第39話 女って怖いね




「………………え?」




 全ての音が一瞬だけ消えたように感じた。

 けれど優枝が小さな声を漏らすと音は元に戻り、再び時が動き始めた。




「なんのことかな?」


「なんで、ヨルっちの匂いすんの?」


「えっと、ヨルっちって誰のことだろ」




 優枝の瞳が揺れているのが見てわかった。

 たぶんサヤでなく誰が見ても、彼女が動揺しているのはすぐわかる。

 こんなにも彼女は嘘を付くのが苦手な人だっただろうか。頭が良くて完璧人間だとサヤは思っていた。




「来栖夜斗くん。優枝ちゃんが二人三脚組んだ相手」


「あー、そうなんだ。だけどその、何を言っているのかよくわからないかな。あっ、みんな待ってるから早く戻らないと」




 オレンジジュースが注がれたグラスを持った彼女が強引に話を切ってテーブルへ向かおうとした。

 だが、逃げようとする彼女をサヤは引き止めた。




「じゃあ、後でみんなの前で聞いていい?」




 そう尋ねると、優枝は足を止める。

 振り返った彼女の目付きは、学校では誰にも見せないほど性格が悪そうに見えた。




「はあ……」




 優枝は大きくため息をつく。




「ねえ、そういうの止めてくれない?」




 一瞬にして雰囲気が変わり、怒っているというよりこれが彼女の素なんだと感じた。




「ただ聞いてるだけじゃん。なんで、ヨルっちの匂いするのって」


「だから、匂いってなんのこと?」


「シャンプー」


「え……あ」




 何か思うことがあるのか、優枝は視線を揺らす。




「いつもと違うシャンプー使ってるでしょ。もしかして、気付かなかった?」


「……シャンプー、変えたから。それでたまたま同じ匂いがしたんじゃない」


「へえ、そうなんだ。でもヨルっちのシャンプー、男性用だって言ってたけど。優枝ちゃんって男性用のシャンプー使うんだ」




 優枝の否定はそこで終わった。


 沈黙が流れる。

 優枝はサヤの出方を警戒するように伺っている。

 サヤはどうしたらいいかわからなかった。なにせ”それ”がわかったところで、サヤが優枝に何か言う権利はない。


 別にサヤは夜斗の彼女じゃない。

 浮気しているわけでもなく、ただ気にいっていた同級生と優等生が秘密の関係を築いていたかもしれないというだけ。


 ……ただ、野良猫同士だと思っていたのに裏切られた気分。




「クラスのみんなには内緒にしてあげる。優等生だって、男遊びぐらいしたいもんね」




 これでこの話はお終い。

 お互いにこのことは秘密にする。

 後は夜斗がどうするか。というより、ここで何かしらの決断なんてできなかった。

 サヤは夜斗のことが好きとかそういうわけではなく、ただ気の合う友達みたいなものだ。


 そう、今はまだ……。




「……何も知らないくせに」


「ん?」


「あなたが彼とどういう関係かは知らないし興味もない。もう隠すのも難しいから言うけど──独占したいなら、ちゃんと首輪でも付けていたらどう?」


「は……?」




 優枝はクラスメイトのいるテーブルに背を向け、サヤにだけ微笑んだ。




「だからいっつも、彼が私のもとに帰っちゃうんじゃない?」




 余裕ぶった表情に、自分が優位であると表す言葉。

 はっきりと喧嘩を売られているとわかった。

 掴みかかりたくなるぐらい腹が立ったが、ここでそれをすれば図星だと、負けを認めると思った。

 だから冷静に、息を吐き、普段通りの自由奔放なネコのような表情を浮かべる。




「でもさ、しょっちゅう家出しちゃうってことは、優枝ちゃんに満足してないってことじゃない?」




 優枝はその挑発に乗ってこなかった。

 ただ、相当機嫌が悪いのは見てわかった。




「あなた、見た目通り性格が悪いのね」


「優枝ちゃんには負けるかなー。ねえ、学校でもその本性出せば? ああ、それだと優等生キャラが崩壊するからマズいのか」


「「……」」




 そこで、クラスメイトから「優枝ちゃん、早く!」と呼ばれた。

 優枝は軽く深呼吸すると、再び作り物の表情を浮かべながらクラスメイトのもとへ向かう。




「あー、怖い怖い。これだから女って嫌いなんだよね」




 男同士なら今頃、殴り合いの取っ組み合いが始めっていただろう。それも痛いから嫌だが、優枝とサヤみたいに明日も明後日もその先ずっと引きずることはないはずだ。

 もしも優枝の性格が悪かったら、クラスメイトを使ってサヤを虐めてきた可能性もある。




「やっぱ一人が一番いいや。気楽だし、自由だし。人に気を使わなくていいし」




 そう言いながらも、サヤが戻っていったのは夜斗のいるテーブルだった。


 担任の先生が労いの言葉や注意事項を話しているのに、肉を焼きたくてうずうずしている彼の隣に座る。

 いい匂いだと思っていた彼の匂いが、少しだけ嫌いな匂いに感じた。




「あそこで何話してたんだ?」


「えっ、あー」




 この場で暴露するのは簡単だ。

 そうすればあの女の裏の顔が知られて困り顔を見れる。


 簡単だ。


 だけど、それをしたら自分の完全敗北だとサヤは思った。

 これで優枝が悲しんだところで心の内にあるこのムカムカは晴れないし、夜斗とこれまで通り仲良くなんてできない。


 であれば、サヤがこれからすることは一つだ。




「ううん、なんでもないよ。それよりほら、乾杯終わったから早く焼こうよ!」




 優等生は学校やクラスメイトの前で夜斗と話せない。

 その理由はわからないが、優等生ならではの事情があるのだろう。


 ──だったら見せつけてやる。あたしとヨルっちがイチャコラする姿。悔しがれ、イラつけ、ふん!


 夜斗の隣に座ったサヤはぴったりと彼に体をくっ付ける。

 いきなり距離が近くなったことでクラスメイトの視線を浴びるが無視して、夜斗だけとの空間を楽しむ。




「なんかお前、近いぞ」


「いいじゃん、別に。ってか、お前って言うなって何度も言ってんでしょ」




 優枝と一瞬だけ目が合った。

 仲良しの子にニコニコしていた彼女も、サヤと夜斗を見て何か思ってくれただろうか。


 ──それより、なんで優枝ちゃんからヨルっちと同じシャンプーの匂いしたんだろ。


 考えられるのは、体育祭が終わって二人が会っていて、アレをした後一緒にシャワーを浴びたか。

 その時になぜか夜斗のシャンプーを使ってしまった。あの動揺の仕方は”間違った”ときの反応に見えた。


 隠したかったけどバレてしまった、二人の秘密の関係。

 夜斗とサヤも同じ秘密の関係だったはずなのに、優枝の方がずっと先を行っている。

 生まれて初めて男を取られて嫉妬という感情が芽生えた。

 そんな今どきの女子高生みたいな感情が自分にもあるんだと驚いた。




「ねえ、ヨルっち」


「あ?」




 お肉を頬張る夜斗の耳元で問いかける。




「二人で抜け出そうよ」

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