「第1章 灰色のフィルターがかかったような毎日」 (4-2)
(4-2)
土曜日。
十一時。日向は待ち合わせ場所の新宿西口のスターバックスへと向かっていた。まずはコーヒーでも飲みながら話をしようという事になったので、スターバックスで待ち合わせになったのだ。
DMを交わしていく内に二人ともスターバックスが好きという共通点があったので、待ち合わせ場所にもピッタリだった。
新宿駅で降りて人の流れに沿って、待ち合わせ場所へ足を動かす。西新宿のスターバックスには何回か行った事がある。新宿には何店舗あるか分からないくらいスターバックスがあるので、知らない店舗を言われたらどうしようかと不安だったが、決まったのはよく知る店舗だった。
信号待ちで日向の足が止まる。
中央線で新宿に向かっている最中、ソウから『先に着きました。本を読みながら待っているので慌てずにきてね』とDMが届いた。
もうあと数分でソウと会う。そのDMを読んで日向の緊張は最高潮に達する。チャットやDM等のテキストでしか話していない彼がいる。一体、どんな人物なのだろうか。
口ぶりや一人称から男性なのは分かる。歳上なのも本人から聞いている。何歳上かまでは分からない。大学生で就活、普通に考えたら二十二歳?
疑問は次々に膨らんでくる。怖い容姿をしていたらどうしよう。
考えたくはないけれど、詐欺の可能性だってある。人目があるスターバックスで詐欺なんてされないとは思うけれど、可能性はゼロではない。危ない状況になったら一目散に逃げなければ。最悪の展開まで日向は予想する。
信号が青になった。前を歩く人につられて日向の足も前進する。出来るだけ足の速度をゆっくりにして(でも不自然ではないくらい)スターバックスへ。
店舗が目に入ると、日向は立ち止まりイヤホンを耳から外して綺麗に畳みトートバッグに入れた。途端に土曜日の新宿が耳に入ってくる。
「ふぅ」
それらを全て吐息に変えて、日向はスターバックスの重たいガラス製のドアをそっと開けた。土曜日の新宿らしく、店内は賑やかで、カウンターやその奥にあるテーブル席も客で埋まっていた。
ソウとはiPhoneに月をモチーフにしたストラップを付けて目印にして待ち合わせをしている。日向は、今日の為に駅前の雑貨屋で白い月のストラップを購入していた。白がベースのストラップで先端に小さな月が付いている。
それは茶色のiPhoneケースによく似合っていた。
日向が茶色のケース。そしてソウが黒のケースである。約束では先に到着した方が相手に分かるように置いておくという事になっていた。
日向は店内へ足を進めながら、テーブルやカウンターに置かれている物を注意深く確認していく。本、ノートパソコン、新聞、勉強道具。
様々な物が置かれている店内でテーブル中央に黒のレザーケースのiPhoneが置かれていた。黒のレザーのiPhoneケースに小さな三日月のストラップが付いている。金色のストラップがよく似合っていて、上品さがあった。
目印のiPhoneを見つけて日向の足がピタリと止まる。視線はずっとテーブルに向けていたのでまだ上げていない。そっと目線を上げた。
日向の視線の先にいたのは、文庫本を読んでいる女性だった。
セミロングの茶髪の女性は文庫本を読んでいて、こちらの視線に気付いていない。下を向いている彼女の表情は大人っぽく、落ち着いた雰囲気がある。これまでの日向の人生で関わってこなかったタイプの人間だった。
ソウは男だったはず……。
勘違いかも知れない。咄嗟に他を確認するが、該当するiPhoneを置いていたのはこのテーブルだけだった。
とにかく彼女がソウなのか確かめないと……。
日向が一歩、足を踏み出して確認しようとした、まさにその時だった。目の前の彼女がパタンっと文庫本を閉じた。騒がしい店内でその音は、不思議なくらい自然に彼の耳に届いた。文庫本を閉じた彼女は視線を上げる。
日向は反射的にiPhoneを取り出してケースに付けている白い月のストラップを見せた。その動作に彼女は、瞳を少し大きくして口を開く。
「とうふ君?」
チャットではない現実で、とうふと呼ばれた事に違和感を覚えつつも日向は静かに頷く。そして今度は彼から尋ねた。
「ソウさん、ですか?」
日向の問いに彼女は、コクンと頷いた。
「良かった、会えた。ほら、座って座って」
彼女は日向の対面に座るように促す。言われるがまま、日向はイスに腰を下ろした。
「いや〜、会えて良かった。先に着いたってDMを送ってから返事がなかったから、もし会えなかったらどうしようかと思ったよ」
「すいません。すぐに返事しなくて……」
DMが届いてから緊張が勝ってしまい、返信を忘れてしまった。指摘されて日向が謝罪する。彼が謝ると彼女は首を左右に振った。
「大丈夫大丈夫。“✔️”は付いてたし、読んでくれてるのは分かったから。時間も遅れてない。うん、平気」
「良かった、です」
彼女の言葉を聞いてそう返す。チャットやDMでは、いくらでも話題は出てくるのに止まってしまう。黙っていると彼女が首を傾げた。
「あれ? どうかした?」
「あっ、いや……」
女性だった驚きが日向の中では完璧に消化出来ていなかった。ただでさえ緊張しているのにより悪化してしまう。彼の沈黙に不思議がっていた彼女だったが、何かに気付いたように「あっ」と声を上げた。
「そっか。まだ注文していなかったね。私が座らせちゃったのか、ごめん」
「いえ、全然。取り敢えず注文してきますね」
「うん、行ってらっしゃい」
日向は立ち上がってレジへと向かう。レジ前には三組の客が列を作っており、彼は四番目となった。
左を向けば彼女がいる。それもあって、日向は安易に左側を向けなかった。自分の番が来るまで意味もなくiPhoneを取り出し、Safariを開いてネットを見ていた。
日向の番になって緑のエプロンをした店員に呼ばれる。彼はホットのドリップコーヒーを注文した。ドリップコーヒーはランプの下で待たなくてもレジで受け取れる。加えて味も美味しくて日向は気に入っていた。
コーヒーを受け取り、再び席へ戻る。彼女はiPhoneを操作していたけど、近付いて来たこちらに手を止めて顔を上げた。
「お待たせしました」
「おかえり。何したの?」
「あ、ドリップコーヒーを」
「ああ、好きだっていつも言ってたもんね。私はカフェミスト。あとシナモンも振って、風味付けしてるの。ほらっ、」
彼女が自身のカップの蓋を開ける。覗き込んだ日向の鼻にミルクの泡に乗ったシナモンが甘い香りを放って立ち上る。ここにきて、初めて落ち着いた瞬間だった。
「ソウさん、好きだってチャットで言ってましたね」
「うん、オススメだよ」
会話がまた終わりかけてしまう。途切れそうになる会話の糸を手繰り寄せて、日向は「そう言えば、」と会話を続けた。
「ソウさん、女性だったんですね。ずっと男性だと思ってました」
「あー、ごめんね。別にとうふ君を騙すつもりがあった訳じゃないの」
「何か理由があるんですか?」
日向が尋ねると彼女が答え辛そうに「うーん」と唸ってから説明を始めた。
「やっぱりさ、ネットで自分の性別をそのまま話すのは、危険だと思ったから。実際に何かされた事はないんだけど、自衛策だと思ってくれれば」
「なるほど」
男性の日向にはソウの説明で理解出来た。
「けど正直、とっくにバレてると思ってた」
ソウは小さく笑ってカフェミストに口を付ける。日向もドリップコーヒーに口を付けた。二人してコーヒー一口分の休憩を挟んでから、彼から口を開く。
「俺は気付きませんでした。会うまでずっと優しいお兄さんっていうイメージが強かったです」
「そうなんだ、ありがとう。じゃあビックリさせちゃったね」
「そりゃもう驚きました。テーブルに置かれたiPhoneを見て固まっちゃいましたから」
日向が話す素直な感想にソウが小さく笑った。彼女の笑い声を聞いて、彼の中ではまた一つの変な可能性が生まれた。
「……一応、確認なんですが、ソウさんが女性だと知らなかったのって、俺だけですか?」
日向にとってメンバーの性別なんて取るに足らない事だが、自分しか知らなかったかは気になってしまう。
「う〜ん。どうだろう? 私は自分から話してないから。他の皆が気付けばってところかな。今のところ、誰にもバレてないと思うよ」
「はい」
ソウ本人がバレていないと話すならそれが真実なのだろう。
「でもそうなってくると、よく俺とオフで会おうって気になりましたね。会ったら嫌でもバレちゃうのに」
「あっ、そうだね……、ダメだった?」
聞かれたその一瞬だけ動揺を見せたソウ。しかし、すぐに余裕のある顔になり、聞き返してくる。聞かれた日向は慌てて首を左右に振った。
「い、いえ。全然」
「そう、良かった」
いつものチャットのように日向の言葉をいとも簡単に受け流されてしまう。
そう考えているとソウが思い出したように突然、「あっ、」と手を叩いて声を上げた。
「そう言えば私、ずっと敬語じゃないけど平気? チャットと同じ感じなってるけど」
「全然平気です。むしろそっち方が安心します。歳上の女性に敬語で話されると、どうしても緊張しちゃいます」
「そうなんだ。じゃあ、当分このままで。とうふ君も慣れたら敬語じゃなくてもいいからね。私は気にしないから」
ソウが気軽に提案してくる。だが日向には、いつまで経っても気軽に話せそうにない。ゆっくりと彼は首を左右に振った。
「いや、ちょっとそれは難しいです」
「なら、もし出来そうになったらで」
「はい。ありがとうございます」
日向の意思を尊重してくれた上で、優しく頷いた。
「あ、あとさ。目印、ストラップにして正解だったね」
「そうですね。最近はストラップを付ける人がいないから、逆に目立って助かりました」
日向がそう答えると、ソウが小さく笑う。
「確かにそうかも。でも、皆がストラップを付けていても、とうふ君のストラップはすぐに分かったよ。直球だったから満月で」
「あははっ……。とにかく目印にならないとって思ったんです。ソウさんのストラップみたいにオシャレな三日月は頭にありませんでした」
「うん、ありがとう」
日向の言葉を聞いて、ソウは小さく笑って礼を言った。
それから二人は様々な話をした。
ホワイトカプセル・サテライトを知った経緯を始めとして、回数制限があるDMや皆が書いているチャットルームでは聞かないような事を話した。偶然、App Storeを眺めていた時に偶然アプリを発見した事。最初は合わないと思ったらすぐにアカウントを削除しようと思っていた事など、概ね日向と似たような事を考えていた。
面と向かってだと会話にラグがない。聞いた事をすぐに答えてくれるし、逆にすぐに答える事になる。その速度がとても話しやすい。大学ではこんなに人と話さない。その為、使わなかった口の周りの筋肉が刺激されて途中から若干痛み始めた。無論、嫌ではない。
カップの中身が残り四分の一まで減った頃、ソウが「さて」と言って話に区切りを付けた。
「お互い、飲み物も良い感じになくなってきたはずだし、そろそろお店を出よう?」
「あ、そうですね」
日向が同意すると彼女はカップの残りを全て飲み干した。彼も同じように残りを飲み干す。ドリップコーヒーは冷えて苦くなっており、飲み終わっても喉元にその残滓があった。
「飲み終わった?」
「はい」
「それじゃ行きますか」
その場で両手を上げて伸びをしてから、ソウは立ち上がる。一緒に日向も立ち上がった。
「あ、カップ捨ててきますよ」
「いいの? ありがとう」
ソウから空のカップを受け取り。二人して席から離れた。見回すと店内は、来た時よりも混雑していた。
「人、凄いな。先に外で待ってるね」
「はい」
ソウは人の間を抜けて店のドアを開けて、外に出た。日向は二つのカップを処分してから、店のドアを開けた。出る前に座っていた席に視線を向けると、カップルが荷物を置いて、もう場所取りをしていた。
日向がスターバックスから出るとソウはiPhoneを操作していた。iPhoneに付けられたストラップがゆらゆらと揺れている。
「お待たせしました」
日向の声に反応してソウがiPhoneの操作を止めた。
「うん。それじゃ行こっか」
「iPhone大丈夫ですか? 何か用事があるなら待ちますよ」
「ううん大丈夫。ちょっとメールしてただけだから」
「そうですか」
「うん。もう済んだし」
一瞬、変わりかけた空気を修正する為の僅かに明るくした声でソウが答えた。彼女が済んだと言う以上は、日向からは何も言えない。
「どうする? さっき話してたヨドバシに行く? 隣だし」
スターバックスで新宿について話していたら、話題に出たのがヨドバシカメラ。この辺にはヨドバシカメラ目的でよく訪れるが、最近は中々来れていないと話したのだ。彼女はヨドバシカメラにそこまでの興味はないはずだ。盛り上がってつい、話してしまったが、会話の反応からそんな気がしていた。
申し訳なく感じて、日向は首を左右に振った。
「ヨドバシはいつでも行けますから。それより本屋に行きませんか?」
「えっ、いいの?」
「いいんです。俺一人が楽しくてもしょうがないでしょ? せっかくなんだからソウさんも楽しめないと」
日向の提案にソウは、小さく微笑んだ。
「ありがとう。じゃあ本屋に行こうか」
「はい」
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