「第1章 灰色のフィルターがかかったような毎日」 (3-2)
(3-2)
一先ず変な使い方をしたのではないと知り、ホッとする。何か余計な事をして、運営から警告でも届いたのかと思ったのだ。
一日に送受信出来るメッセージ数に限りがあるが、ログイン時間以外にもチャットメンバーにメッセージを送れるダイレクトメッセージ機能。通称DM。
おそらく他のチャットルームのメンバーは簡単なやり取り(今日はチャットの参加の有無等)で日頃からDMを使っているのだろう。
日向の所属しているチャットルームは、翌日に予定があって参加出来ないと分かっていたら前日に話すし、当日に参加出来なくなった場合には、翌日に説明する。
その良い意味で曖昧な形も魅了だった。
よって、この機能に特に必要性を感じていない。
一体、誰が送って来たのだろう?
おそるおそるポップアップをタップする。するとiPhoneのショートメッセージに似たレイアウトが表示されてチャットメンバーの名前が表示されていた。
ダイレクトメッセージは一対一でしか出来ないので、名前毎に分けられているようだ。
二人だけのチャット画面。差出人は、ソウからだった。
ソウ:『今日はちゃんと大学で話せた?』
えっ、これだけ?
とても簡単な一言。昨日のやり取りの延長線上にあるメッセージ。
こんな事、わざわざDMを使って送る内容じゃないのにわざわざ送ってきてくれたのか。
日向はそれまでの緊張が解けて拍子抜けしてしまう。そして届いたDMに返信を書いた。
とうふ:『今日は大学からの帰り道にあるスーパーで、ポイントカードの有無を聞かれました』
日向がメッセージを送ると、チャットと同じく文章横に“✔️”が付いた。どうやらソウもリアルタイムでDMを開いているらしい。
ソウ:『それだけしか話してないの? 講義とかでは?』
とうふ:『今日はグループワークもないし。用意されてるレジュメを取って、講義を受けるだけですから。楽が出来るんです』
ソウ:『それって楽かなぁ。でもそっか、本当に一人なんだ』
とうふ:『本当ですよ。嘘をついてまで話題提供なんてしませんって』
ソウ:『いや、とうふ君ならもしかしたら……』
とうふ:『ちょっとー!』
書きながら思わず笑ってしまう。二人だけなのに広がっているのは、いつものチャットだ。まだ二十三時じゃない。それなのにこうして、ソウとやり取りが出来ている。問題を解く前に答えを見てしまったような、或いは誰にも気付かれていない悪戯をしているような、そんな気持ちになって、日向の中で高揚感が生まれていた。
DMの回数制限の問題もある。無駄撃ちは出来ない。そう思った日向はそもそもの疑問を投げかける。
とうふ:『えっと、それでどうしてDMを送って来たんですか? まさか、俺の大学の話が聞きたいからって事はないですよね?』
日向が送るとそれまですぐに届いていたソウの返事がピタリと止まった。“✔︎”は付いているので読んでいるのは確実だった。テンポ良く続いていたやり取りが中断されて、日向は次第に焦り出す。
『すいません、変な事を聞いて――』と追加のメッセージを書いている時、ソウから返事が届いた。
ソウ:『皆とのチャットでは軽く話してたけど、いつもとうふ君が大学生活を楽しくないって言ってたから、心配してたんだ。もし冗談で言っていたならDMで聞いたら否定してくれるかも知れないって思ったから。ごめんね』
送られたメッセージを読んで、日向は書いていたメッセージを全部消して新たな文章を書く。
とうふ:『心配してくれてありがとうございます。確かに大学生活は楽しくないけど、どうにか通えています。安心して下さい』
ソウ:『そっか。通えてるのなら安心した。僕で良かったら相談に乗るから。今日はこっちから送ったけど、いつでもDMを送ってくれていい』
とうふ:『ありがとうございます』
ソウ:『うん。じゃあ、また二十三時に』
ソウとのDMが終わった。時間を確認するとDMを始めてから三十分も経過していない。日向の体感では三十分は確実に超えていた。
DMが終わってからはまた、いつもの時間が戻って来た。
日向は昨日と変わらない時間を過ごして、二十三時に備えた。時間になって若干いつもと違う緊張がありつつもアプリにログインする。
日向の緊張を余所にチャットはいつもと同じように進む。ソウとDMをしていたのが嘘みたいだった。
誰かの適当な話題に乗って会話が続く。観ている今期のアニメやドラマ。今読んでる小説の等の話題で盛り上がった。来週金曜日から公開の映画が楽しみであるという話で盛り上がっていると、終わりの時間が近付いていた。
ビキ:『あ、もう二時になっちゃう』
ソウ:『本当だ。タイマーがもう五分を切ってる』
とうふ『気付かなかったです。早いなぁ』
時間の進み具合に三人とも気付かなかったふりの書き込みをした。
ソウ:『ここのチャットは、時間があっという間に感じるなぁ』
ビキ:『私もです。授業中もこれぐらいの体感スピードで進んでくれると助かるんだけどな〜』
ビキがソウの書き込みに同意する。日向も同じ気持ちだった。このチャットはいつもすぐに終わってしまう。一晩中、チャットしたい訳じゃないけど、せめてもう少し出来る時間を延ばしてほしいなと思ってしまう。
ビキ:『あーあ。授業中とかもチャット出来たらいいのに』
とうふ:『それは流石に難しくないですか? 先生が大変そうだ』
ビキ『そこ〜? とうふさん、真面目だなぁ』
とうふ:『ええっ、だってそうじゃないですか? ねえ? ソウさん?』
ソウ:『まあ、そうと言えばそうだけど。きっとビキさんの言いたい事は違うと思うよ』
ビキ:『流石、ソウさん。よく分かってる!』
とうふ:『ちぇ』
こんな話をしている間にリミットは確実に迫って来る。時間が来てしまうと、どれだけ話が盛り上がっていてもアプリはお構いなしだ。
三人はチャットルームの会話はいつも時間内で終わるように調整している。決して途中で切れて不完全燃焼にならないようにしていた。誰が言い始めた訳でもないのに不文律として、成立していた。
ソウ:『さて、そろそろ時間ですね。皆さん、今日も楽しい時間をありがとうございました。おやすみなさい』
ビキ:『はーい。私も寝よっと。おやすみなさい』
とうふ:『おやすみなさい』
各々が挨拶を済ませて、次々にログアウトをする。三人全員がログアウトをしたのを確認してから、日向もログアウトをした。
ログアウトをして、iPhoneを下ろして「ふぅ」と息を吐く。
今日も昨日と変わらずいつもと同じチャットだった。日向は立ち上がり、洗面所へ向かう。火照った体を冷ますように手を洗った。タオルで濡れた手を拭いて、鏡に映る自分と目が合った。
あのDMは純粋に自分を心配したもので、それ以上の意味はない。鏡に映る自分に向かってそう言った。今日のチャットだっていつもと変わりなかった。
今の日向にとって、ホワイトカプセル・サテライトは何よりも大切な場所。だからいつもと違う事が起こってもそれが=ダメという訳じゃない。
これくらいの事なら、気にすることはない。昨日までと変わらない日々を続けて行ける。
大丈夫だ。彼は変化の予感に蓋をして、そう結論付けた。
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