第22話 情けない
昔からの悪い癖だ。
逃げるとき、無意識に人のいない方へ逃げる。
他人の視線が気になり、第三者に何かを言われるのが嫌だから。
「おい、逃げんなって!」
気付くと雨奈は、逃げ場のないトイレにいた。
幸か不幸か、女子トイレには誰もいなかった。
西門グループの一人が雨奈の肩を掴み、扉に押し付ける。
──ドンッ!
勢いよく扉に背中をぶつけると、抱きしめるように抱えたカバンをギュッと強く握る。
雨奈を囲む彼女ら三人の名前なんて覚えていない。
佐藤、金崎、安藤だったか。下の名前はわからない。
なにせ話したことだってない。一方的に要件を言われるだけの相手だ。
「ねえ、なんで逃げんの?」
「別に、逃げてなんか……」
「逃げたよね!? 声かけて、あたしらと目が合って逃げたよなあ!?」
威嚇するように、こちらを睨む彼女は雨奈の顔の横の壁を二度叩く。
どうしてこんなに苛立っているのかわからない。雨奈が逃げたことに怒っているのか、それとも単純に何か嫌なことがあったのか。
ただ三人に囲まれて睨まれると、自然と全身が震えた。
「まあいいや。ってかさ、さっきなに買ってたの?」
「え、これは……」
「いいから見せろってッ!」
乱暴に雨奈のカバンを奪うとそのまま逆さにする。
教科書だけでなく、さっき購入したコスプレ衣装も床に落ちた。
それを見て、彼女たちは「うっわ」と軽蔑するような視線を向けてくる。
「なにこれ?」
「これは、その」
「これ、コスプレってやつだよね? なにあんた、これから客のとこ行く予定だったわけ?」
「客……?」
言葉の意味を理解するのに数秒かかった。
「そっ、客。いーっぱいお金くれる、優しい優しいパパのこと。これ着て、ご奉仕すんでしょ?」
「ち、ちがっ──」
「パパ、お金ちょうだぁーいって。ねえねえ、今日は何人のおっさんのペ〇スしゃぶるの?」
「吐き気するぐらい汗臭いおっさんたちの前で四つん這いになって、イヌみたいに舌出すんでしょ? ほんとうける、高一でそれって、終わりすぎでしょ」
ゲラゲラと笑う三人に、雨奈は何も言い返せず黙って俯くしかできなかった。
ただ早く終わってと。雨奈をイジメるのに飽きて、どっか行ってくれと願う。
「そんなに股開いてお金欲しいならさあ、あたしらが紹介してあげよっか?」
「え?」
「金払いのいいおっさん。パパ活界隈では金持ちで有名なおっさんなんだけど、要求してくるプレイがキモ過ぎるらしくてさあ、みんなムリって断ってんの。……でも、あんたならどんなプレイでもいけるっしょ?」
「そうそう。聞いたよ、頼まれたらどんな相手でも、何人相手でも余裕なんでしょ?」
「紹介料としてあたしら半分貰うけど。セックスしてお金貰えるからいっしょ、あんた」
「ヤリマンビッチにいいお仕事紹介してあげる。あたしら優しいね、感謝しなよー」
言われたい放題。
それに事実ではない、誇張された噂ばかり。
だけど我慢した。
ここで言い返せば、状況が余計に悪化するのをわかっているから。
それに西門グループに目を付けられたら、今よりもっと学校での立場が悪化する。そうしたら自分の悪評は大きくなり──夜斗に告白なんてできなくなる。
だから黙った。
いつか飽きて、いなくなってくれると信じて。
「どうせあんたみたいな女、股開くしか価値無いんだから」
我慢すればいい。
これまでずっと、そうしてきた。
「どうせこれを着て見せる相手だって、あんたのこと、やらせてくれるだけの都合いい女としか思ってないんでしょ?」
自分のことなら、なんて言われても我慢できた。
「どうせ、あんたに群がる男なんて、下半身に忠実に動く──」
「──違う」
「あ?」
「違う、から……。あの人は、違う!」
自分のことをどんなに悪く言われても我慢できた。
馬鹿な自分がしてしてしまったこと。過去のことだから、誰になんて言われても仕方なかった。
だけど、そんな自分なんかに優しくしてくれる夜斗を悪く言うのだけは許せなかった。
「は、なに急に。もしかして、好きな人できましたーとか、言わないよね?」
「い、いたら、ダメ……?」
「え、マジ!? あは、あははっ、ええっ!? あの誰にでも股開くビッチが恋!?」
「ちょ、待って、駄目、うける!」
「わ、わたしが……」
三人の上からで、蔑むような笑いが嫌だ。
全身が怖がり震え、思うように口が開かない。
だけど勇気を出して、自分の考えを言葉にしようとした。
「わたしが、人を好きになったら……ダメなの? わたしにだって、誰かを好きになる権利、あるから!」
過去のことを無かったことにはできない。
雨奈の噂を聞いた者の多くが彼女のことを”汚い”と罵っても、人を好きになる権利はある。
それとも、一度でも間違った道を歩んだ者は、二度と普通の道を歩んではいけないのか。
違う。彼はこんな自分の側にいてくれる。
そんな彼を好きになってもいいじゃないか。
噛んだり口ごもったりした。
だけど思ったことは言えた。
けれど、その想いが必ずしも届くわけではない。
「なに大きな声出してんの。どうせ、他の男よりもちょっとお金多くくれて、優しくしてくれたパパのことでしょ? そういうのだったら別に──」
「違う! あ、あの人は……あの人は」
言い返そうとして止めた。
夜斗の名前を出せば彼に迷惑をかけると思ったから。
名前を出し、もしも彼女たちが大勢の前で彼にこのことを話されたら……。
だから言えなかった。
あの人、あの人と。
そんな雨奈の反論に、先程まで笑っていた彼女たちが苛立ちを見せる。
「あのさ、そういう嘘いいって言ってんじゃん」
「噓じゃ、ない……」
「じゃあ誰? あの人じゃなくて、誰のことなの?」
「ほら、そのあの人をここに呼んでみなよ。で、もし本当に実在して、ここに来たら聞いてあげる。『あなたは彼女のことが好きですか?』って」
雨奈は言い返そうと口を開くが、すぐに閉じた。
「なんて言うんだろ。どうしよ、おっさん照れながら『体が、好きなんだな……』とか言ったら」
「それいいね! ってか、もし本当にいんだったらそう言いそう!」
「あ、ならさ、そのおっさん、こいつの前であたしらで食べちゃう?」
「えー、さすがにそれはキモくない? おっさんとするとか無理なんだけど」
「でもさ、ここまでご執心なこいつの前で寝取っちゃうの、めっちゃおもろそうじゃん?」
「たしかにそれはアリかも。どうせ向こうもヤリ目だろうし、女子高生一人より三人の方が嬉しいっしょ。というわけで、はい」
彼女たちは笑みを浮かべながら「ここにそいつ、呼んで?」と。
夜斗をここに呼び、雨奈のことを好きか聞かれて、彼から「好き」と言ってもらえる自信がないことが悔しかった。
大丈夫、好きって言ってもらえるから。
そう言い返せない自分自身が情けなかった。
「ねえねえ、黙ってないで何か言いなよ。自信ないんでしょ? ただのセフレだって言われるのが怖いんでしょ?」
笑いながら言われ、気付いたら涙が流れていた。
「うわ、泣いてる。これ図星っぽくない?」
「あらら、かわいそうに」
「それじゃ、そんな恋だとか愛だとか夢見てないで、お金くれるパパ活しよっか。いいパパ、紹介してあげるからさ」
そんな時だった──。
「──ねえ、何してんの?」
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