第8話 お礼してあげたい
「おい」
人気がなくなったところで振り返る。
声をかけると、彼女──雨奈はビクッと反応した。
「近く、行ってもいい?」
頷くと、雨奈は小走りで駆け寄ってくる。
人一人分を空けて隣を歩く彼女。
「学校で話しかけたり、一緒に歩いてたら来栖くんに迷惑かけちゃうかなって思って」
「別に迷惑じゃないが、まあ、めんどくせえことにはなるだろうな」
「ねっ。だから誰もいなくなったら声かけようかなって。一緒に帰ってもいい?」
既に一緒に帰っているのだからわざわざ聞かなくてもいい。
夜斗は短く「ああ」と答え、雨奈の歩幅に合わせて歩く。
「今日は、本当にありがとう」
「気にすんな。連中、校門とかで待ち伏せしてなかったんだな」
「うん、大丈夫だったよ。それにクラスの男子も、今日は声かけてこなかった」
「そうか」
「でも、わたしのせいで来栖くん、また変な噂流れちゃった」
「別に、今さら噂の一つや二つ増えても関係ねえよ」
「ごめんね。あと、ありがと」
「わかったって」
本当に、ありがとう。
雨奈はもういいからと言っても礼を口にする。
それだけ、あの場で助けてもらったことが嬉しかったのだろう。
ただ一度助けただけでここまで感謝されるのなら、珍しく行動して良かったかもしれない。
「来栖くんってさ、優しいよね」
「どこがだよ」
「わたしなんかを助けてくれた」
「ただお前から話を聞いてそのまま放置するのが気持ち悪かっただけだ。それにあいつらがうるさかったのは事実だからな」
「そっか。それにしても、あの時の来栖くんすっごく怖かった」
「あ?」
「あは、冗談。あー、ううん、やっぱ冗談じゃない」
「どっちだよ」
「えっとね、見た目は怖いけど、優しいのわかったからもう怖くない」
そう言って雨奈は笑った。
そこで初めて知った。いつもしていたのは全て苦笑いだったり愛想笑いだったんだと。
今の彼女の笑顔は、お世辞抜きに可愛かった。
「ん、どしたの?」
「いいや。それより、これからどうすんだ?」
「どうするって、なにが?」
「俺と同じ教室にいたら誰もお前に寄ってこなくなっただろ。いいのか、欲求不満とかになるんじゃねえのか?」
流されてとはいえ、今までいろんな男たちとしていたということは、彼女自身それなりに性欲が強いのだろう。
夜斗も強い方なので、いざしなくなったらどうなるか。そんなことを考えて聞いたのだが。
「欲求、不満……って! べ、別にわたし、何時でも何処でも誰とでもしたいみたいな、すっごいえっちな子じゃないよ!?」
顔を真っ赤にしながら髪をぺたぺた触る雨奈。
「違うのか?」
「違うよ! これまでは断れなくてしちゃったけど、別にしなくても平気なの!」
「そうなのか」
「そうだよ! ま、まあ、同い年の子よりは、その、少し……ほんの少しだけ、えっちかもしれないけど」
「お前のほんの少しは当てにならなそうだな」
「もう、ちゃんと自制できるから!」
「そうか、だったらいいけど。やり過ぎたのは迷惑だったかと思ったんだ」
「ううん、大丈夫。だけど」
ふと足を止めた雨奈は、俯いたまま夜斗の袖を掴んだ。
「えっとね。今日は、ありがと」
「それ、何度も聞いたって」
「だ、だよね、ごめん」
そう言うが夜斗の袖を離す気配はない。
夜斗が「どうした」と聞いても俯いたまま。
だがふと、顔を上げる。
宝石のように大きな瞳が潤んで輝く。
震えた唇が開き、消えそうなほど小さな声で囁く。
「お礼、したいの……」
何度も言葉でのお礼は聞いた。
この場合のお礼は、別の意味なのだろう。
「流されてとかじゃなく、わたしが来栖くんに、その……してあげたいなって、思ったの」
「優しくされたからか?」
「う、うん、それもある。けど、他の人とは違う。初めて、自分からしたいって思ったから……。あっ、ごめん。こんなの、嘘っぽいよね。でも、本当だから」
雨奈は上目遣いのまま「うち、誰もいないから」と夜斗を誘った。
♦
「でね、あの来栖が喋ったの!」
放課後。
クラス委員の仕事があって教室に残っていた優枝。
教室には数名の生徒が残り、優枝の仕事を手伝いながら噂話に花を咲かせていた。
「あの来栖がだよ、びっくりしちゃった」
「由香、それほんとなの? 見間違いとかじゃないの?」
「本当に見たんだって。戸島くんも見たでしょ?」
由香と戸島と呼ばれた生徒は今日、昼休みに教室でご飯を食べていた二人だ。
「うん、僕も見たよ。いきなり立ち上がって、上級生の髪をガッて掴んでなんか言ってたんだ」
「ほら!」
「いや、でもあの来栖くんだよ? 停学が明けてから今まで、あいつが喋ったとこ見たことないじゃん」
「そう、初めて声聞いた。声めっちゃ低かった!」
「その情報いらんから。ねえ、優枝ちゃん」
「え、ああ、うん。そうだね」
愛想笑いして適当に話を流す。
──初めて喋ったときは声が低くて口数も少ないから怒ってるのかと思ったけど、あれが標準だって知ってからは何とも思わなくなった。
ちなみに、普段は必要以上のこと喋ろうとしないけど、機嫌が良いと口数が増えるのよね。
他にもいくつか癖があるけど、案外わかりやすいのよ。
なんて。
心の中で誰も知らない興味もない情報を呟く優枝。
こんな情報を笑いながら話せるわけもなく黙っていた。
「でもさ、それが本当ならなんで急に喋ったの?」
「だから上級生が来たの! 倉敷にアレさせろーって」
「アレ? あー、アレね。で?」
「その上級生の髪を掴んだ」
「なんで?」
「うちが知るわけないじゃん。機嫌悪かったんじゃないの? だって来栖と倉敷って接点なくない?」
「あいつの接点だったら、クラス全員とないと思うけど」
「じゃあ……あっ!」
そこで何か思いついたのか、悪い笑みを浮かべる。
「もしかしてあいつも、他の男と──」
「あー、そういう汚い話いいから。ねえ、優枝ちゃん」
「えっと、あはは。そうだね」
彼女たちは優枝を聖女か何かと勘違いしている。
下ネタの話しはご法度。優枝の前でするのは禁忌のようだ。
だったらこの根も葉もない下世話な陰口も止めてほしいのだが。
「でもさすがにないんじゃない?」
「なんで?」
「だって来栖、クラスの女子に興味なさそうじゃん。そんなあいつが、わざわざ倉敷みたいな誰とでもーみたいな子を捕まえて陰でコソコソって……なんか微妙なんだよね」
「たしかに」
「それにほら、来栖ってどっちかというと西門のグループの女子の方が好みっぽそうじゃない?」
西門のグループというのは、このクラスで派手な見た目で遊び慣れてそうなグループのことだ。
不良同士お似合い。そう言いたいのだろう。
「たしかに。じゃあ本当に機嫌が悪かっただけ?」
「じゃない? というよりどうでもいいかも。それよりさあ」
さっきまで大盛り上がりだったのに一瞬で話の内容が変わる。
彼ら彼女たちにとってはクラスメイトの変化だとしても、これからも話すことのない相手だろうからどうでもいいのだろう。
「……」
ただ優枝は、少し気になってその後の話が何一つ頭に入らなかった。
♦
「どうぞ、来栖くん」
「ああ」
どこにでもある普通のアパート。
物も少なく片付けられたリビングを通り、隣の部屋に案内される。
全体的に水色のデザインの部屋には、彼女の私物が置かれていた。
彼女のカバンにいくつも付いているイルカのアクセサリーと同じぬいぐるみがいくつも置かれていた。
家に来て気付いたが部屋らしい部屋はここしかなく、親の部屋というのが存在しなかった。
「家族は?」
そう問いかけると、ベッドに座った雨奈は苦笑いを浮かべた。
「お父さんはどっか行っちゃって、お母さんはたまにしか帰ってこないから」
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