第15話 お泊まりの約束をして二日目の散歩へ
相変わらず優枝の機嫌は悪い。
というより日に日に悪化しているように感じた。
家で会話する回数も減り、ご飯の手のかかりようも低く、もちろん夜の営みを断られる。
それもあって、夜斗は学校が終わるとすぐに家を出た。
そんな夜斗が時間を潰せて、安らぎを得られる場所なんて一つしかない。
家に帰ると不機嫌な妻がいるから、優しくしてくれる不倫相手の女性宅に逃げ込むかのように雨奈の家に行った。
高一でこの境地に達するとは思わなかったが、この隠れ家と彼女の優しさは居心地が良かった。
「今日の夜斗くん、いつもより激しかったね。何か嫌なことでもあった?」
自分ではそんなつもりはなかったが、全てを受け入れてくれた彼女には変化がわかったのだろう。
「別に。嫌だったか?」
「ううん、夜斗くんに激しく求められてイヤなんて思わないよ。ただ心配なだけ。わたしにしてほしいこととかある?」
「いや、いつも通りで十分だ。ありがとう」
「そっか。うん、わかったよ。でも何かしてほしいことあったら言ってね? なんでもしてあげるから」
彼女の居心地の良さと愛人属性、それと夜斗への依存度が日に日に増している気がした。
まるで快楽の底なし沼のような気持ち良さを感じながら、夜斗は彼女を抱きしめ、このままずっと安らぎを味わってしまいたい。
だが、サヤとの約束があったので、沼に沈んでいた体を起こして立ち上がる。
「今日も、帰っちゃうの……?」
悲しそうにする彼女。
さすがに三回連続で泊まってほしいという誘いを断るのは気が引けた。
「ああ。ただ次に来るときは泊めてもらうかな」
代わりにと言わんばかりに次回を提案する。
すると、暗かった彼女の表情がパアッと明るくなる。
「ほんと!?」
「お前がいいならな」
「うん、うんうん! いい! 泊まってほしい! いつ? いつ泊まってくれるの?」
ぐいぐいと迫ってくる雨奈。
夜斗は彼女を抑えながら答える。
「今週の土曜はどうだ?」
「土曜? うん、だいじょ……あ」
大丈夫だと言おうとした雨奈だったが。
「たぶんその日、お母さん帰ってくるかも……」
「そうなのか」
「わかんない、だけど土日だけは帰ってくること多いから。せっかく夜斗くんが泊まってくれるのに、邪魔されたくない。別の日は、ダメ?」
「そうだな。来週の平日のどこかでどうだ?」
「もちろん大丈夫だよ! えへへ、やったあ。お泊まり、お泊りかあ!」
「そんなに喜ぶことか?」
「うん! だって一緒に寝て、起きたら夜斗くんが隣にいるんだよ? 想像しただけでもう、にやけちゃうよ! あっ、もしかして寝かせてもらえなかったり……?」
「なに?」
「だって夜斗くん、終わってもすぐにまだできるって顔するでしょ? だからもし時間を気にしないでってなったら、ずっとしちゃうのかなって。じゃあじゃあ、次の日は学校に行けない? 学校に行かないでそのまま……!」
妄想の世界に飛び込んでしまった雨奈。
そんな彼女を見て夜斗は呆れたようなため息をつくが、はっきりと愛されていることに嫌な感じはしない。
むしろ嬉しかった。
好き。大好き。
雨奈からそういった言葉を何度も聞かされる。
なので雨奈がそういう感情を自分に抱いているのは夜斗もわかる。
だが関係を持ってからこれまで、彼女の口から一言も”付き合いたい”という言葉が出たことはない。
まだまだ悪い噂が払拭されておらず、夜斗に迷惑をかけると思っているから何も言わないのか。
それはわからない。
ただ一つ言えるのは、この曖昧で都合のいい──セフレの関係を、雨奈は幸せだと感じてくれているということ。
そして、夜斗もこの関係で十分満足している。
「平日にお泊まりして、そのまま学校に行かないでずっとえっち……えへへ、わたしも夜斗くんと一緒で不良になっちゃうね!」
「嬉しそうに言うことじゃないぞ」
「そうだけど、やっぱ嬉しい。えへへ、えへへ」
にやにやしっぱなしの雨奈を置いて着替えを続ける。
着替えが終わり、玄関で靴を履いているときも、雨奈の妄想は止まらない。
そんな彼女の表情を見ていると、少しだけ名残惜しさがあった。
「今日も来てくれて、ありがと。気を付けて帰ってね!」
「ああ」
「じゃあ、また明日。……ちゅ」
シーツを羽織っただけの雨奈は背伸びをする。
軽く優しいキスをされると、夜斗は彼女の家を後にする。
一度帰って着替えたかったが夜斗は真っ直ぐ、二日連続の夜の街へ繰り出した。
♦
だいたい昨日と同じ時間。
待ち合わせ場所であるパパ活女子の縄張りで待っていた夜斗。
周囲には、その場に立って誰かを待っているであろう様々な年齢層の女性が。
彼女たちからは、ちらっちらっという視線を感じる。客だと思われているのか、夜斗は誤魔化すようにスマホを確認する。
『ごめん、少し遅れる』
というメッセージが届いたのは約束の時間の10分後。
そして彼女が待ち合わせ場所に来たのは、それからもう10分後だった。
「お待たせ、ヨルっち!」
「……遅えよ」
「ごめんごめん。まさかヨルっちが時間通りに来るタイプだとは思わなくって。てっきり、女の子を分も待たせて『行くぞ』って悪びれる感じもなく先を歩くタイプだと思ってた!」
「クソみたいな偏見だな。こう見えて時間には厳しいんだよ」
「へえ、意外としっかりしてるんだね。まあ、次からは頑張るから許して!」
おそらく次があっても遅刻するだろうなと思ってしまった。それほどまでに軽い感じのサヤの反応。
そんな彼女は何か言いたげな夜斗を雰囲気で察したのか、強引に腕を組んで歩き出す。
「おい!」
「いいからいいから。あっ、もしかしてこうやって腕組んで歩くの恥ずかしいとか?」
「そうじゃねえ。ただ歩きにくいだけだ」
「えー、ほんとに? ヨルっち、こう見えて実はむっつりだったりして。ほら、ほらほら」
強引に組んだ腕が胸に押し付けられる。
はっきりとした弾力と大きさのある胸の感触は、もしも女慣れしていない男であれば危なかった魅力だった。
ここで強引に離れると本気で照れているみたいに見えるので、夜斗は諦めて腕を組んだまま彼女の服装に目を向ける。
「それよりお前、今日学校休んでなかったか?」
「あっ、誤魔化した。あと、お前って言うなって何度も言ってるでしょ、このむっつり不良!」
「はいはい。で、休んでなかったか?」
「まあね。それがどしたの?」
「なんで制服なんだ?」
学校に行っていた夜斗が制服姿なのはまだわかるが、学校を休んだサヤもなぜか制服姿だった。それも学校に持って行く教科書の入ったバッグも肩にかけていた。
腕を組んで歩くサヤは「ほんと、顔に似合わず細かくて鋭いねえ」とため息混じりの声を出す。
「今日のあたし、学校には行ったことになってるの」
「行ったこと?」
「そっ。朝早く起きて、いってきまーすして。でも学校には行かない」
「親には学校に行っていることにしてんのか」
「そういうこと。で、学校にも行かずにいっつも──」
街の中心部から外れて薄暗い裏路地を少し歩いたところ。
決して高校生が制服姿で来るような場所ではない奥地まで来ると、サヤは足を止める。
「ここで遊んでるの!」
そこは廃れた商業ビルで、表にいくつもの店名が書かれた看板が載っていた。
その多くが一目で風俗店だとわかるような名称で、何分いくらみたいなことが書かれていた。
「……お前、ここでバイトしてんのか?」
前は風俗店で誘われてもしていなかったと言っていたのに。
なんて言ったらいいかわからず少し気まずそうに頭を触りながら聞くと、
「バカ、違う!」
と、お腹を殴られた。
「違うのか? でもここ」
「このビル自体はそういうお店ばっかだけど、中には普通のもあんの! ほら入る入る!」
強引に引っ張られてエレベーターに乗せられる。
目的の階層に降りてもそういうお店ばかりだが、奥に行くと毛色の違うお店が目に入った。
『スナック
白背景の看板に黒の文字で書かれた店名。
「はい、入って!」
「入ってって、ここ」
「入ればわかるから!」
扉を開けると、カランカランと鈴が鳴る。
壁にはお酒や演歌歌手のポスターが貼っており、カウンター席に接客用のテーブル、それからカラオケをするステージがある。
「あら、いらっしゃい。……って、サヤ、今日は随分と早いのね」
「うん、ちょっとね。──お姉に紹介したい人がいるんだ!」
カウンターに座っていたオネエと呼ばれた人物は夜斗を見て「あらあら」と野太い声を発した。
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