「第1章 灰色のフィルターがかかったような毎日」 (4-3)

 二人は新宿東口の紀伊国屋書店へ行く事に決まった。距離としては、今いる場所から歩いて十五分程度。西と東で反対側だが、よく行く書店なので道に迷わなかった。


 日向は油断するとソウを置いて1人で行きそうになるので彼女の歩幅に合わせて、車道側を歩いた。


 何本か横断歩道を渡り紀伊国屋書店へやって来た。

 早速店内に入り二階の文庫本コーナーへ。


二階に着くと、平積みになっている新刊コーナーへ吸い寄せられるようにソウは駆け寄った。日向も続く。


「あった」


 ソウは平積みにされている文庫本の中から本を一冊手に取った。


「それが欲しかった本ですか?」


「うん。ずっと追っている作家さんなんだ。新刊がこの間、発売されて買おうと思ってたけど。中々、買いに来れなくて。やっぱり手に取って選びたいし」


「良かったです。今日来れて」


 きっと就活で忙しいソウは、書店で文庫本を購入する時間がなかったのだろう。喜んでくれる彼女の姿を見て、紀伊国屋書店に来て良かったと安堵する。


「とうふ君は何か買うの?」


「あー、うん。どうしようかな?」


 日向は今、読み途中の文庫本があり、また次に読む予定の本も購入済。購入予定がなかった彼が上手く返せずに戸惑っていると、それを察したソウが口を開く。


「買う本が決まってないなら、私がオススメしてあげようか?」


「本当ですか?」


「うん。せっかく本屋に来たんだから。紹介させてよ」


「ええ。是非」


 チャットやDMでよく本の話はしている。ソウの小説の趣味は大体把握しているつもりだった。サラッと読めるタイプよりも重厚で秀逸な伏線があり、読後感がある作品を好む傾向にある。


 日向はその時に合わせて、読むのでどちらでも対応が出来る。ソウが薦めてくれる作品が楽しみだった。


「えっとね、こっち」


 自分が購入予定の文庫本を手に持ち日向を誘う。もう場所は分かっているらしく、ソウは彼を連れて出版社の棚へ。そこに並んでいる作家の内、一冊の文庫本を抜き取った。並べられた文庫本をスッと抜き取る動作が綺麗だった。


「この本、読んだ事ある?」


 ソウに言われて日向は文庫本を手に取る。この作家の本は何作か読んだ事があるが、これはまだ未読だった。


「ないですね。一応、この作家さんの他の本は何作か読んだ事はありますけど」


「良かった。他のを読んだ事あるなら、読みやすいと思う。初期頃の作品だけど、読みやすいからお薦めだよ」


 読み跡が付かないように力を入れずパラパラとページを捲る。書かれている文体は決して嫌な感じはしなかった。


 裏表紙に書かれているあらすじに目を通す。


 右手を振って、奇跡を起こせるおまじないを思い出した高校生の主人公が、それを使ってクラスメイトを救う内容だった。


「面白そう、買います」


 日向が購入を決めるとソウは笑顔で喜んでくれた。


「やった。好きな作品だから読み終わったら、感想聞かせてね」


「はい。DMします」


 二人はそれぞれの文庫本を購入して、店を出た。紀伊国屋書店の入口横で腕時計の時間を確認する。時刻は十三時を過ぎていた。

 通常であれば昼食のピークを過ぎている時間帯だが、土曜日の新宿には通じない。


 日向がそう考えていると隣でソウが「ねえ?」と声を掛けてきた。


「とうふ君、お腹空いてる?」


「ええ、空いています。どこかに食べに行きましょうか」


 丁度、考えている事が彼女と一致する。

 今日は昼食を食べるか、完全にDMでは決めていなかった。


 あくまで直接会うのがメインだったからだ。時間帯的に昼食の時間に差し掛かるので、日向は雰囲気に任せるつもりでいた。


 スターバックスで会って話して、それ程の印象じゃなかったら、そこで解散も充分にあり得た。紀伊國屋書店での買い物にまで発展したのは、そうじゃないからだ。

 そしてそれは、ソウも同じ。でないとお腹空いたかなんて聞いてこない。


「とうふ君は何か食べたい物とかある?」


「うーん。基本的に何でも良いですけど、あんまりガッツリしたのは遠慮したいです」


「賛成。ではとんこつラーメンは回避の方向で」


「はい」


「となると――、」


 ソウが腕を組んで唸っている。色々と頭の中でお店を検索しているようだった。話していた感じ彼女は新宿に詳しそうだった。下手に日向が横槍を入れるより、検索結果を待った方が良い気がする。


 やがて「よし、」とソウは腕を解いた。どうやら結果が出たらしい。彼女はiPhoneを取り出して画面を日向へ見せる。


「この喫茶店。私もまだ行った事ないんだけど、ずっと行きたかったの。スターバックスみたいにチェーンじゃなくて個人店なんだ。軽食があるみたいだからそこに行かない?」


 見せてくれたiPhoneのディスプレイを見ると、そこには昔ながらの喫茶店の雰囲気が映っていた。行きたい、すぐにそう思った。


「行きたいです」


「よし、決定」


 こうして昼食の行き先が決定した。少し歩くようだが、それも期待値が上がっていく事を考えれば問題なかった。

 予め場所を知っていた紀伊国屋書店とは違って、ソウしか店の場所を知らないので彼女に着いて行く事になった。


 沢山の人が歩いている土曜の新宿を二人で歩く。目に入った看板のお店を話題にしたりしながら進んでいった。幾つかの横断歩道を渡り、交差点を曲がった先にあったのは、レンガ造りの喫茶店だった。


 丁度、二人の前を歩いていた男性がお店に入って行った。


「あったあった」


 無事、目的地に辿り着けてソウが喜ぶ。それを見て、日向も微笑んだ。

 新宿の繁華街から外れて、小さな公園やドコモタワーが見える静かな雰囲気がする住宅街。その一角にその喫茶店はあった。


 店名は「グリーンドア」由来はそのまんまドアが緑色だからに違いない。赤い窓枠から見える店内には、それ程客はいなかった。


「入ろうか」


「はい」


 日向が同意すると、ソウは頷いてそっと緑色のドアを開けた。


 カランコロン。


 緑色のドア上部に取り付けられたカウベルが優しい音を鳴らす。穏やかな暖色系のライトが照らす店内。皮張りの茶色のソファ席や背もたれが付いたカウンター席が並んでいた。


 店内の入口で二人して立っていると、テーブルを拭いていた女性店員がこちらに気付いて駆け寄って来る。


「いらっしゃいませ〜」


 黒いスラックスに白いワイシャツ。その上から青いエプロンを着ている女性。茶色のスクエア型の眼鏡を掛けていた。


「あ、二人です」


「はい。お好きな席にどうぞ〜」


 ソウよりも四、五歳ぐらい上の印象だった。好きな席に座っていいとの事なので、せっかくだからと赤い窓枠のあるソファ席へ座った。店内に奥にあるこの席は、間違いなくこの店の特等席だ。


「ふぅ」


 ソファに座って荷物を置くと、向かい側に座ったソウが短く息を吐いた。


「お店に無事に着けて良かった。迷ったらどうしようって緊張してたんだ」


「大丈夫ですよ。ソウさん、地図とか強そうな印象があります」


「そんな事ないよ? 結構、方向音痴だったりするから。まあ、それを自覚してるだけマシかも知れないけどね」


「確かに。自覚があるなら対処が出来ますしね。ナビとかで」


「そうそう」


 ソウにも不得意があるのを知って日向は意外だった。結構、平気な感じで歩いていた印象だったのに裏ではそんな気持ちがあったのは知らなかった。彼がそんな風に考えていると、先程の店員がトレーにお冷を乗せてやって来た。


「失礼致します」


 慣れた手つきでお冷とお手拭きを並べていく。


「ご注文はお決まりですか?」


 彼女に聞かれて二人は何も考えていなかった事を思い出す。


「ごめんなさい。まだ決まってなくて決まったら呼びますね」


「かしこまりました。それではごゆっくり」


 そう言って店員は離れて行く。日向は立て掛けられていたメニューに手を伸ばす。そして二人で見えるようにして広げた。


「どうしよっかな? とうふ君は結構食べられる?」


「はい。結構空いてます」


「そっか。私はそこそこ」


 フードメニューのページを開く。サンドイッチからハヤシライスまで数多くの品目があった。日向の予想よりも多く、写真付きで紹介されている料理に胃が刺激される。


「うーん。クラブハウスサンドにしようかな」


「良いですね。俺はえっと、このオムライスが美味しそう」


 ケチャップではなくデミグラスソースがかかってるオムライスの写真を見ながら、日向は答える。


「良いじゃん。美味しそう。セットにするよね? 飲み物はどうする?」


「えっと、アイスティーで」


「オッケー。私は、ブレンドコーヒーにしよっと」


 お互いに食べたい物が決まり、ソウはそっと手を挙げた。それに反応して店員がこちらへやって来る。


「お決まりですか?」


「はい。ランチのセットで。オムライスとアイスティー、クラブハウスサンドとブレンドコーヒーでお願いします」


 ソウの注文を慣れた手つきで伝票に書いていく店員。


「オムライスとアイスティー。それとクラブハウスサンドとブレンドコーヒーのセットですね。かしこまりました」


 注文を確認してペコリと頭を下げた店員は、そのままカウンターへと帰って行った。カウンターには大きなコーヒーマシンは置かれているが、調理器具はない。

 料理はどうやら奥で作られているようだった。


 注文した物が届くまで二人は雑談をして時間を潰す。そうしてしばらくすると、店員がトレーに料理を乗せてやって来た。


「お待たせ致しました。まずお先にオムライスとアイスティーのお客様」


「あ、はい」


 日向が手を挙げると、彼の前にテキパキと料理が並べられる。写真では伝わらなかったデミグラスソースの香りが鼻腔をくすぐる。


「クラブハウスサンドとブレンドコーヒーのセットもすぐにお持ちしますね」


「はーい」


 一度にトレーに乗り切らなかったようで店員は一度、奥に引っ込んで再度乗せてやって来た。


 ソウの前にクラブハウスサンドとブレンドコーヒーを並べる。


「「いただきます」」


 手を合わせて注文した物を口に運んだ。半熟で丁度良いふわふわのオムライスとデミグラスソース。そして、チキンライスが口内に広がった。


「美味しい」


 日向は味の感想を口にする。


「本当? あ、本当だ。美味しそう」


 スプーンですくった箇所から覗いたオムライスの割れ目を見て、ソウが微笑んだ。


「これならすぐに食べれちゃいます。ソウさんのクラブハウスサンドはどうですか?」


「美味しいよ〜。パストラミビーフが良い感じ。マスタードも効いてて食欲をそそる」


「そりゃ美味しそうだ」


 互いに味の感想を言い合って、二人は黙々と昼食を食べ続ける。


 食べ終えた日向はアイスティーのストローに口を付ける。清涼感のあるアイスティーが口内に残った火照りを冷ましてくれた。


 先に食べ物だけを店員が下げてくれたので、二人はセットで付いて来た飲み物をそれぞれ味わう。


「この喫茶店、当たりだったね。また、今度も来よっと」


「良いですね。俺も来ます」


 一人で新宿に来た時にはマクドナルドやチェーンのうどん屋で済ませていた。同じ街なのに少し歩くだけで、こんなにも景色が変わるのかと思った。


 飲み終えて一息付いた二人は、各自、休憩時間を過ごした。向にいるソウはiPhoneを触っている。先程のスターバックスの時と同じで誰かとやり取りをしているのなら邪魔してはいけない。


 日向は彼女の邪魔をしないよう自分もiPhoneを取り出してSafariを開いていた。それが十分程続き、ソウがiPhoneをスカートのポケットにしまった。

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