第34話 理解している
雨奈の母親は体育祭に来ない。というより、体育祭があることすら教えていない。
だから昼食は一人教室で食べようと思っていた。あわよくば、同じく教室で食べるであろう夜斗の横顔でも拝もうかと思っていた。
『一緒に食べよっ!』
教室に戻ろうとしたとこでサヤに誘われた。
こうして友達に誘われるのは初めてで嬉しかった。
サヤと、サヤの兄と、兄の営むスナックのお客さんが集まる賑やかなビニールシート。
ここだけ花見のような、賑やかな場所だった。
雨奈のことも快く歓迎してくれた。サヤの兄は中性的な綺麗な顔付きで、モデルかと見惚れてしまった。
新しい友達と楽しいお昼ご飯。
夜斗もここにいればもっと楽しいのに雨奈は考えたが、それでも新しくできた友達との夢のような一時が始まる。
そう思った。
だけど座ってすぐにしたサヤの一言で、明るい気持ちがどこかへいった。
「いやー、ヨルっちかっこよかったね!」
「そうね。これで学校中の女子たちも彼のことを放っておかないんじゃない?」
「ヨルっち人気出るかなー。んー、なんか複雑」
それは本当に。
本当に、突然のことだった。
友達から彼の名前が出るなんて予想もしていなかった。
頭が真っ白になる。というのはこのことなのか。
「雨奈?」
「えっ、あ、うん、なに……?」
「なんか固まってたから、どしたのかなって」
サヤは何も気付いていないから不思議そうに首を傾げた。
だが、
「あっ、そっか」
サヤは何かを思い出す。
嫌な予感がした。言わないでと叫びたくなった。
──ヨルっちって、あたしの彼氏なんだよね!
なんて笑顔で言われたら、きっと泣いてしまう。
言わないで。嫌なこと口にしないで。
「ヨルっちって、えっと、名前……えっと」
「もう、来栖くん。来栖夜斗くん」
「そうそう、夜斗! 彼──あたしの友達なの!」
友達。
その言葉を聞いて安堵した。
だけどすぐに”友達”というのは、自分と彼の関係も同じだと気付く。
──どうして、サヤちゃんと夜斗くんが知り合いなの?
「んんー? 友達?」
顔を赤くさせ酔っぱらった男性が、ニヤリとした表情を浮かべながらサヤに言う。
「友達じゃなくて、サヤちゃんの彼氏だろぉ!」
「だから、違うってば」
「じゃあ、彼氏でもない男にあんなエッチな服見せたの!?」
「あれは、その……ヨルっちは別に彼氏じゃないの! ただの友達、野良猫友達なの!」
「苦しい言い訳だねえ。あはは!」
頬を赤く染め、瞳が右往左往する。
エッチな服で思い出したのは、サヤに頼まれて一緒に購入したコスプレ衣装だった。
『少し気になる人はいるかも』
サヤはあの時そう言っていた。
「そうだ、雨奈が選んでくれたあの服、ヨルっちに大好評だったんだよ」
消えたい。
この場から消えたい。
もう、何の言葉も聞きたくなかった。
サヤの普段とは違う、恋する乙女みたいな顔なんて見たくなかった。
「だけど雨奈」
「えっ、な、なに……?」
唇の前で人差し指を立てたサヤ。
「このこと、誰にも言ったらダメだよ? あたしとヨルっちは秘密の関係ってやつだから」
雨奈はサヤのように笑えなかった。
愛想笑いは得意だ。けれど初めてできなかった。
それからもサヤの口からヨルっちという特別な呼び名が何度も出てくる。
『ヨルっちはね』
『ヨルっちがさあ』
『ほんとヨルっちは』
まるで今まで塞き止めていた栓が抜かれたかのように、ドバドバと、雨奈を苦しめる。
「──ちょっと、教室に戻るね」
「え、どしたの?」
「メイク直そうかなって。汗で、変になっちゃって……えへへ」
笑えた、はず。
雨奈はほとんど残したお弁当を抱えて駆け出す。
サヤは雨奈の異変に気付いたのか、それはわからない。
今の雨奈にそれを気にする余裕はない。
「夜斗くん……夜斗くん……」
楽し気な親子の笑い声があちこちから聞こえる。
雨奈は走って教室に戻った。
教室には数名の生徒がいて、その中に夜斗の姿もあった。
彼はお弁当を食べ終わっていつも通り窓の外を眺めていた。
「……」
一歩、また一歩。
並んだ机の迷路を抜け、夜斗に近付いて行く。
だけど一瞬だけ冷静になり、立ち止まって、自分の席に戻った。
なんて声をかけるつもりだった?
サヤとの話を、他のクラスメイトがいる前でするつもりか?
そんなことをすれば迷惑をかける。
夜斗にも、サヤにも。だけど彼から話を聞きたかった。
聞いてどうなるわけでもないのは理解している。
自分が彼の彼女でもなく、ただのセフレということも理解している。
冷静でないことも、このまま話しかけたら全てが壊れちゃうことも、何もかも理解している。
だけど。
すると、夜斗は立ち上がり廊下へ出て行く。
雨奈も彼を追いかけるように廊下へ。トイレではない、この時間だと人があまりいない、使われていない特別教室のある方へ向かっていくのが見えた。
何て声をかけるかも考えていない状況の中、雨奈は彼の足跡だけを追いかけた。
「どうした?」
すると、曲がり角で壁に背を付けて腕を組む夜斗がいた。
彼は雨奈が後を付けていることに気付いていた。
「えっと」
「何か話したいことあったんだろ?」
「……わかるの?」
「いつも以上に挙動不審だったからな。どうした、この後の二人三脚が不安とかか?」
その言葉を聞いて雨奈は嬉しかった。
会いたい、話したい、そう思っていた気持ちが通じた。
彼が自分のことを理解してくれていた。それを知って、性的快感のように雨奈の心を悦ばせた。
「……夜斗くんと、お話がしたかったの」
誰かが近付いてきたらわかるほど静かな廊下。
近くに来なければ誰からも見られることのない死角になった場所。
雨奈は夜斗に抱き着いた。
胸を押し付け、体を擦り付ける。
普段よりも露骨に。
「おい、どうかしたのか?」
「ううん、なんでもない。ただ、夜斗くんとお話したかったの。徒競走と騎馬戦、かっこよかったって言いたかった」
本当にしたかった話は、気付いたら頭の中から消えていた。
彼の腕に抱かれ、頭を撫でられ、体温と汗の匂いを感じたら何もかも忘れた。
こうして彼に抱かれていると、いつも不要な感情を消してくれる。
「徒競走は俺より後に登場した連中の方が歓声大きかったけどな」
「だね。だけどわたしは、ずっと夜斗くんのこと見てたよ」
「騎馬戦は敵にも味方にも揉みくちゃにされた」
「うん、揉みくちゃにされる夜斗くん、少しかわいかった」
「なんだそれ」
「えへへ」
ああ、これ。
愛想笑いではなく自然に出てくる笑い。
心から楽しいと、心から幸せだと感じられる。
──やっぱり、夜斗くんと一緒にいるの幸せだな。
「かっこよくて、優しくて、背も高くて筋肉もあって……モテて当然だよね」
「あ?」
どうして、自分だけの夜斗だと勘違いしてしまったのか。
雨奈が彼の良さに気付けた。だったら他にも彼の良さに気付いて彼を好きになる者がいたっておかしくない。
そう思うと、今の幸せな気分に異物が混じり込む。
これは焦りだ。誰かに彼を盗られるかもしれない。そして彼を失えば、雨奈は元に、前の雨奈に戻ってしまうという焦り。
誰にでも愛想笑いをして。
誰といても楽しくなくて。
誰も満たしてくれない、あの頃に。
夜斗から得られる安らぎを覚えてしまった今、もう戻れない、戻りたくない。
──夜斗くんに、一緒にいたいって思ってもらわないと。
夜斗の前で膝を突き、彼の短パンに手をかける雨奈。
「おい」
「あんなにかっこいい夜斗くん見たら、してあげたくなっちゃった」
「だからってお前」
「大丈夫だよ、誰も来ないから。お願い、したいの。ダメ……?」
困惑する夜斗だが、彼はこういう行為を拒まない。
雨奈はそれを知っている。そして、こういう奉仕を彼は喜んでくれる。
──わたしがサヤちゃんに勝てるの、これしか思いつかないから。
夜斗を繋ぎ留めたい。
夜斗に捨てられたくない。
彼の望むことなら、なんでもしてあげたい。
それがたとえ、間違った愛情表現だったとしても。
「ちょっと、汗の匂いする。でもこの匂い、嫌いじゃない」
「変態だな」
「うん、変態だよ。夜斗くんの匂いならなんでも好き。えへへ」
だから雨奈は、彼が望むことなら何でもする。
他の女に性欲を抱かなくなるぐらい、全て自分が独占する。
それが、この幸せを守るための歪んだ唯一の手段だ。
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