同じ一年生。話し掛け辛いような怖い雰囲気もない。


 可能な範囲でまずは一歩から。


 先程、思った方針を頭に浮かべて、日向は足を止める。そして、体をグイッと横に向けて、彼らに向かって声を飛ばした。


「あっ、あの! 前々回のレジュメ。俺、持ってるけど……」


 勇気の出力調整を誤ったせいで、思ったよりも大きい声が出てしまったがその分、彼らにもしっかり届いたようだった。


 三人の内の一人、茶髪でパーマの男性が「えっ、」と小さい声を上げる。


「マジ? 講義終わりにコピーしてもいい?」


「いいよ」


 頷きながら了承する日向。彼が了承した事で黒縁メガネを掛けた短髪の男性と七三分けの二人も反応を示す。


「助かるわー、ありがとう」


「あ、良かったら講義一緒に受けようぜ。座って座って」


 黒縁メガネの彼に言われた座ってという何気ない一言。その一言に日向は動かされた。なんだ、自分が少し動けばこんなに簡単な事だったのか。


「ありがとう」


 それらを含めて礼を言って、日向は彼らの隣に座った。

 その出来事をきっかけに日向は変わり始めた。彼らに受け入れられて講義以外の時間も話すようになっていく。


 自分が彼らを知っていたのと同じく、彼らもこちらを知っていたとの事。

 いつも前方の席に座っていたから、てっきり一人でいるのが好きなのかと思っていたと言われた時は、恥ずかしかった。


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